『数霊に秘められた宇宙の叡智』にツッコミ!

書 名  数霊に秘められた宇宙の叡智
著 者  深田剛史 はせくらみゆき
出版社  徳間書店 5次元文庫
価 格  800円(税別)
 出版年月  2009年3月

●本書概要

 簡単に言えば、「言霊」と同じように、「数霊(かずたま)」というものが存在すると主張している本。
 ちなみに、「数霊」とは「数のもつ力のこと」のようだ(P.,025)。(※かなり、大雑把な定義だが、それ以上の定義は本書では示されていない)

●ツッコミ

 本書によれば、「言霊」と「数霊」は自由に変換可能らしく、本書に記載された方法で言葉を数に変換すると、その言葉が持つ本来の意味(「言霊」?「数霊」?)が分かるらしい。

 そして、言葉を数に変換して、その言葉の本来の意味を知る方法は以下の通り。
@ひらがなに数字が割り振られている(例えば、「あ」なら1)
A各数字には意味が与えられている(例えば、100なら、「完璧」、「完全なる」という意味。また、本書には、999までの数字の意味が掲載されている)
B言葉をひらがなに直して、@の数字で計算し、算出した値をAの意味で解釈する
 具体的には、本書では、100は「完璧な」、「完全なる」という意味をもっているとして、次のように説明している。
 「富士山」を数にしてみます。
 1−表で「フ」を探すと28が当てはまりますね。「ジ」は60です。そのようにすべての言葉を対比する数にして足してみると、

    フ=28、ジ=60、サ=11、ン=1

となり、その和は、

    28+60+11+1=100。

 「100」というのは数霊的な解釈で「満ち足りた」とか「完璧な」、あるいは「完全なる」といった意味合いになり、足りないところがない様子を表しています。

  〜(中略)〜

 「八面玲瓏」という言葉があって、どこから見ても美しいという意味ですが、この言葉は富士山から生まれました。
 つまり、富士山の姿はどの方角から見ても美しく、まさに完全なる姿です。さすが、言霊数が、「言霊数」とは言葉を数字に変換した際の数のことを言いまして、それが100になるだけありますね。
 富士山のようになれるかどうか判りませんが、気持ちだけでも美しくありたいといった「美意識」。神国日本の国民なら失わないようにしたいですが、

    ビ=70、イ=5、シ=15、キ=10

 やはり合計すると100です。
 何かの分野に精通していたり他には誰も真似できないような技を身に付けた人を「名人」と呼びますが、

   メ=34、イ=5、ジ=60、ン=1

というわけで、これも100になります。実に満ち足りていて不足のない意味合いですね。
(P.29-32)
 一見もっともらしい。
 しかし、「100」という言霊数の、まさにそのものの意味を持っている言葉である「完璧」と「完全」を教祖様のやり方に従い変換してみよう。

   カ=6、ン=1、ペ=74、キ=10 (計91)
   カ=6、ン=1、ゼ=59、ン=1 (計67)

 双方とも100にはならない。
 何故、100にならないのか。その理由は明白だろう。教祖様の言うような「数霊」や「言霊数」など存在しないからだ。


 さらに、本書の「117」の説明も見てみよう。
 「ありがとう」の言霊数は117になります。「感謝します」も同じで117。
 実はこの117が色々なことを教えてくれるんですね。

  〜(中略)〜

 「ありがとう」の言葉とその素になる感謝する気持ちを忘れた生き方を何と言うか。
 それを「恩知らず」と言います。

    オ=2、ン=1、シ=15、ラ=41、ズ=58

 これで合計117。
 「ありがとう」117の反作用とでも言いましょう、恩を忘れ傲慢に生きていた人類への警告が数霊としても現れています。
(P.43-44)
 「感謝」という言葉には「します」をプラスし、117にした上で説明。
 そもそも、「感謝」のみで117にならなければ「数霊」の説明として成り立たないのだが、そんなのは気にならないらしい。

 また、全く反対の意味を持つ「恩知らず」も同じ117になると、「反作用」という言葉を用いて強引に結びつけている。
 反対の意味をもつ言葉でも良しとするならば、結局、なんでもアリである。

 計算すると該当の数字になるものについて、

  ○そのものの意味をもつ言葉 ・・・ もちろん、OK
  ○反対の意味をもつ言葉   ・・・ 「反作用」などの言葉で説明するのでOK

である。そして、残りのどちらでもない意味のものは、上の100の記述のように、適当にもっともらしく結びつけて説明すれば良いだけの話で、要は国語力、文章力の問題。各数字に予めどんな意味を設定しようが、もっともらしく説明できてしまうのである。

 そして、これが教祖様の主張する「数霊」のカラクリの全てである。

 試しに、117になる言葉として本書で説明に用いられている言葉を(P.46〜49)、仮に100(完璧な、完全なる)になったとして説明をしてみよう。
「イザナミ」・・・イザナギと夫婦神ですが、夫と力を合わせて一つのことを成し遂げる夫婦としての美しい姿が神話には描かれ、妻の鏡であり、女性としての完璧な姿をもった神なのです。

「受精」・・・精子と卵子は、それのみでは意味をなさず、受精することによって初めて偉大な生命が誕生します。受精は、足らないもの同士が合体し、完璧な姿へと変貌する現象であると言えるでしょう。

「誕生」・・・受精して生命が誕生しても肉体はまだ出来ていません。肉体の形が完成して整ってから、この世に生れ出てくることになります。

「宝物」・・・宝物となる物は、他人にはゴミにしか見えないような物であっても、その人にとって、その物だけで完成された一個の素晴らしいものです。

「涙」・・・動物には流すことができないもので、人間にだけ与えられたものです。おかしくて泣き、悲しくて泣き、感動して泣き。涙は、動物に比べ人間が完全な存在である神に近付いた証拠であると言えるでしょう。

「純粋」・・・不純物が混じっていない完璧な状態、また、心が汚れていない、ありのままの姿の完全な状態です。

「門松」・・・正月の飾りもので、神の寄り代となるものです。神の寄り代となるものは、完全な状態でなければなりません。完全な状態だからこそ、神が寄り代とできるのです。
 結局、その言葉がどんな数字になろうが、なんでも説明できてしまうことが良く分かるであろう。
 ちなみに、これらの言葉の本書における説明は以下の通りである。
「イザナミ」・・・母神とは、“女である神”ということではありません。子を持つ女神が母神で、母になるということこそが「ありがとう」から始まります。

「受精」・・・赤ちゃんができたことでお腹を慈しみつつ撫でながら“ありがとう”。

「誕生」・・・やがてこの世に生まれ出てきてくれますね。〜(中略)〜“生まれてきてくれてありがとう”です。

「宝物」・・・母になると旦那のことなどどうでもよろしく、とにかく我が子こそが「宝物」になります。“物”ではないですが宝物です。〜(中略)〜母になれたことで自身の母に対する感謝の思いも深まり、恩の大きさ、愛の深さに「涙」を流すことでしょう。

「涙」・・・心の喜びは“笑い”で表れますが、玉し霊の喜びは“涙”で表れるのですよ。恩を知り、流した涙の理由こそが「ありがとう」と「申し訳ない=ごめんなさい」で、溢れた涙の分だけ心は「純粋」になります。

「純粋」・・・(※上の「涙」の中で一緒に説明されている)

「門松」・・・門松は新年に、“その年を司る歳神”をお迎えするための依代で、ですから、「117」はおめでたい数字でもあります。
(P.46-49)

 単なる、こじつけであって、こんなレベルの説明では、「数霊」とやらが存在することの証明には一切ならないのである。




 以上、教祖様の主張するような「数霊」など存在しないし、存在しない「数霊」に宇宙の叡智が秘められていることなどない。
 小手先のテクニックを使って、もっともらしく説明しただけの本書の内容を真剣に受け止めたりしないように。



2010.11.18 新規

こういう、もっともらしく説明できただけで、「立証できた!」って勘違いしちゃう人って多いよナ。