「moneyの語源」にツッコミ!・・・伊勢白山道さま |
教祖様によると、moneyの語源は旧約聖書のマナらしい。
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●詳細&ツッコミ |
以下は、「伊勢日記 5」と題されたブログ記事の抜粋である。
《2009年4月15日ブログ本文》
ユダヤと日本の共通点では、ユダヤの伝承でも神界から降りて来た食物として、壷の中で増える食物としての「マナ」があります。お米も水を加えて鍋で煮詰めるとかさが増します。
マナとコメと言う2文字の発音に、同様な意味を感じます。
ユダヤ民族のマナは、後世に「マネー」お金の語源に成っています。
(注)青字にしたのは管理人 |
まずは、マナというものについて説明しておこう。
マナというのは、モーセがイスラエルの民を率いてエジプトを脱出した後、荒野でイスラエルの民が飢えた際に、モーセが神に祈って降らせた食べ物のことである。
マナは正確にはマーンで、旧約聖書では次のように記述されている。
<出エジプト記 16章14-15節>
降りていた露が立ち昇ると、見よ、荒野の表面に、かさかさした薄いものがあり、霜のような薄いものが地の上にあった。
イスラエルの子らは見て、互いに言った、「何だこれは」。それが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「それは、ヤハウェがお前たちに食料として与えたパンである。
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<出エジプト記 16章31節>
イスラエルの家は、それの名をマーンと呼んだ。それは、白いコエンドロ(注)の種のようで、その味は蜂蜜を塗った薄い煎餅のようである。
(注)セリ科の一年草で、花後のセリやミツバに似た粒状の実ができる
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さて、まずは、一つ目のツッコミ。
教祖様は「壷の中で増える食物としての「マナ」」などと言っているが、そんな話は聞いたことがない。旧約聖書をあたってみたが、そのような記述は見つけることができなかった。
ただし、教祖様の話と似た話であれば、旧約聖書に次のような記述がある。
<出エジプト記 16章14-15節>
彼らは集めたが、多く集めた者と少し集めた者がいた。しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者にも余りはなく、少し集めた者にも不足はなかった。各人が自分を食べる量を集めていた。
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つまり、マナは自分が食べる量より、多くも少なくも集めることができない食べ物。
もしかすると教祖様は、マナを少し集めた者も充分な量であったことをもって、マナが増えたと思っているのかも知れない。仮にそれが正しいとしても、一方では、多く集めても食べる量しかなかった者がいるのだから、減る場合もあると言うことであり、米を炊いて量が増えることと結びつけることは無理であろう。
次に、二つ目のツッコミ。
教祖様は、「マナとコメと言う2文字の発音に、同様な意味を感じます」と言っているが、ハズレ。
マナは前述の通り、正確にはマーンで、マナを最初に見た人々が「何だこれは(マーン・フー)」と言ったことが語源となっている。
一方、米の語源について定説はない。
『日本語源大辞典』(前田富祺・小学館)では、柳田国男が「イネ、ヨネに対して、コメはコモル、コムル等の語との音の構成が近く、稲の神の祭と関係があったか」(『瑞穂国について』)と言っているのに対して、「上代特殊仮名遣いの矛盾もなく、妥当性があるか」と記述されている。
少なくとも、米に「何だこれは」という意味がないことは確かだろう。
そして、最後のツッコミ。
教祖様は「ユダヤ民族のマナが、後世に「マネー」お金の語源に成っています」と言っているが、全くのデタラメ。
moneyの語源は、ローマ神話の女神Juno Monetaから来ている。
女神Juno Monetaは主神Jupiter(ギリシャ神話のゼウスにあたる)の妻で、古代ローマではカンピドリオの丘にJuno Monetaの神殿があった。
その神殿の中にローマで最初の造幣所が建造され、ここで作られたコインの多くにはJuno Monetaの頭部のデザインが刻まれていたことから、いつしかMonetaがコインの意味を持つようになった。
そして、このイタリア語のMonetaが、英語に取り入れられたのがmoneyである。
いったい、教祖様の「マナがマネーの語源」というのは、どこから来たのであろうか。
もしかして、音が似ていることだけが根拠の、安易な思い付きか?
以上、相変わらず、いい加減なことを言う教祖様だ。
2011.1.1 新規
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