「偽者ぶりを証明している言葉」にツッコミ!・・・伊勢白山道さま |
教祖様によると、1番滑稽で自身の偽者ぶりを証明している言葉があらしい。
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●詳細&ツッコミ |
下記は、「既に居るんですよ」と題されたブログ記事の抜粋である。
《2010年2月4日ブログ本文》
今、心が苦しい人が多いです。
自分の心を「変える策」ばかりを考えるから、苦しいままなのです。
「このままでは生けない」と焦りますと、結局は行動の1歩が出せ無いまま、心が漏電したまま時間だけが過ぎます。
「このままの中でも感謝すべき事が在るはずだ」に、意識のベクトルを変えると良いです。
その場から逃げる策よりも、その中でも感謝すべき事に「気付き」維持することが、逆に救いの他力を発動させるのです。
現状の中での「有り難い事」に気が付ければ、その人は既に大丈夫です。すると、自然と「頑張ろう」と無理なく歩き出せます。
精神世界の先生の発言で1番滑稽で自身の偽者ぶりを証明している言葉があります。
「悟りましょう」「変わりましょう」「目覚めましょう」「私に会いに来なさい」「どこそこに行きなさい」。。。この様な事を言う先生の両目の奥にはが在るだけです。
今の自分の現状から「変わろうとする」限り、霊的本質から離れているのが真相です。
今の自分の現状の場以外に、悟りの場は無いのです。もう既に、自分は行くべき所に居る事を気付くべきなのです。
だから、慌てないでも良いです。
(注)文字に色を付けたのは管理人(以下、同様) |
教祖様によると、「精神世界の先生の発言で1番滑稽で自身の偽者ぶりを証明している言葉があり」、その言葉として上げられているのが、以下の5つ。
「悟りましょう」
「変わりましょう」
「目覚めましょう」
「私に会いに来なさい」
「どこそこに行きなさい」
そして、「この様な事を言う先生の両目の奥にはが在るだけ」らしい。
・・・・ (−−;)ゞ
教祖様は、自分がこれらの言葉、もしくは、それに類する言葉を使っていないとでも思っているのだろうか。。。
これら5つの言葉について、順に見て行こう。
◆「悟りましょう」
同じ文章内にある、
「今の自分の現状の場以外に、悟りの場は無いのです」
と言うのは、裏を返せば、「今の自分の現状の場で、悟りましょう」と言うことである。
◆「変わりましょう」
同じ文章内にある
「意識のベクトルを変えると良いです」
と言うのは、「意識のベクトルを変えましょう」と言うことである。
また、教祖様の本の題名、
『読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典 』
これは、「読んで、人生を変えましょう」と言うことである。
◆「目覚めましょう」
同じ文章内に、
「『有り難い事』に気が付ければ、その人は既に大丈夫です」
とあるが、「気が付く」というのは、言わば、「目覚める」と同義語みたいなものである。気付いて目覚めるのだから。
また、同じ日のブログの、教祖様の本の宣伝文句で、
《2011年2月4日ブログ》
簡単な表現の文章ですが、強い改善力を目覚めさせる本です。
「だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる」
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なんてふうに、「目覚めさせる」という言葉をキャッチ・コピーに使っている。これは、裏を返せば、「強い改善力を目覚めさせましょう」と言うことである。
◆「私に会いに来なさい」
表に出て来ない教祖様からは、さすがに、この言葉そのものは出て来ないが、これは、「自分のブログにアクセスして記事を読みなさい」とか、「自分の本を読みなさい」と言うことと基本的に同じである。
また、直接会う代わりに、ブログのコメント欄で個別の相談に応じているのだろうに。
《2011年2月4日ブログ コメント欄 2011-02-04 17:19:12 》 (※他、多数の同様のコメント)
「だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる」本、「読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典」を何回も再読してください。
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《2011年2月4日ブログ》
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。
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◆「どこそこに行きなさい」
『内在神への道』 伊勢白山道・ナチュラルスピリット P.96
皆さん、一度でも良いから伊勢神宮の外宮に行って下さい。
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以上、「語るに落ちる」(*)とは、まさにこのことであるが、昔の記事ならともかく、同じ文書内ですら、矛盾をきたして辻褄を合わせられない教祖様。。。
(*)問い詰められるとなかなか言わないが、勝手に話させるとうっかり秘密をしゃべってしまうこと
さて、何故、教祖様は、上記のような矛盾したワケの分からないことを言ったのだろうか。
結論から言えば、それは教祖様が、
「自分自身の言っていること、やっていることを、良く理解できていない」
からである。
上記ブログ記事を見ても分かるように、教祖様は、自分の主張が「変わらなくていい、現状のままでいい」だと思っているようだ。
だからこそ、「悟りましょう」、「変わりましょう」、「目覚めましょう」をNGワードとしてあげているのだし、また、はっきりと、
「今の自分の現状から『変わろうとする』限り、霊的本質から離れているのが真相です」
とまで言っている。教祖様は、「変わらなくていい」が「霊的本質」だと思っているようだ。
しかし、果たして、本当にそうだろうか。
それは、明らかに、自分の考えを誤って認識している。
もし、本当に、「変わらなくていい、現状のままでいい」のであれば、例えば、「現状を否定し、恨みごとばかりを言っている現状」があっても、それは「変わらなくていい」はずである。
教祖様は、そのような現状の人がいたら、「変わるべき」だと思っているから、感謝を推進している。
また、教祖様は、「内在神への気付き」や「先祖供養」を推進しているが、それも、「外の神様ばかりに目が向いている現状」や「先祖霊をないがしろにしている現状」を変えるべきだと考えているからである。
そもそも、本当に、「変わらなくていい、現状のままでいい」と考えているのであれば、自分の教えを広く伝えようとしていることこそが、自己矛盾である。
現状に問題があると思い、それを変えようとしているからこそ、やっていることであろうに。
このように、教祖様は、本当は、「変わらなくていい、現状のままでいい」などとは思っていない。
では、何故、
「今の自分の現状から『変わろうとする』限り、霊的本質から離れているのが真相です」
とまで言い切ってしまったのだろうか。
それは、おそらく、教祖様が推進している教義の一つである、「現状を受け入れましょう」にある。
これは、本来は、「現状を否定し、恨みごとばかりを言っていても仕方ありませんよ」と言うような意味である。別に、「現状を全く変えなくていい」と言うものではない。
しかし、教祖様の頭の中では、以下のような連想ゲームで、「現状を受け入れましょう」の内容が「変わらなくていい」へと変遷し、その意味をも包含するようになったのだと思われる。
「現状を受け入れましょう」 → 「現状のままでいい」 → 「変わらなくていい」
さらに、教祖様は、自分と「精神世界の先生」との違いを、この観点から識別できると思い付いたのだろう。
それは、次のような対比である
自分 |
・・・ |
「変わらなくていい」 |
・・・ |
正しい |
精神世界の先生 |
・・・ |
「変えようとする」 |
・・・ |
誤り |
その結果として出てきたのが、以下の文章である。
精神世界の先生の発言で1番滑稽で自身の偽者ぶりを証明している言葉があります。
「悟りましょう」「変わりましょう」「目覚めましょう」「私に会いに来なさい」「どこそこに行きなさい」。。。この様な事を言う先生の両目の奥にはが在るだけです。
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先にも述べた通り、教祖様は、本当は「変わらなくていい」なんてことは思っておらず、特定のケースについては「変わるべきだ」と思っている。
つまり、実際のところは、教祖様も「精神世界の先生」も、現状から何かを変えようとし、また、「変わるべき」だと考えている点では全く同じ。
違いがあるとすれば、「どの程度まで変えようとしているか」という程度の違い、もしくは、「どの点を変えようとしているか」という変更箇所の違いでしかないのである。
そして、それを理解せずに、「自分は、『精神世界の先生」とは違い、『変わらなくていい』と考えている」と勘違いしているから、上記のような、矛盾し、むしろ、自分の滑稽ぶりをアピールする文章を書くことになるのである。
2011.3.4 新規
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