「バスビー・ストゥープ・チェアを霊視」にツッコミ!・・・伊勢白山道さま

 教祖様の霊視によると、「バスビー・スチュープ・チェア」には、最初の持ち主の呪いの磁気が蓄積しているらしい。

●詳細&ツッコミ

 教祖様は、ある呪いの椅子をTVで見て以下のように霊視したようだ。
《2009年10月13日ブログ本文より》
 世界の不思議を紹介するTVを見ていましたら、イギリスの死を招く家具が紹介されていました。
 家具と言いましても、ただのイスです。そのイスに座りますと、数日以内に死ぬと言うのです。飲み屋に置いてあったので、多くの人が迷信だと言い挑戦しましたが、既に何十人も事故で急死しているとか・・・。現在は、博物館に在るそうです。
 
そのイスを観て感じたのは、呪いの磁気の蓄積でした。
 
おそらく最初の持ち主は、ある知人を殺したくて殺したくて何十年も、そのイスに座りながら殺人を考えていた様です。その思考から出される磁気が、イスに蓄電して行ったのです。
 その殺害欲望の磁気が、トランプのジョーカーの様な魔物をイスに引き憑けていました。
TV画面を見ている間中、笑い声がこだましていました

(注:青字にしたのは管理人)
 この、教祖様がTVで見たという椅子は、いわゆる「バスビー・ストゥープ・チェア」と呼ばれるものである。

 「バスビー・ストゥープ・チェア」は、イギリスのヨークシャー州サースクにある、座った者が悲惨な死に方をすると言う呪われた椅子で、別名、「死の椅子」とも呼ばれる。

 この椅子は元々、「バスビー・ストゥープ・イン」と呼ばれるパブにあったが、1978年に当時のオーナーが地元のサースク博物館に寄贈した。その際の条件が、「これ以上、犠牲者を出さないように、誰も座れないよう展示する」だった為、現在では展示室の壁にかけるようにして陳列されている。

 そして、この椅子が呪われるようになったきっかけは、18世紀初頭の椅子の最初の所有者トーマス・バスビーに由来していると言われており、この椅子にまつわる話は以下の通りである。
 バスビーは大酒ぐらいの粗暴な男で、ダニエル(ダン)・オーティーという男と共に贋金作りに手を染めていた。
 その後、バスビーはオーティーの娘のエリザベスと結婚するが、その時、祝いとしてオーティーから贈られたのが例の椅子であった。

 しかし、結婚してからというもの、バスビーは椅子に座りこんで酒ばかり飲んでいるようになった。娘のエリザベスに頼まれたオーティーが注意すると、贋金作りの利権や遺産問題も絡み、大ゲンカになってしまった。
 バスビーは捨て台詞を吐いて家を飛び出すと、深夜になってふらりと戻って来た。そして、手にしたハンマーでオーティーを殴り殺してしまったのだ。バスビーはその後すぐに逮捕されて絞首刑になり、遺体は街を出たところでさらしものにされた。1702年のことである。

 それから、250年後、偶然椅子を手に入れたパブのオーナーが、冗談半分で自分の店に置くことにした。すると椅子に座った人間がことごとく悲惨な死に方をするようになる。

 第二次世界大戦中、飛行場に隣接していたパブは、ロイヤルカナダ空軍のパイロットたちのたまり場になった(※当時、対独宣戦に参加する為、多数のカナダ兵がイギリスに渡っていた)。パイロットたちは椅子の伝説を聞くと、運だめしに座ってから出撃して行ったが、生還したものは誰もいなかった。

 戦後になっても、椅子の呪いは続いた。椅子に座り、店を出た直後に交通事故死した者、椅子に座ったために昼休み明けの仕事場で足場から転落して命を失った者など、椅子に座った者は次々と命を落としていった。

 最初は、ただの怪談話と笑い飛ばしていた店主も恐ろしくなり、椅子を倉庫にしまいこんだ。しかし、それでもまだ呪いは終わらなかった。
 1978年のある日、倉庫にビールを運びに来た醸造所の従業員が「素晴らしい座り心地の椅子だった」と言い残して、醸造所に帰って行った。この男が交通事故で死んだと聞いた時、オーナーは椅子を博物館に寄贈する決心をしたのだと言う。

 一説によれば、この呪いの椅子にいよる被害者は61名にのぼるとされる。
 この「バスビー・ストゥープ・チェア」について教祖様は、「おそらく最初の持ち主は、ある知人を殺したくて殺したくて何十年も、そのイスに座りながら殺人を考えていた様です」と語っている。
 この「最初の持ち主」とはバスビーのことで、殺したいと考えていた「ある知人」とはオーティーのことである。

 さて、ここからがツッコミである。

 まず、この呪いの椅子であるが、ビクトリア朝時代(1837-1901)のデザインのもので、かつ、専門家の鑑定でも製造は1840年代という結果が出ている。
 そして、上述の通り、バスビーがオーティーを殺して絞首刑になったのが1702年のことである。

 つまり、バスビーがこの椅子に座れたはずがないのである。

 よって、バスビーが最初の所有者であることを前提とした教祖様の霊視結果は、完全に誤り。教祖様はTVの内容を真に受けてしまったようだ。

 では、この椅子の呪いの話はどこから出てきたのか?

 まず、ある女性は、件のパブの主人だったイングラム氏の妻である大叔母から、パブとロイヤルカナダ空軍にまつわる思い出話を数多く聞いたらしいが、呪いの椅子や、パイロットたちがゲン担ぎに椅子に座ったという話は一度も聞かなかったそうである。

 次に、1978年に博物館に椅子を寄付した時のパブのオーナーはアーンショウ氏であるが、1968年に経営を受け継いだ時には既に、呪いの椅子の話は有名になっており、不気味に思って椅子を寄付したそうである。

 つまり、呪いの椅子の伝説は、パブのオーナーがイングラム氏の時より後、そして、アーンショウ氏になる前に作られたと言える。おそらくは、怪談好きなイギリス人が地元のバスビーの事件と結びつけて創作し、そこから尾ひれが付いていったのだろう。

 そして、その創作に一役買ったのが、でたらめを書くことで有名だったアメリカの週刊タブロイド紙『ワールドニューズ』である。

 ワールドニューズ紙の1989年の記事では、今まで61人が死亡し、1972年に博物館に寄贈されたとの話が出ているにも関わらず、翌年の記事では試しに座った記者が62人目の犠牲者になったと書き、さらに、97年には5人が死んだと書きたてている。

 博物館に寄贈された年も誤っていれば、寄贈以降は誰も座っていないはずなのに、さらに死亡者が追加されていく。ワールドニューズ紙のいい加減さが分かるというものであろう。1989年時点で死亡者が61人というのも、おそらくはワールドニューズ紙の創作だろう。

 (参考:『謎解き 超常現象U』 ASIOS・彩図社)




 以上、教祖様の霊視結果は全くのハズレ。

 そして、霊視以前に、呪いの椅子の話を真に受けて、ブログに紹介している時点で終わっていると言えよう。自ら、オカルト話の真贋を見抜く力を持っていない霊能者だとアピールしているようなものである。

 また、この事例から分かることは、
「教祖様は霊視しているのではなくて、単に想像しているだけ」と言うことである。

 想像しているだけであるから、教祖様の霊視とやらで物事の真偽を見抜くことなんかできない。
 そして、単に自分の知っている情報に基づいて想像しているだけなので、もし、自分の知っている情報がウソであっても、信じてしまえば、その情報に沿った霊視結果が出てくる。

 もし、仮に教祖様の霊視が当たることがあるとしても、それは、霊能力を持たない人の予想が当たることがあるのと同じレベルの話である。

 教祖様の霊能力とやらは、所詮、その程度のシロモノなのである。


 教祖様は、「TV画面を見ている間中、笑い声がこだましていました」などと言っているが、大丈夫か?



2010.12.25 新規

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伊勢白山道様は相変わらず、ガセネタにまんまと引っ掛かるナァ。。。

こういう真贋をきちんと見極められてコソ、真の霊能者だと思うゾ。