K.T.さん 目が覚めた方からの連絡集(脱・伊勢白山道)

お名前 更 新 日
K.T.さん 2013.10.29新規
 K.T.さんは、親がSS会という新興宗教の信者だった関係でその宗教に入信し、長年、信者を続けられていた方である。

 そして、三か月程前、伊勢白山道氏の書籍『内在神への道』を読まれ、そこに記載された、SS会の教祖であるO氏に関するリーディングを見てSS会を脱会し、伊勢白山道氏のブログ等を見られるようになった。

 さらに、その後、当HPにたどり着かれて、伊勢白山道氏もインチキらしいと気付き、管理人にメールをいただくことになった次第である。


 なお、K.T.さんは伊勢白山道氏の信者(?)だった期間も短く、深入りせずに済んだのであるが、いただいたメールの中で、SS会の信者だった頃、及び、脱会した後の心境等を自己分析されており、その内容が他の方、特に、似たような新興宗教の信者の方々の参考になるのではないかと思い、管理人よりお願いして当HPで公開させていただくことになった。

 以下がそのメールである。

<K.T.さん → 管理人 「御礼と感想です」 2013/10/18>
(注)文字に色を付けたのは管理人
 くらじ様、こんなに早くお返事をいただいて、ありがとうございました。

 あの記事って、妄想だったんですね〜。はぁ〜。彼は「私はO氏の教えを知らないので語句の間違いや失礼があるかも知れません」と書いていましたが、絶対どこかでO氏の教えを手に入れて読んでますね。でないと、「日の洗礼」(「火の洗礼」をわざと間違えてる!!)「夜昼転換」なんて、でたらめな思いつきでは絶対出てこないですもん。あと、「龍に憑依された経験があるはず」とか。わあ〜騙された〜!!でもよくこんな本を何冊も出せますね〜。彼は自分のやってることをどう思ってるんでしょうね。悪いことと知っててやってるのか、何かに取り憑かれているのか…。どっちにしろ 怖い!! はまらなくて良かったです。ちょっとはまりかけてましたから。ギリギリセーフでした。

 まぁでも、SS会を脱会出来たのは伊勢白山道さんの、でたらめ記事のおかげです!!…というメールを彼のブログに送る訳にはいかない。霊線を伝ってケンゾクが来たら大変ですから。 霊的なことは本当に怖いです。 もう近寄らないようにします。

 あと、
私の最近の心境を書いてみます。O氏発、手かざし系宗教信者の必須アイテム、お光を世話人さんに持って帰ってもらいました。その前後の日々は、夜中に恐怖感で目が覚めて、自分は取り返しのつかないことをしたのかと思ったり、怒り、悲しみ、後悔といった感情が大荒れで大変でした。大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせつつ、いつの間にか落ち着いてきました。

 そして
最近、ある種の思いが無くなったことに気がつきました。それは何かちょっと悪いことを体験した時、「今月、本部参拝に行ってないからこうなった」「先祖が苦しいと訴えてるのかも」とか。子供がしんどそうなら「この頃浄霊が抜けてるからこうなった」「この頃、献金してないから先祖が催促してるのかも。でも今お金ないし…」etc…。しっかりした考えを持っている人にしてみれば、笑うしかないような事柄だろうと思いますが、カルトの信者はこんな気持ちになってしまいます。こういう恐怖感から解放されました

 
もう子供に、「浄霊しないと幸せになれない」と言わなくていいのです。このことだけでも、ものすごい幸せです。 幸せになると言われて続けていた団体を抜けたら、もっと幸せになってしまった自分でした。というか今までが本当は苦しかったんですね。脱会してみて 初めて、過去の自分が見えてきた感じがします参拝しないと不運になる、浄霊しないと病気になる、献金しないとお徳がなくなる…。こういう沢山の思いで自分を縛りつけていたんだと思います。

 また、
周囲の人々よりも自分たちだけは救われている、という優越感が常にありました。今ではそんなもの粉々です。笑。

 それどころか、今やっと周囲の皆さんと同じ地面に立たせてもらった、という気持ちです。刑務所を出て一般社会に戻って来たような感覚というか…。(経験ないけど。) これからは教祖の教えではなく、一般社会の本を沢山読んで少しは賢くなっていこうと思います。

 また何か思いついたらメールさせてもらうかも知れません。この世の中、カルトや変な教祖もいるけれど、騙された人を助ける為に活動している人もいてくれる。「教祖様にツッコミを入れるページ」を読ませてもらうと、理論的な物の見方、考え方って凄く大事なんだなあと思います。長々と書いてしまいました。読んでいただいてありがとうございました。

K.T.

<管理人補足等>

 新興宗教の信者だったK.T.さんが過去を振り返り、そこにあったものは恐怖優越感であり、幸せではなく苦しみであったことが語られている。

 まず、恐怖であるが、何か悪い事が起きた場合、以下のように考えてしまうのである。
<恐怖> 
○今月、本部参拝に行っていないから
○先祖が苦しいと訴えているから
○この頃、浄霊が抜けている
から
○この頃、献金していないから
 そして、逆に、悪い事が起きていなくても、上記のようなことをしていないと、「悪い事が起きるかも」と考えてしまうことになる。

 次に、優越感は以下の通りである。
<優越感>
○周囲の人々よりも自分たちだけは救われている
 このような恐怖優越感の発想は、教団に縛り付けて置く為に長期間に渡って刷り込まれたものであり、K.T.さんもおっしゃっているように、教団の外の人間から見れば、何の根拠もない、ただの戯言に過ぎない。

 しかし、この「刷り込み」というものは強力なもので、たとえ、理性で「馬鹿馬鹿しい」と考えても、なかなか抜け出すことは出来ないものである。

 例えば、「仏滅」というものがあるが、通常、婚礼の日には「仏滅」は避ける。

 「仏滅」の日が「縁起が悪い」など、どう考えても馬鹿馬鹿しい迷信に過ぎず、本当に信じている人は少ないと思われるが、婚礼をする際、きっと、少なくない人が
「とりあえず仏滅は避けておこうか」ぐらいには考えるのではないだろうか。

 そこには、
「仏滅に婚礼して、もし、何かあったらイヤだから」という恐怖があり、その迷信に対する捕らわれがあるのである。

 また、強引に仏滅の日に婚礼をする場合でも、
「どうせ、迷信だから」とか、「仏滅ってお釈迦様が入滅して転生から離脱した日だから、むしろ、めでたい日じゃん」等と正当化をする必要が出てくる。完全に無視することなど出来ないのである。

 さらに、仏滅に婚礼をして、もし、自分と配偶者にたまたま不幸が続いたとしたら、
「やっぱり、仏滅に結婚式をしたのが悪かったのかも・・・」という考えが浮かんでくることになる。

 このように、「仏滅」に捕らわれてしまうのは、婚礼をするまでに何度も聞いたであろう「仏滅は縁起が悪い」「仏滅に婚礼はダメ」等という言葉が刷り込まれて、身に染みついてしまっているからである。

 そして、このような刷り込みは、宗教の場合、「仏滅」のケースの比ではないのである。

 だからこそ、K.T.さんはSS会を脱会した後、「その前後の日々は、夜中に恐怖感で目が覚めて、自分は取り返しのつかないことをしたのかと思ったり、怒り、悲しみ、後悔といった感情が大荒れで大変でした」という状況になってしまったのである。


 本来、幸せをもたらしてくれるはずの宗教。

 しかし、実際は、「自分は幸せだ」という思い込みのみが与えられ、その宗教に属していない場合の方がむしろ幸せという場合が多い。

 そして、信者たちが実質、不幸せになっている分、誰が幸せになっているかと言うと、その宗教の代表や幹部たちなのである。

 人々の上に立って、敬われて自尊心を満たすことが出来るし、お金も献金等の名目で信者たちが貢いでくれる。

 K.T.さんのケースのように信者を幸せにすることもなく、ただ、「幸せだ」、「神の側にいる」等という幻想を抱かせ、迷妄の闇に縛り付けておくだけのお手軽なお仕事。

 こんなにおいしい商売は他にないであろう。


 このような、代表と幹部たちが幸せになっているだけのニセモノの宗教。そこに捕らわれている人達が一人でも多く、目を覚まされることを願う次第である。