教祖様のブログでしばしば登場する倭姫。
倭姫は、第11代垂仁天皇の皇女で、伊勢の地に天照大神を祀ったとされる女性だ。
以下に、この倭姫についての、教祖様の霊視結果を集めてみた。
まず、教祖様の著書『内在神への道』には、次のような記述がある。
『内在神への道』(ナチュラルスピリット)
Q・・神武の時代が紀元前660年頃だとすると、卑弥呼(紀元後248年頃)よりもずっと前になりますね。
卑弥呼は、第10代の崇神天皇(みまきいりひこいにえ)の頃のヤマトトトヒモモソヒメノミコトでしょうか?
A・・卑弥呼は、何人もいました。
初代卑弥呼は、倭姫命です。神祭は、伊勢で行い、政治は奈良で行いました。伊勢と奈良を往復したようです。奈良から伊勢の全域が、邪馬台国です。
倭姫命の後は、皇女の中から、神託により後継者の卑弥呼を代々擁立して行ったようです。魏志倭人伝に登場する卑弥呼は、倭姫からみて、三代後の卑弥呼だと感じます。卑弥呼とは、巫女の最高位の役職名とも言えます。(P.240)
(注)青字にしたのは管理人(以下同様)
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教祖様によると、卑弥呼は何人もいて、倭姫は「初代卑弥呼」。魏志倭人伝に出てくる卑弥呼は倭姫からみて、三代後の卑弥呼らしい。
ちなみに、ヤマトトトヒモモソヒメノミコトは、第7代孝霊天皇の皇女で、倭姫より前の人物。
また、
《2009年2月12日ブログ本文》
皇室の倭姫命が、天照太御神八段目に感応して伊勢に来られ、伊勢神宮内宮を起こされたのは、ほんの2千年ほど前の事です。
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倭姫は、紀元前後の人物のようで、
《2010年1月27日ブログ本文》
リーデイングで読みますと、超太古の白山信仰が隠された後、次に古いのは三輪山の信仰です。現存する中では日本で最も古い信仰の場所が三輪山です。
神官である女王、卑弥呼=日見子(ヒミコは神官の役職名です。五代ほど継続されました)も毎日の様に三輪山に上り、日拝した様を感じます。
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卑弥呼は五代ほど続いたらしい。
そして、
《2011年1月8日ブログ本文》
伊勢神宮を起こした倭姫(やまとひめ)は、三輪山を去った最後の卑弥呼でした。
優秀な倭姫は、三輪山=地球大蛇の親玉からの脱皮を行い、伊勢の太陽神へと皇室の信仰を元に戻したのです。
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《2011年2月1日ブログ本文》
私のリーディングでは、倭姫は奈良県の三輪山の近辺に「最後の」卑弥呼として在住していました。
とても小柄な姿に観えます。身長は120〜130cmぐらいに見えます。顔の形は、おでこが少し張り出し、ほっぺたが福よかです。
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今度は、倭姫が「最後の卑弥呼」だと言い出した。
「初代卑弥呼」が倭姫じゃなかったんですか、教祖様!?
もし、紀元前後の倭姫が最後の卑弥呼なら、魏志倭人伝に卑弥呼が登場するわけがないんだけどねぇ。(※魏志倭人伝では、景初三年(239年) に、卑弥呼から使いが来たことになっている)
ほんっと、いい加減な教祖様。
自分が昔、言ったことなど忘れてしまっているのだろう。
なお、このように、時によって、教祖様の霊視結果が異なるのは、霊視しているのではなくて、単に、「こうだったのではないか」と自分の頭で考えているだけだからである。
もし、本当に過去の事実が視えているのなら、その時々によって異なる霊視結果が提示されたりはしない。
時によって、対象に対する考察が異なることがあり、その結果として異なる結論が導き出されているだけの話である。
上記の倭姫の例は、その良い証左であると言えよう。
2011.2.12 新規
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