T・Tさん 目が覚めた方からの連絡集(脱・伊勢白山道)

お名前 更 新 日
T・Tさん 2012.8.7新規
<T・Tさん → 管理人 「ありがとうございます!」 2012/08/04>
(注)文字に色を付けたのは管理人
くらじさん、はじめまして。

岡山在住のT・Tと申します。

実は先日まで伊勢白山道にハマっていました。

ブログや書籍を読み、線香三本供養や感謝想起を行なっていました。

すべて自己判断、自己責任、そしてお金もかからず、しかも有料先生の末路まで記しているのを読み、「これこそ本物だ!やっと本物と巡り会えた!」と感謝すらしていました。

そしていつからか人生における悩み事などができると、ブログのコメント欄でリーマン氏に質問をするようになりました。

しかし
リーマン氏から返事をもらっても苦しい人生が楽になる事はありませんでした。

いつも「供養を重ねて感謝磁気を貯めることです。著書を何度も読み返して下さい。」というコピペの返事ばかりでした。


でも純粋に信じていたので疑問に思う事なく、線香三本供養を続けていました。

そんなある日、妻が知り合いに「どんなに頼み込んでもお金を一切とってくれない霊能者」がいるという話を聞いてきました。

そして苦しんでいる私を見かねて「あなたの人生が少しでも上向くように、その人に見てもらったら?有料先生じゃないから、問題ないでしょ?」と言われ、はじめは「いや、伊勢白山道を信仰してるから見てもらわなくてもいいよ。外にあるものに頼っちゃいかんよ!」と言ってたのですが、「これも何かの縁かもしれないじゃない!」という言葉に折れ、じゃあ見てもらうだけね、という事で見てもらったのです。

そしてその人に見てもらったところ、「
T・Tさんはとても疲れやすい(憑かれやすい)ところがありますね。変なものを寄せ付けないように御札を書きますから、いつも身に着けていて下さい。」と御札をもらいました。

私はその事をリーマン氏に質問しました。

「有料先生じゃない霊能者に見てもらいました。憑かれやすいところがあると言われ、御札をもらいました。それを身に着けておいてもいいのでしょうか?」と。

そうしたらリーマン氏から「愚かで論外。あなたは伊勢白山道をまったく読んでいません!」と返事がきました。

私は本意ではないが見てもらっただけなのに…。
あれだけ真剣にブログ、書籍を読み、実践していたのに…。

「あなたは伊勢白山道をまったく読んでいません!」と全否定の指摘に、正直腹が立ちました。

そしてあまりにも腹が立ったので
「散々な言われようですね。私は妻に頼み込まれて渋々、見てもらっただけです。それを伊勢白山道をまったく読んでいません″と言われるとは!」と返事を書きました。

そうしたら「基礎が大切と言いたかったのです。」と返事がきました。

変だと思ったのは、その返事が来たのと同時に、最初の質問と、それに対する全否定の返事のコメントが削除されてた事です。

「何もやましい事がないならコメントを削除する事はないじゃないか?」と思いました。


そして今までの自分の在り方を、よくよく振り返ってみたのです。

それで気付きました。

「外にあるものに頼っちゃだめだと思いながら、自分はリーマンという外にあるものを盲信し、依存していた!」と。

そこから「伊勢白山道とは何だったのか?」とネットで調べはじめたのです。

そしたら、それまでの間ブログや書籍を読んでいて自分の心が納得していない部分の疑問が次から次へと湧き出て来ました。

そして、くらじさんのページにたどり着き、熟読して、私の疑問は確信へと変わりました。

「金輪際、伊勢白山道とは縁を切ろう!」と決めました。

書籍や供養道具をすべて処分しました。

しかしそれからというもの、吐き気が止まらなくなり、いまだに「オエッ、オエッ」とえづき続けています。

因果関係は証明できませんが、もしかすると眷属とやらの仕業かも?と思ったりしています。

でももう目が覚めました!

くらじさんのおかげです。

これからはもう、外にあるものを盲信せずに、自分の内を見つめていこうと思っています。

このように考えられるようになったのも、くらじさんをはじめ、ネットで真実を記して下さった方々のおかげです。

本当に ありがとうございました!

長いメールになってしまいましたが、心からの感謝を伝えたくてお送りしました。

本当にありがとうございました!

______________________________________________________________________ T・T

 T・Tさんは、リーマン氏の書籍や供養道具を全て処分した後、「吐き気が止まらなくなり、いまだに『オエッ、オエッ』とえづき続けています」とおっしゃっている。

 T・Tさんが憑かれやすい体質であること(※上記の無料の霊能者の言葉であるが)を勘案すれば、リーマン式先祖供養をして引き寄せた不成仏霊が体内に入った状態であることが原因かも知れない。

 そして、リーマン氏を信じていた頃は、そのような霊と同調して違和感を感じずにいたが、おかしいと気づいて目が覚めた後は違和感を感じるようになって、それが「えづき」という形で現れているのではないかと推測する。(あくまで、可能性の一つとしてだが)

 おそらくは、脱信者した後に訪れた過渡期的な事象であり、時と共に何ともなくなるのではないだろうか。


 ちなみに、インチキ宗教から目覚めたとメールを下さる方の中に、悪夢を見て、「教祖の眷属などから攻撃を受けているのでは?」と心配して相談されるケースがよくある。

 その悪夢とは、大抵、「気持ち悪い生物が登場する不浄な世界に自分がいる」と言うものである。

 そして、そのような相談に対して私は、あくまで推測だと断った上で、「その夢は問題ありませんよ。むしろ、自分が本当に目覚めたことを示す、良い夢ですよ」と答えるようにしている。

 その方々が見た「気持ち悪い生物が登場する不浄な世界」とは、それまで自分たちがいた世界に他ならない。そのような気持悪く、不浄な世界を今までは、「神へと続く、素晴らしい世界」だと思っていたのである。

 それは、今まで、偉大で聖人のように見えていた教祖が、目覚めた後は、ただの自己チューな小悪党にしか見えなくなるのと同じことであり、また、不浄なものを不浄なものとして認識できたということは、目覚めは悪くても、実は、めでたい夢なのである。


 T・Tさんの場合も、私の推測を前提とすれば、不浄なものを不浄だと認識できたから、えづいているのであって、同調できなくなった不浄霊はいずれ出て行くのではないかと推測する。


<管理人 → T・Tさん 「RE:ありがとうございます!」 2012/08/04>
T・Tさま

はじめまして。「教祖様にツッコミを入れるページ」のくらじです。


> そうしたらリーマン氏から「愚かで論外。あなたは伊勢白山道をまったく読んでいません!」と返事がきました。
>私は本意ではないが見てもらっただけなのに…。
>あれだけ真剣にブログ、書籍を読み、実践していたのに…。
>「あなたは伊勢白山道をまったく読んでいません!」と全否定の指摘に、正直腹が立ちました。


彼はよく、「依存してはいけない」などと言いますが、他の信者の人たちを見ていれば分かる通り、彼に事ある毎に質問して頼り、依存しているにも関わらず、基本的にそれを戒めることはありません。

結局、彼
は、「自分が中心にいて注目されたい。他から称賛されたい」という思いで行動しているので、他から依存されるのが嬉しくてしようがないのです。
その反面として、信者が自分以外のものに頼ることが許せないので、T・Tさんのような行為をすると、もう、反射的に怒りがこみ上げて来て自制が出来ないのです。


>変だと思ったのは、その返事が来たのと同時に、最初の質問と、それに対する全否定の返事のコメントが削除されてた事です。
>「何もやましい事がないならコメントを削除する事はないじゃないか?」と思いました。

おそらく、それ以前のやりとりを見られて、自分に分が悪いやりとりであることを他の信者たちに知られるのが嫌だったのでしょう。

彼の本心は上述の通りであるからこそ、自分に都合の悪い内容のコメントは他からは見えないようにして、情報を隠ぺいします。
自分はあくまで称賛される対象でなければならないからであり、それに反する情報を信者たちに見せたくないからです。


視えもしないものをさも視えるかの如くふるまい、自分が如何にすごい能力者であるかをアピールする。
また、人々の為に、世の中の為にブログをやっていると主張する。

もう、すでにお分かりのことだと思いますが、彼は他人の為ではなく自分の為にブログをやっています。
「自分が中心にいて注目されたい。他から称賛されたい」という欲の為に。

上辺だけの言葉でどう飾って偽ろうが、結局は、T・Tさんが経験したような彼の行動が、彼の本当の目的を示してしまっています。

彼の上辺だけの言葉に騙される人が少なからずいることは非常に残念なことですが、T・Tさんのように時間が経てば気づく人がいるのも確かであり、その気づきにウチのHPが少しでもお役に立てたかと思うと嬉しい限りです。


くらじ

<管理人補足等>

 他の記事でも書いたが、愛だ、慈悲だ、感謝だ、平和だ、神の為だ、世の為だ、人の為だ等と美辞麗句を並べ立てる教祖や自称霊能者が多いが、そのような人物は、逆に気をつけた方が良い。

 彼ら自身の中でそのような言葉が軽いから、ポンポンと連発できるのであり、実際は、そのような概念に従って行動していないことが多いからである。

 また、彼らは、そのような言葉を発することによって、他人と共に、自分自身をも騙す。

 そのような言葉を発している自分に酔い、「ああ、こんな素晴らしい概念を推奨している自分は、何て素晴らしい人物なんだ」と自己満足しているのである。

 そして、そのような言葉を発して自己満足して終わってしまうから、実際の行動は伴わない。

 例えば、「感謝」を推奨しているリーマン氏のように、少しでも自分に疑問や否定の言葉が向けられれば、過剰に反応し、「おたがいに地獄の閻魔大王に判断してもらいましょう」などと、「感謝」とは程遠いケンカ腰の言葉が飛び出して来ることになる。(※参考:記事「「批判者には信じてくれるなと言いたい」にツッコミ!」)。

 なお、彼らも、一時的に、行動を伴っているフリをすることはあるが、それも、「自分は、きちんと行動が伴っていますよ」とアピールしたいが為の行為であり、結局は、自分と他人を騙す為に行っているのである。

 そして、そのような行動は一時的なものに過ぎず、決して、首尾一貫した行動が取られることはない。

 結局のところ、「言行一致」、「首尾一貫した態度」が、本物と偽物を見極める上での重要なポイントだと言えよう。


 決して、上辺だけの言葉のみで、判断したりしないよう気を付けたいものである。