「論点」。広辞苑によると、その意味は以下の通りである。
「論点」(広辞苑)
別に、辞書をひも解くまでもない言葉であるが、実際のところ、この「論点」というものを分かっていない人が多いように思う。私のざっくりの感覚で言えば、世の中の3分の2以上の人は理解できていないのではないだろうか。
そのような「論点」であるが、「論点」というものは、議論においてだけでなく、物事を考える上での基礎の基礎となるものである。
例えば、もし、「論点」が分かっていなければ、ある命題が正しいか否かを考える際に、「論点」となりえないものを「論点」にして考え、誤った結論を出してしまうことになる。
結果、インチキ宗教に騙された人は、その宗教が如何にデタラメなものであることを指摘されても、デタラメな「論点」で考えてその指摘を否定し、信者で居続けるようなことが生じえることになる。
もちろん、「論点」が分かっているからと言って、常に正しい判断ができるとは限らない。
判断をする為の材料に重要なものが抜けている場合やウソの情報が紛れている場合もあるし、また、「こうあって欲しい」、「こうであったら都合がいい」等という欲で判断が歪んでしまう場合もある。
しかし、それでも、「論点」をきちんと理解できているか否かで、考える力には天地ほどの差が生じると言っていい。
当記事では、皆さんの考える力の向上に役立てることを願い、この、物事を考える上での基礎となる「論点」について解説して行きたい。
1.論点とは(具体例@・・・Xは偶数である)
「論点」の意味は、先述の通り、「議論の要点。議論すべき中心点」のことである。
残念な人は、この、「論点」の言葉の意味を知っただけで、理解できたような気になってしまうものである。
そのような人は、例えるなら、「野球のルールを知ってるだけで、実際に野球をしたことがない人のようなもの」と言える。
野球のルールを一字一句、丸暗記しただけでは、当然ながら、野球が上手くなることはない。
同様に、「論点」という言葉の意味を知っただけでは、「論点」というものをきちんと理解し、己の考える力の向上に役立てることが出来るようにはならない。
「論点」というものは、野球と同様、実際にやってみて、その概念の何たるかを理解するものなのである。(これは、考えること全般についても言えることである)
よって、以降では主に実技中心、つまりは、具体例を用いて考えながら、「論点」というものを、そして、「論点」を意識した考え方というものを見て行きたい。
それでは、まずは、次の主張を御覧いただきたい。
<主張@>
この主張ではXは不明の数であり、かつ、主張の一部、もしくは全部がウソである可能性があると考えていただきたい。
果たして、このような主張があったとして、どのような「論点」が考えられるだろうか。
通常、2で割り切れるものが偶数であることに異論はないだろう。ならば、この主張に対して、まず思い浮かぶ「論点」は、
<論点@>
となるであろう。この「論点」で議論する場合、例えば、「Xは2で割り切れない。よって、Xは偶数ではない」という主張をすることになる。
また、上記の<主張@>の構造を分析すれば、以下の通りである。
「Xは2で割り切れる」 ・・・ 根拠
「Xは偶数である」 ・・・ 結論 |
よって、先の<論点@>は、「Xは偶数である」という結論を支えている根拠の部分に焦点を当てている論点であると言える。
そして、この「論点」で議論して、「Xは2で割り切れる」ことが否定されたら根拠が否定されたことになるので、自動的に、結論である「Xは偶数である」も否定されることになる。
つまりは、議論する直接の「論点」は、「Xは2で割り切れるか否か」であるが、その背後には、「Xは偶数であるか否か」という「論点」も控えていると言えよう。
そして、<論点@>のように根拠の部分ではなく、結論の部分に焦点を当てて議論するとしたら、次のような「論点」となる。
<論点A>
これを「論点」とする場合は、「2で割り切れるからと言って、偶数とは言えない。よって、Xが偶数であるとは言えない」と主張することになる。(※この「論点」は、先程も述べた通り、通常、「論点」とされることはないが、「例」と割り切っていただきたい)
そして、仮にこの主張が通ったなら、<主張@>の結論である「Xは偶数である」は否定されることになり、一方、根拠である「Xは2で割り切れる」の方は、先程の「論点@」の時のように、自動的に否定されることにはならない。
何故ならそれは、根拠と結論とのつながりを否定しただけに過ぎないからである。そして、そのことによって、結論の方は根拠とのつながりを切られてその寄って立つ所を失うが、根拠の方は何の影響も受けないのである。
続いて、<主張@>について、他の「論点」も考えてみよう。例えば、次のようなものも考えられるだろう。
<論点B>
この「論点」で議論する場合は、「Xが2で割り切れることだけでなく、整数であることも記載すべきである。」等となる。
偶数の定義は、「2で割り切れる整数」なので、2で割り切れることしか述べていない<主張@>は、根拠として必要なものが出揃っていないと言う主張である。
そして、こちらの主張が通った場合は、<論点@>や<論点A>の時とは異なり、<主張@>の結論である「Xは偶数である」、及び、根拠である「Xは2で割り切れる」のそれぞれの内容が否定されてしまうわけではない。「不十分だ」というだけだからである。(ただし、「Xは整数である」という根拠を追加する必要はある。)
なお、もし、このような「論点」での主張がなされたら、「2で割り切れるものは整数しかないのだから、わざわざ整数であることを述べる必要はない」という反論が可能であろう。
さらに、<主張@>に対する他の「論点」としては、次のようなものも考えられるだろう。
<論点C>
<論点C>は、前後の文脈や、全体の論旨の中で、「何の意味があって、Xが偶数であることを述べるのか?」というものである。
<主張@>に対して、「論点」として考えられるのは、おおよそ、以上のようなところであろう。
それでは、今度は逆に、<主張@>に対して、「論点」となりえないものを考えて見よう。それは例えば、次のようなものがあるであろう。
<論点D>
<論点E>
<論点D>については、「Xは偶数である」という主張に対して、「Xが3で割り切れるか否か」を議論しても意味が無い。一方、<論点E>の方も同様に、「主張している人が高学歴か否か」なんて議論をしても意味がないだろう。
これらが「論点」になり得ないのは誰にでも分かるはずなのであるが、残念ながら、世の中では、このような「論点」で議論を仕掛けて来る人もいるのが現状なのである。
以上、「論点」について、まずは基本的なことを具体例を用いて説明して来た。
「簡単過ぎるよ!」と思う人が大半であると思うが、実際は、この簡単なことが分かっていない人も少なくないのである。
次に、もう少し実際的な例で「論点」というものを見て行きたい。(※(その2)に続く)
2014.03.04新規
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