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『幸福実現党宣言』にツッコミ!

書 名  幸福実現党宣言
著 者  大川隆法
出版社  幸福の科学出版
価 格  1600円(税別)
 出版年月  2009年6月

●本書概要

 2009年、「幸福の科学」が政党を結成し、参院選に出馬。
 その宣言書とも言える本書では、教祖様の憲法論や国家ビジョンが提示されている。


●ツッコミ

 前半の憲法論は無理な主張が目立つし、後半の政策論は具体性・現実味に欠けていて説得力がない。

 具体的指摘内容は以下の通り。

 次に、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と言っていますが、主権は国民に存在するはずなのに、憲法の第一章は「天皇」になっていて、天皇制の規定から始まっています。「主権は国民にある」と言いながら、天皇制から始まっているわけなので、ある意味では、「天皇が元首である」と言っているように読めます。したがって、最初から間違っているのです。(P.39-40)
 教祖様は、第一章が「天皇」になっているから、「ある意味では、『天皇が元首である』と言っているように読めます」と言い、それが「間違っている」と考えているらしい。

 憲法が「天皇」の項目から始まっているから「天皇が元首だ」という理屈は強引すぎであろう。そもそも、憲法成立の歴史的背景を無視した主張である。
 また、仮にそう読めたとしても、批判の対象にはなりえない。現在、公式見解では、ほぼ天皇を元首としても差し支えないとされているからである。(参考 : wikipedia元首

 確かに天皇が元首であるか否かについて議論がないわけではないが、本書の記述を見る限り、教祖様はそんな議論を知らずに、単純に天皇が元首ではありえず、また、元首だと問題があると考えているようである。

 また、第十四条には、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」とも書いてありますが、皇族は貴族そのものです。この部分は明らかに矛盾しています。(P. 40)

 憲法に貴族は認めないと書かれていて、皇族は貴族だから矛盾しているという主張。

 一般的に、皇族が貴族に含まれるとは考えらておらず、皇族と貴族が混同して使用されることはない。
 例えば、「皇族の秋篠宮家」とは言っても「貴族の秋篠宮家」とは言わないし、また、秋篠宮家と英国の貴族が会食をしても「日英の貴族が会食した」という表現がとられることはない。

 ただ、広辞苑によると、貴族とは「@家柄や身分の貴い人。出生によって社会的特権を与えられた身分」のこと、であるから、この字義通りに考えると皇族も貴族に含まれるという主張も可能であろう。
 しかし、それは、あくまで一般的でない解釈であり、一般的でない解釈に限定しての批判は的外れと言うしかない。
 また、憲法が一般的な解釈と同じく、貴族に皇族は含まれていないと考えているのは間違いないだろう。もし、そうでなければ、教祖様の言う通り、矛盾していることになるからだ。

 さらに、前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあります。
 これは、「日本だけが、北朝鮮や、フセイン時代のイラクのような悪い国であって、諸外国は、すべて平和を愛するよい国だから、それらの国の人たちを信頼して、安全と生存を保持しようと考えました」ということです。しかし、もし、それらの国が悪いことを考えた場合には、お手上げになり、終わりなのです。(P. 41)

 無理やりな論理展開。

 「平和を愛する諸国民」という記述があったら、日本以外の「諸外国は、すべて平和を愛するよい国」と解釈してしまうらしい。
 教祖様に「争いを嫌う人と仲良くするように努めなさい」と言えば、「私だけが争いを好む人間で、私以外は全て争いを嫌う人だと言うのか!」と怒ってくるので気をつけた方がいいだろう。

 なお、「諸国民」の特性・属性として「平和を愛する」と記載されていると解釈すれば、「全ての諸国民は平和を愛する」と読むことも可能だが、それならそれで、日本国民も含まれることになるだろう。「日本だけが平和を愛さない国」と解するのは、どう考えても無理やりすぎである。

 しかし、外国の要人と会うときには、現実には元首のように振る舞っているのですが、実際には何ら権能も責任も持たないことになっています。これは非常に分かりにくい体制です。(P. 55)(※管理人注:天皇が主語)

 実は、日本という国が外国から信用されていない理由は、ここにあるのです。「誰が意思決定をするのか分からない」と言われているのです。「意思決定者をはっきりさせなさい」ということです。
 もし、内閣総理大臣が元首であるのであれば、そちらと交渉すれば全部決まるわけですから、そうであれば、天皇陛下は文化的存在としてお祀りすればよいのです。天皇を政治のほうに入れるべきではないと思います。(P. 56)

 外国は内閣総理大臣と天皇のどちらが意思決定するのか分からないと思っているらしい。初めて聞いた。

 「平和を希求する」という平和主義は結構です。しかし、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」というのであれば、「ソマリア沖の海賊を、海上自衛隊が行って追い払う」ということは、「武力による威嚇」以外の何ものでもありません。すでに破っています。(P. 59)(※管理人注:憲法9条1項)

 まあ、「国際紛争を解決する手段としては」という文言を無視すれば、このような主張も可能であろう。海賊行為に対処するのは国際紛争ではない。国際紛争とは「国家と国家との間に起る紛争」(広辞苑)のことだからだ。

 また、通常、「武力による威嚇」とは、武力を行使する意図があることを示して他国を脅すこと、「武力の行使」とは、国際法上の戦争には至らない軍事衝突のこと、とされている。(参考:wikipedia日本国憲法第9条
 どちらにしても、他国の犯罪者集団を海上自衛隊が追い払うことは、9条1項の条文には抵触しないであろう。

 第十九条に「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」という条文があって、さらに、駄目押しのように、第二十条で、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」(第一項)、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」(第二項)、「国及びその機関は、宗教教育その他いからなる宗教的活動もしてはならない。」(第三項)とあります。
この二十条のつくり方が、かなり混乱を呼んでいると思います。
 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」というだけなら、それでよいのです。
 ところが、そのあとに、付帯条項で、「してはならない」という文言がたくさん付いているために、結局、「宗教活動をしてはならない」と言っているように読めるのです。(P.65-66)

 「してはならない」という文言がたくさん付いていると、「宗教活動をしてはならない」と読めてしまうらしい。もちろん、宗教活動をしてはいけないと書かれているのは、国及びその機関だけ。
 文章をまともに読まずに、漠然とした感覚で読んでいるのだろうか。

 また、憲法の後ろのほうには、「宗教団体や私立学校などには、資金援助をしてはならない」という趣旨の条文がありますが(第八十九条)、国は私学助成金を出しています。これは文部科学省が私立学校などを支配するために必要なのでやっているのです。
 おそらく、当会が政党をつくるに際して、ここのところを追及してくる人もいるかもしれませんが、私は次のように考えています。
 これは、逆に言うと、この憲法の条文が宗教の範囲を制約して縛っているように見えます。すなわち、「神、仏は、教えのなかで、政治については説いてはならない」と言っているように読めるのです。(P.69)

 第八十九条に関連して、私立学校振興助成法による助成が憲法違反にあたるのではないかという指摘もあるが、条文に「私立学校に資金援助をしてはならない」と明記されているわけではないので、教祖様の要約は正確でなく、誤解を生むものである。

 また、この「宗教団体に資金援助をしてはならない」という条文が、「神、仏は、教えのなかで、政治については説いてはならない」と言っているように読めるらしい。論理が飛躍しすぎてついていけない。条文の文言にどれだけ脳内で補完をしているのだろうか。
 第八十九条から読めるとしたら、せいぜい、「宗教団体をバックボーンとしている政党に資金援助してはならない」くらいまでだと思うのだが。

 ちなみに、第八十九条の条文は、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」である。
 どうやったら、これが、「神、仏は、教えのなかで、政治については説いてはならない」になるのだろうか。

 したがって、憲法によって、「宗教家は、政治に関する発言はできない。あるいは、神は、政治思想や政治行為について、何も発言してはならない」と、゛神の口封じ″を命じているということであれば、これはやはり、少しおかしいのではないかと思います。(P.70)

 憲法の条文から著者の良く分からない発想で導き出した解釈を、今度は著者が批判。自作自演である。

 教祖様は、さんざん訳の分からないことを述べたてているが、結局のところは、「宗教団体をバックボーンとした政治団体がアリか否か」という話を、「宗教団体が政治について説くのはアリか否か」という話にすり替えて正当化しようとしているだけ。

 そんな、あからさまで、分かり易い論点のすりかえに、盲信している信者以外の誰が納得すると言うのだろうか。


 以上は、教祖様の憲法論議であったが、以下は政策論である。

 今、日経平均株価は九千円台で低迷していますが(五月上旬時点)、幸福実現党が政権を取った暁には、平均株価は二万円を超えます。
 そして、日本の景気がよくなります。税収も自然に増収となり、みなさんの懐、家庭の台所も豊かになります。数多くの会社が立ち直って元気になります。
 具体的な政策としては、特に金融関係を強くしたいと思います。銀行をはじめとする金融関係が弱気になると企業は発展しないので、金融関係が強くなり、強気で積極的に貸し込んでいけるようになる政策を、強く押し出していきたいと思います。(P.226)

 幸福実現党が政権を取ると日経平均が二万円を超え、景気がよくなり、家庭は豊かに、会社は元気になるらしい。

 そして、その具体的な政策が金融関係を強くすることらしい。「金融関係を強くしたい」を、世間では通常、具体的な政策とは言わないのだが。
 おそらく、政府による金融機関に対する資本注入等を意図しているのではないかと思われるが、具体的記載はないので不明。

 また、「金融関係が強気で積極的に貸し込ん」でいくようになれば、不良債権の増加やバブルの再発が懸念されるだろう。
 一応、不良債権の増加は頭にあるようで、

 資金の流れが止まったら経済が機能しなくなるので、金融関係が資金を出すようにしなくてはなりませんが、その資金が不良債権にならないよう、強くバックアップする体制が必要です。
 したがって、やはり、金融面での力強いバックアップを行いたいと思います。
 このように、まずは金融関係を強化します。金融関係、すなわち、銀行をはじめ、資金を提供する機関を徹底的に強化して、そのバックアップを行います。(P.228)

 不良債権にならないように、「金融面での力強いバックアップ」をし、「金融関係を強化」をするらしい。
 どこまで行っても、上と同じ漠然とした政策の繰り返し。

 また、「金融関係を強化」をしても不良債権は不良債権であって、それは、金融機関が少々の不良債権ではつぶれないようにする政策であろう。不良債権にならないようにする対策ではない。
 「返済用資金もどんどん貸し付けるので、見た目はちゃんと返済されていて不良債権ではないですよ」という理屈だろうか。

 こんなお粗末な経済政策で、「日経平均を二万円超にして、景気がよくなって、家庭も豊かで、会社も立ち直る」なんてことを実現できるわけがあるまい。


 また、他にも、
例えば、「人口が減少する」という悲観的な要素に関しては、人口が増加するように対策をとります。収入が倍増し、人口が増えるような対策が必要です。 (P.229)

 「人口が増加するように対策をとります」と具体策の記載は全くなし。


 結局、幸福実現党の政策論を要約すると、「何か問題があれば、何らかの対策を講じますので、問題は解消します」ということだ。
 漠然とした対策論と、そこから導き出される、脳内お花畑な結果を主張しているだけである。




 以上、本書の大部分を教祖様の憲法論が占めているのだが、「文言等に訳の分からない解釈をほどこして、それを元に批判する」という自作自演の手法が目立つ。
 これは詭弁の手法の一つであり、もちろん、まともな批判にはなりえていない。

 その他の政策論等は具体性に欠け、現実味のない主張。

 こんなので政治ができると本気で思っているのだろうか。(思っているんだろうけど)



2010.11.15新規

幸福実現党に政治を任せれば、社会のあらゆる問題が解消されて、日本の将来はバラ色だナ!