『数霊 エビス開国』にツッコミ!(その1) |
書 名 |
数霊 エビス開国 |
著 者 |
深田剛史 |
出版社 |
今日の話題社 |
価 格 |
1,600円(税別) |
出版年月 |
2010年7月 |
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●本書概要 |
トンデモ歴史観に基づいて展開される霊的経験の数々。
古代史から消され隠ぺいされたエビス神の正体が明らかに!?
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●ツッコミ |
本書は小説であり、ツッコんだところで、「いやいや、所詮、フィクションですから」と言われて徒労に終わりそうではある。
しかし、この「数霊シリーズ」の一連の小説は、教祖様がエジプトのナイル川で見たと言う「ナイルの予言」に従って、どのようなことを成してきたのかを知ることができるものであり、教義上の重要度も高いと思われる。
だとしても、結局、小説であって、どこまでが事実で、どこまでがフィクションであるのか分からないのが難点ではあるが、以下では主に、教祖様の事実認識の誤りを中心にツッコんで行きたいと思う。
本書はその題名に「エビス」という言葉を含んでいる通り、「エビス」のことが随所に出てくるのだが、教祖様は以下のような歴史観を持っているらしい。
12部族を統一して国家の首都をエルサレムに定めたダビデ王。しかしその地には古くから他の民族が暮らしていた。
王は彼らも王国の支配下に置くことを望んだが、当時としては高度な技術を有する彼らはそれを拒んだ。
このままではエルサレムを独占することはできない。
やがてダビデ王は武器を携えた軍隊を送り込み、住民たちを迫害するようになった。
3000年も昔からこんなことをくり返しているのだ、あの地は。
ダビデ王が世を去りソロモン王の時代になるとさらに住人への痛めつけは激しくなり、王は遂にエルサレムを我が手中に治めることに成功した。
住人たちにとって選択肢はもはや残されておらず、奴隷となる前に逃げ出すしかない。
幸いにも彼らはダビデ王から迫害を受ける以前からペルシア湾に面した地域のイシン王国建設に携わっており、海洋民族として航海技術にも長けていた。
そのため、エルサレムを脱出した人々は海南シルクロードと呼ばれる海の道を東へ東へと進み、驚くほど短期間のうちに極東の島国(※管理人注:日本のこと)へと辿り着いた。〜(中略)〜
エルサレムを追われこの地までやって来た優秀な民族、その名をエブス人という。(P.16-17)
(注)青字にしたのは管理人(以下同様) |
どうやら、3000年前にイスラエルの地にいたエブス人が、イスラエル王国のダビデ王やソロモン王の迫害を受けて日本へと逃げて来たらしい。
なかなかのトンデモ説である。
確かに、ダビデ(前1000年〜前961年頃)がエブス人からエルサレムの地を奪ったことは旧約聖書にも記載されているが(サムエル記下5章4-10節)、一方、ソロモン(前1035年〜前925年頃)については、エブス人を他の民族と共に賦役奴隷として徴用した話があるのみである(列王記上9章20-21節)。
なぜ、このエブス人が日本にやってきたことになるのか。
その根拠を確認するため、参考文献としてあげられている『七福神信仰の大いなる秘密』(久慈力・批評社)を確認すると次のように記載されている。
『七福神信仰の大いなる秘密』 久慈力・批評社
エブスとエミシ メソポタミアのエルサレムを含むカナンの地などに住んでいたエブス人は、イシン王国の建設にかかわり、南海シルクロードへ進出、インドから極東へも到達した。紀元前10世紀以前から中国や日本にも上陸し、中国ではカルデア人などとともに、殷王国に濃厚な影響を与えている。日本列島でも、青銅器、鉄器などで縄文文化に痕跡をとどめている。
エブス人は、その後、メソポタミアではイスラエル王国のダビデ、ソロモンによって征服・支配され、ヒッタイト人と同じく、タルシン船の奴隷船員として、日本へも連れて来られ、縄文人に対する植民地経営に利用された。一部は、植民地から先住民居住地へ脱出し、先住民と混血し、ユダヤ人から独立して小王国を建設したと考えられる。
日本列島に進出したユダヤ支配層は、メソポタミアでも侮蔑的に使っていたエブスという言葉を、日本先住民をさげすむ言葉として使ったと考えられる。これがエブス、エビス、エミシ、エゾの語源となったと思われる。(P.50-51) |
教祖様の話は、基本的に久慈氏の説の受け売りであることが分かる。
異なる点と言えば、久慈氏が、ソロモンの時代には、エブス人は奴隷船員として日本に連れて来られたことにしているのに対して、教祖様は、エブス人が迫害を逃れて自分たちで日本に渡来したことにしている点である。
どういう理由で、このような変更をしたのか不明であるが、久慈氏の方が、エブス人を賦役奴隷として徴用したと記している旧約聖書の記述に近いと言えるだろう。
しかし、この書籍でもトンデモ説が既成事実として記載されているだけで、その妥当性の検証が不能である。さらに、詳細な情報が記載されているという、『蝦夷・アテルイの戦い』(久慈力・批評社)に遡ってみたが、やはりここでも検証不能。
分かったことは、エブス人が日本に渡来したという説の言いだしっぺは、どうやら鹿島f氏で、『倭人と失われた十氏族』(新国民社)に記載されているらしいと言うことだけである。
まあ、トンデモ根拠のトンデモ説が記載されているだけであろうから、ここで調査は中止した。
おそらくは、「『エブス』と『エビス』という言葉が似ている」という安易な発想がこの説の始まりであり、そこに多くの想像を付加して作り上げた説であると思われる。
また、久慈氏は「日本列島に進出したユダヤ支配層は、メソポタミアでも侮蔑的に使っていたエブスという言葉を、日本先住民をさげすむ言葉として使ったと考えられる。これがエブス、エビス、エミシ、エゾの語源となったと思われる」とも述べているが、そんな主張など成立しえない。
なぜなら、「エビス」は、エミシ→エミス→エビスと変化したもので、エビスが一般的になったのは平安時代初期だと考えられており、また、「エゾ」は平安中期以降に用いられるようになった言葉であるからである。(参考:『日本語源大辞典』 前田富祺(監修)・小学館)
よって、もともとあったのは「エミシ」という言葉のみで、エブス人に対する呼称が「エブス、エビス、エミシ、エゾの語源になった」などということはありえないのである。
なお、久慈氏のこのような説など、学者はもちろんのこと、まともな歴史家の誰も相手にしていない。
そして、教祖様は、このトンデモ説を真に受けて、どんどん想像を膨らませていく。
大和朝廷は、目障りな諏訪王朝を潰し、さらに建御名方神を御柱でもって地の底に封じ込めることでエビスの名の継承を絶つことに成功した。
陰では細々と受け継がれている血筋も、表舞台では建御名方エビスで途切れたのだ。
ということは、建御名方神はエビス王としてのラスト・エンペラーか。(P.27)
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健太も強く感じるものがあったが南虹のそれとは違い、2千数百年後に葬られたイザナミの8人の子供の、その父親の姿を・・・・・・・・・。
つまりそれはイザナミの夫。
その者こそがエビス神だったのだ。
だが、後にやって来たイザナギで表わされる者にすべてを奪われた。漁に出ている間に国が奪われたのだ。
国といっても小さな村の集合体なので、武器を携えた屈強な男たちが大勢でやって来ればそれでもうお手上げである。
おそらくこのエビス神、対馬から3000年前に上陸したエブス人たちがやがて土着民たちと交わり、それでもエブスの血筋を護りつつ国造りに励んだ一人なのであろう。
もちろん神話にそんな話は出てこない。
イザナミに夫がいたのでは都合が悪いので子供にしてしまった。しかも背骨がなく、3年経っても立ち上がることができない障害児にだ。〜(中略)〜
ヒルコとして描かれているのはイザナギとイザナミの子供ではなく、実はイザナミの夫であり、血筋がエブス人ということで抹殺されたのだ。(P.71-72)
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なるほど。エビス神といっても3000年前対馬に上陸したエブス人から西宮の“えべっさん”までみなエビス神だし、諏訪大社の建御名方神もエブスのラストエンペラーでやっぱりエビス神だ。諏訪大神建御名方刀美恵美須尊という。(P.84) |
日本神話のイザナミにイザナギより前に元夫がいたことになって、それがエブス人。そして、この元夫が神話上は子供のヒルコとして描かれたことになる。さらに、エブス人が諏訪王朝なるものを作っていたことになり、神話上、天孫が大国主神に国譲りを迫った際、最後まで抵抗した建御名方神もエブス人になっている。
根拠脆弱とさえも言えないようなトンデモ説をスタートに、連想ゲーム的な安易な発想でさらなるトンデモ説が広がっていく。
単なる妄想に過ぎないのだが、これで、自分の中では確信にまで到達してしまうのが怖いところであると言えよう。
(その2)へ続く。
2010.12.08 新規
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ま、教祖様の霊能力が根拠なんだろうけどナ。
小説の形にしたのは、自信がないからカ? |
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