もっともらしいだけの根拠(その4)

 ※当記事は、記事(その1)(その2)(その3)からの続き



4.体験談による根拠

 「体験談による根拠」とは、商品やサービス等を利用した者の体験談を使用することによって、その商品等の有効性・有用性を訴えるものである。
 宗教やスピ系の場合、入信したり、教えを実践することによって、「こんな良いことが起きましたよ」という信者の体験談が使用される。

 このような体験談は、理屈や理論を飛び越えて、その有効性を読み手の感性に直接、訴えかけるものであり、それを読んだ者には、「自分も同じような体験が出来るのでは…」という期待が大なり小なり生じることになる。

 この手法は、宗教やスピ系に関わらず、商品の広告等でも良く使われるものであるが、通常、その商品等に関する否定的な体験談は使用されることはない。

 そして、都合の悪い体験談が無視され、都合の良い体験談のみが抽出されて使用されるので、「体験談による根拠」は、(その3)で説明した「部分抽出による根拠」の一類型であると言える。

 具体例を見て行こう。



<具体例その1> イハレアカラ・ヒューレン氏のCeeportグッズのケース

 ハワイに伝わる癒しの秘法「ホ・オポノポノ」を布教しているヒューレン氏は、そのHPでCeeportグッズなるものを販売している。

 そのグッズは、バッチやカード等に「Ceeport」と言う文字が記載されただけの何の変哲もないモノなのであるが、ヒューレン氏によるとそれらを持っているだけで、常に浄化され続けて、神聖なる知能からのインスピレーションを逃すことがないらしく、さらには、仏陀の悟りまで実現してくれるらしい。

 ちなみに、参考までに、Ceeportグッズなるものがどんなものであるかを知ってもらう為、グッズの一つであるシールをイラスト化してみた。
※本物とは字体が異なり、また、本物にはヒューレン氏のサインが入っている。

 こんなもので、勝手に浄化されたり、仏陀の悟りが実現したりすれば世話がないのであるが、このCeeportグッズを使用した人の体験談が以下の通りである。
『みんなが幸せになるホ・オポノポノ』(イハレアカラ・ヒューレン/徳間書店) P.149-150
 セルフアイデンティティ・ホ・オポノポノを受講しているある弁護士の男性は、「Ceeport」のシール、クリーニングカード、カード、ピンなど全製品をつかっていますが、これらを日常的に身につけるようになってから、仕事が順調に進むようになったとセミナーのクラスで報告してくれました。
 ちょっと変わったつかい方をして効果があったという人がいるので、ご紹介しておきましょう。ずっと10代の娘さんのことで悩んでいたお母さんの言葉です。
家族全員が写っている写真の裏側に『Ceeport』のシールを貼りましたかつての悩みはどこにいってしまったのかと思うほどいま娘と私は親友同士のような関係になっています
 私も「Ceeport」のピンを身につけています。とくに、旅行中や講演の際には必ずつけるようにしています。また、「Ceeport」カードを常に財布に入れて携帯していますが、
このカードは入ってくるお金、出ていくお金、クレジットカードによる出入りも含めてあらゆる金品を浄化してくれます
 さらに、
私の本棚に並んでいる何冊かの読みかけの本にも、「Ceeport」のカードが挟んであります。本が浄化されて、本当に必要な情報だけが私の目に飛び込んでくるようになりました

(注)文字に色を付けたのは管理人。以下、同様。
 ここでは、Ceeportグッズの以下のような効果が記載されている。
○仕事が順調に進むようになった
○親子関係が改善された
○金品が浄化された
○本が浄化されて、本当に必要な情報だけが私の目に飛び込んでくるようになった
 このような体験談で、まず気を付けないといけないのは、これらは主観的な情報に過ぎないと言うことである。
 つまりは、利用者が「そのような効果があったと思っただけ」の話に過ぎないのである。

 そもそも、人が下す結果の判断というものは、その先入観や期待等によって歪められてしまう傾向を持っている。別の記事で紹介した心理学の概念を再度紹介しよう。
『クリティカルシンキング 入門篇』(E.B.ゼックミスタ / J.E.ジョンソン 北大路書房) P.206-207
主観的確証
 
主観的確証とは、有利とも不利ともつかない証拠を、自分にとって有利なものとして、すなわち自分の信念を支持するものとして読みとってしまう傾向である。いいかえるなら、人はいったんある考えを受け入れてしまうと、たとえ証拠がなくても、あるいは証拠がその考えを否定するようなものであっても、証拠が自分の考えを支持しているものとみなす傾向があるのである。
 〜(中略)〜
 そういう意味で信念は、自己永続的な性質をもつといってよいだろう。
 主観的確証の一つとして
期待効果がある。これは、見ようと期待しているとその通り見えてしまう効果である。この効果を検証した興味深い実験を見てみよう。被験者に課せられた課題は、観察者としてプラナリアという扁平な虫の行動を記録することであった。被験者が観察して記録すべき行動は、プラナリアの頭が回転する回数とプラナリアの体が収縮する回数であった。プラナリアは、プラスティックの板で仕切りをされた水槽の両側に入れられていた。観察者は三つのグループに分けられ、観察前にそれぞれ別の教示が与えられた。それは、

  「回頭や収縮はたくさん見られるでしょう」(第一グループ)
  「回頭や収縮はあまり見られないでしょう」(第二グループ)
  「半分のプラナリアは回頭と収縮の発生率が低く、半分は発生率が高いでしょう」(第三グループ)

というものであった。ただ実際には、使われたすべてのプラナリアの行動には変わりはなく、観察者の期待の高低だけが違っていたのである。つまり、第一グループと第二グループは、同じプラナリアを異なる観察者が異なる期待をもって観察したものである。第三グループは、同じ観察者が異なるプラナリア(実際は差が無い)を異なる期待をもって観察したものである。この実験の結果、同一の観察者であろうと別の観察者であろうと、観察者の期待が高いと、回頭や収縮の回数が二倍以上多くの報告されていたのである。
 このように、人は、主観的確証という特性を持っているため、「ある方法を試したら、効果があった!」と言うたぐいの報告は、基本的に何の根拠にもならないと言っていい。(ただし、主観以外の客観的なデータ、例えば、「体重が何kg減りました」等と言う情報が提示されている場合は別であるが)

 ある商品について、「このような効果がありますよ」と説明された上で、その商品を使用したら、それが先入観となって、「その効果が現れた」という方向で結果を認識してしまう傾向があるからである。

 そして、
宗教やスピ系のケースでは、その傾向が特に顕著になると言っていいだろう。

 何故なら、ある宗教を信仰していること自体が、その人の人格そのものへと昇華されてしまっている場合が多く、「自分が信じている宗教が正しいもの、素晴らしいものだと思いたい」という思いが、結果の判断に色濃く影響を与えるからである。

 さて、これらを踏まえた上で、上述の体験談を再度見てみよう。

 どれも、主観的な情報しかなく、主観によって容易に歪めて認識される事象しか提示されていないことが分かるであろう(かと言って、そのような結果が無かったとも断定はできないが)。 
 特に、「金品を浄化してくれます」なんて話は、主観以外の何物でもない。

 以上、このような、結果が主観によって判断された体験談は、安易に鵜呑みにしたりせず、ある程度、割り引いて捉えるべきであると言えよう。特に、宗教やスピ系の場合は注意すべきである。


 次に、上記のような「効果があった」という類の体験談で気をつけなくてはいけないのは、
実際には効果が無いものでも提示可能ということである。

 少し考えてみて欲しい。デタラメの開運グッズを作って、試しに100人の人に一定期間、持ってもらったとする。その後、被験者の人に、そのグッズを持っていた期間に何か良いことが起きたかを聞くと、何人くらいがYESと答えるだろうか。

 当然、一人二人なんかではなく、それなりの人数がYESと答えることだろう。(そこには、偶然、良いことが起きた人、また、それまでの努力が実を結んだのが偶々その期間であった人、そして、開運グッズであるとの先入観から、出来事を歪めて捉えてしまっている人等が含まれるだろう)

 そして、それらの人に、どのような良いことが起きたかを聞いてまとめれば、どんなにデタラメな開運グッズであっても、もっともらしい体験談など簡単に出来上がってしまうのである。

 また、体験談は、試す人数が多ければ多いほど、そして、試用期間が長ければ長いほど、劇的な良いことが起きた情報が集まりやすくなる。

 つまり、実際には全く効果が無いデタラメな開運グッズであっても、効果があった思わせる体験談など、いくらでも収集することが可能なのである。

※ヒューレン氏に対してのツッコミは、以下の記事を参照
 ○「イハレアカラ・ヒューレン様にツッコミ!




 以上、上述のような体験談は、商品等の効果を証明するものではなく、その効果を客観的に判断する為の材料には一切ならないと言うことを承知しておくべきであろう。

 所詮は、効果があるかのように思わせる為の、まやかしのテクニックの一つに過ぎないのである。


 ちなみに、このような体験談を提示する側には、次の2つのゲースが考えられる。
○そのようなテクニックだと分かった上で、提示している場合

○「自分が作った商品に、効果があると思いたい」等という欲から、その欲に都合の良い情報のみを集め、かつ、「自分が作った商品を支持してくれる人を増やしたい」等という欲で、提示している場合(つまりは、欲で目が曇り、事実を客観的に把握できていないケース)
 また、当記事では、体験談について、「それを語っている本人は、ウソであるとは思っていない」という前提で論じてきたのだが、宗教やスピ系の場合は、全くのデッチ上げである可能性も想定すべきであろう。



 ※(その5)へ続く


2012.1.17新規

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