「未来は白紙で、予知は無理」にツッコミ!・・・伊勢白山道様 |
教祖様によると未来は白紙で、予知は無理らしい。
(※当記事の内容は一部、記事「『内在神への道』にツッコミ!」とカブリます。)
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●詳細&ツッコミ |
教祖様は以下の通り、「未来は白紙で、予知は無理」だという立場を取っている。
『内在神への道』 伊勢白山道・ナチュラルスピリット(P.208)
Q・・・未来予知は可能?
A・・・私は無理だと思います。理由は努力で変わるからです。中には、努力できるか、しないかまで運命で決まってると言われる方もいますが、無理がありますね。もし未来が確定しているなら、我々は映画フィルムの1コマで、無限ループしているだけですね。そこには、感動がないです。
(注)文字に色をつけたのは管理人(以下同様) |
何故、「未来が確定している」と、「無限ループしているだけ」になるのか理解不能だが、とりあえず、そこはスルーしておこう。
また、他にも次のような発言もある。
《2011年3月26日ブログ コメント欄 13:43:48》
2大地震の警告6月9月という限定がはずれたのはなぜでしょうか?
。。。絶えず、生きる人間の思いが干渉するからです。未来は白紙です。
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上の引用と合わせると、人々の努力で未来は変わり、また、生きる人間の思いが絶えず干渉するから、「未来は白紙」で、「未来予知は無理」だと言うことらしい。
そして、基本的には、教祖様はこのスタンスを貫いている。特に「未来は白紙」は教祖様のブログで以下の通り、頻繁に使用される言葉でもある。
《2011年4月1日ブログ本文》
だから、災害からも目をそらしてはダメなのです。
大震災後の時間が経過しても、防災意識を維持して生きれば、大難は無難へと改善されて行きます。未来は白紙なのです。
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《2011年1月28日ブログ本文》
新燃岳の噴火が九州だけで収まらずに、太平洋側に沿って北上し、伊勢の深奥下を通過して富士山に通じれば大変です。
火山の動きが北上を始めるサインは、紀伊水道の海底での温度変化が起こり、鳴門海峡の渦潮に変化が起こると神示は示します。
逆に良い意味では、新燃岳の噴火が大きなガス抜きと成り、日本列島を静かに鎮めることも可能です。
未来は白紙です。未来はリアルに、生きる人間の心と連動をしています。
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《2010年11月27日ブログ本文》
霊的な意味では、偶然とは無いのです。そう成るべくして成るのです。
偶然=必然(必ずそう成ること)なのです。
ここで勘違いするのは、未来も必然で決まっていると思うことです。未来は白紙です。
過去と今の自分の思いと行動が、偶然という必然を未来に呼びます。だから今、現状への感謝の磁気を置いて行くことは、とても大切なのです。これから良い偶然を呼んで行くことに成ります。
だから偶然は、自分で創造できるわけです。
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※ここに挙げたのは、一部のみ。
さて、以上のように、「未来は白紙で、予知は無理」という立場を取っている教祖様だが、一方で、次のようなことも言っている。
『内在神への道』 伊勢白山道・ナチュラルスピリット(P.310)
ノストラダムスが観たヴィジョンをリーディングしたところ、観えた光景は、現代のジャンボ・ジェット機を真下から見る光景一場面のみが観えました。〜(中略)〜私には、彼が見たのは911テロだったのではと感じています。 |
これは、ノストラダムスの有名な「1999年7の月に恐怖の大王が云々」の予言詩についてのリーディングである。
そして、教祖様は、ノストラダムスに9.11同時多発テロが観えていたことにしてしまっている。
「未来は白紙で、予知は無理」なはずなのに、ノストラダムスには未来が観えていて、9.11同時多発テロを予言できていたことにしてしまう教祖様。
また、他にも次のような発言もある。
《2011年4月7日ブログ本文》
聖書の黙示録にも、今の原発の記述が有ります。
6個のカギと、7個めのカギとして示唆されています。福島原発に6基、親玉のモンジュが7基目です。
ではどうなるのか?
まあ結局は最後は、すべてが神意に沿った偶然であり、大丈夫となり世界平和が到来するのです。
ただ、その前に人間は今より捨てる物がたくさんあり、改心して素直に成る必要があるだけなのです。
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教祖様の言う「聖書の黙示録」とは、キリスト教の予言書である『ヨハネの黙示録』のことである。
そして、「6個のカギと、7個めのカギとして示唆されています。福島原発に6基、親玉のモンジュが7基目です」と、『ヨハネの黙示録』が、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震で発生した福島原発の事故を予言できていたことにしてしまう教祖様。
ちなみに、教祖様は「6個のカギと、7個めのカギ」などと言っているが、そんなものは『ヨハネの黙示録』には登場しない。おそらく、「封印」の間違いであると思われる。
「未来は白紙」とか、「未来予知は無理」などと言いながら、一方で、ノストラダムスや『ヨハネの黙示録』は未来予知ができたことにしてしまう教祖様。
ぜんぜん、白紙じゃないし、未来予知もできてるじゃねーか!!
さらに、『ヨハネの黙示録』については、教祖様は次のようなことも言っている。
《2011年1月23日ブログ コメント欄 2011-01-24 00:05:26》
リーマン様こんばんは いつもありがとうございます。聖書にあるヨハネの黙示録について質問させてください。
1 ヨハネが天の御使いから啓示をうけて書いたといってますがこの天の御使いとはズバリリーマンさんの事ですか?
。。。一部に私も干渉しました。他の聖霊も関係します。
2 ヨハネ以外にも他の預言者も啓示を受けたりしてますが、ヨハネ以外にも関わった人はおられますか?
。。。宗派を問わず、たくさんの指導者に干渉しました。今回の私の受肉は、久方ぶりでした。
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『ヨハネの黙示録』の作成にあたって、教祖様も、天から干渉していたらしい。
つうことは、教祖様たちがヨハネに、未来に起こることを教えていたワケですな。
まったく、何を言っているのやら・・・
呆れる限りだが、次に、何故、こんな矛盾したことを平気で主張できるのかを考えてみよう。
結論から言えば、それは、教祖様の「未来は白紙」とか、「未来予知は無理」などと言う主張は、上辺だけの建前に過ぎず、また、その時の状況に応じて、自分に都合の良いことを言っているだけだからである。
要は、単なるご都合主義なのである。
<ご都合主義>
言動や主張に一貫性がなく、その時々の当人の"ご都合"(=その場の状況や雰囲気)に流されて行動する様のこと。(参考:Wikipedia「御都合主義」)
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例えば、自分が未来予言をした時は、「絶えず、生きる人間の思いが干渉するからです。未来は白紙です」などと言う。そう言っておけば、予言が外れた時の保険となって都合が良いからである。
そして、そのような保険をかけた上で、もし、予言が当たった時には、それが如何に漠然として、どうとでも解釈できるような内容でも、得意げに「当たりましたよ!」とアピールする。(※参考:記事「「『予言が当たりましたよ!』アピール」にツッコミ!」)
一方、「ノストラダムスの予言詩の内容が、自分には分かりますよ〜」とか「『ヨハネの黙示録』が何を予言していたか、自分には分かりますよ〜」とアピールしたい時には、「未来は白紙」とか「未来予知は無理」などと言った概念のことは忘れる。
「自分が優れた霊能者であることをアピールしたい」などという欲求が前面に出てきて、自分のスタンスであるはずの「未来は白紙」とか「未来予知は無理」などと言う概念は、その欲求の影に隠れてしまうからである。
これを「ご都合主義」と呼ばずに何と呼べばいいのだろうか。
このような考え方をする人間など、世に掃いて捨てる程いるが、教祖様もそのような人間の一人に過ぎない。
そして、そのような、ご都合主義的な考え方をし、首尾一貫した主張のできない人間が、真実に辿りつけている、もしくは、真実に近い所にいるなど、絶対にありえないと言えよう。
「自分の都合の良いものだけ見え、都合の悪いものは見えない」、そのような、目にゴミが入った人間なのだから、物事をありのままに見ることさえできない。
そして、ありのままに見ることができないから、自分が優れた霊能者、人格者だと勘違いし、あまつさえ、人々や世の中を導こうとし出したりする。
そんな教祖様には、聖書の次の言葉を送ろう。
『マタイによる福音書』 7章3-5節
何故、あなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁(*)には気がつかないのですか?
兄弟に向かって、「あなたの目のちりを取らせてください」などと、どうして言うのですか? 自分の目には梁があるではありませんか。
偽善者たち。まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。
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(*)「梁(はり)」・・・建物の水平方向に架けられ、床や屋根などの荷重を柱に伝える材のこと。
2011.4.20 新規
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