『数霊 エビス開国』にツッコミ!(その2) |
書 名 |
数霊 エビス開国 |
著 者 |
深田剛史 |
出版社 |
今日の話題社 |
価 格 |
1,600円(税別) |
出版年月 |
2010年7月 |
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●ツッコミ |
当記事は(その1)からの続きであるが、こちらでは、本書に対する個別のツッコミをしていきたい。
まずは伊弉諾神宮から南北と東西の日の出と日の入り、冬至の日の出と日の入りを示すラインだ。
夏至の日の出ラインは伊弉諾神宮から北に29度30分傾いて東北東に伸びており、ライン上には信濃の諏訪大社が、出た、諏訪だ。
夏至の日の入りラインも29度30分の傾きで西北西に伸びているが、出雲大社と日御碕神社が。ほら、今度は出雲だ。
冬至の日の出は28度30分の角度で東南東に向かい、熊野那智大社を通っている。〜(中略)〜
そして冬至の日の入りは28度30分西南西に向かい、高千穂神社と天岩戸神社を通っている。(P.94)
(注)青字にしたのは管理人(以下同様) |
教祖様によると、淡路島の伊弉諾神宮を起点に、諏訪大社などが上記の通りのライン上にあるそうなのだが、どの程度、正確であるかを検証してみた。
まず、諏訪大社からである。諏訪大社は以下の通り、4つの宮から成っているので、それぞれについて、伊弉諾神宮からの方位角を求めた。なお、方位角とは北を0度として、時計周りに東なら90度、南なら180度になる角度のことであり、夏至の日の出ラインの方位角は60度30分(90度-29度30分)になる。
出発点 |
到達点 |
方位角 |
伊弉諾神宮 |
上社本宮 |
59度13分35.60秒 |
伊弉諾神宮 |
上社前宮本殿 |
59度26分15.15秒 |
伊弉諾神宮 |
下社春宮 |
57度35分47.30秒 |
伊弉諾神宮 |
下社秋宮 |
57度46分35.42秒 |
※方位角は、「測量計算(距離と方位角の計算)」のPGMを使用して計算
<参考:各神社の座標>
地点名 |
緯度 |
経度 |
伊弉諾神宮 |
北緯34度27分25秒 |
東経134度51分19秒 |
上社本宮 |
北緯35度59分41秒 |
東経138度7分21秒 |
上社前宮本殿 |
北緯35度59分17秒 |
東経138度8分12秒 |
下社春宮 |
北緯36度4分44秒 |
東経138度5分7秒 |
下社秋宮 |
北緯36度4分19秒 |
東経138度5分40秒 |
※緯度経度の算出は、「MAPPLE 地図」を使用。それぞれ本殿の座標となる。
最も60度30分に近いのが上社前宮本殿で、誤差は約1度。
次に、出雲大社と日御碕神社である。夏至の日の入りラインの方位角は299度30分(270度+29度30分)になる。
出発点 |
到達点 |
方位角 |
伊弉諾神宮 |
出雲大社 |
298度26分21.77秒 |
伊弉諾神宮 |
日御碕神社 |
298度32分32.84秒 |
<参考:各神社の座標>
地点名 |
緯度 |
経度 |
出雲大社 |
北緯35度23分56秒 |
東経132度41分17秒 |
日御碕神社 |
北緯35度25分36秒 |
東経132度37分55秒 |
こちらも、約1度の誤差。
次に熊野那智大社の冬至の日の出ライン。方位角は118度30分(90度+28度30分)である。
なお、現在の熊野那智大社は1889年の大水害により移転したものなので、移転前の座標でも検証した。
出発点 |
到達点 |
方位角 |
伊弉諾神宮 |
熊野那智大社 |
132度12分22.61秒 |
伊弉諾神宮 |
熊野本宮大社旧社地 |
129度00分41.66秒 |
<参考:各神社の座標>
地点名 |
緯度 |
経度 |
熊野那智大社 |
北緯33度39分56秒 |
東経135度53分35秒 |
熊野本宮大社旧社地 |
北緯33度49分50秒 |
東経135度46分36秒 |
旧社地でも、11度30分の誤差。かなりひどい。
最後に、高千穂神社と天岩戸神社で冬至の日の入りライン。方位角は241度30分(270度-28度30分)になる。
出発点 |
到達点 |
方位角 |
伊弉諾神宮 |
高千穂神社 |
240度27分27.73秒 |
伊弉諾神宮 |
天岩戸神社 |
240度29分12.54秒 |
<参考:各神社の座標>
地点名 |
緯度 |
経度 |
高千穂神社 |
北緯32度42分12秒 |
東経131度18分12秒 |
天岩戸神社 |
北緯32度43分52秒 |
東経131度21分11秒 |
これは、約1度の誤差。
以上、熊野那智大社以外は、「ライン上にある」と言って良いレベルであろう。
しかし、11度30分も誤差のある熊野那智大社も含めてしまうところに、教祖様のいい加減さがにじみ出ていると言えよう。
また、そもそも伊弉諾神宮はその名の通り、イザナギを祀る神社である。教祖様によれば、イザナギはエブス人の諏訪王朝を潰し、王から妻のイザナミを奪ったことになっている。
そのイザナギを祀る神社から見て、夏至の日の出の方向に諏訪大社が配置されているということに、教祖様は自説との矛盾を感じないのであろうか。
「ですがね、面白いのは厩戸皇子という名前ですね。どうして“厩戸”なのでしょうか、はい、あなた」
先ほどの女性を南虹が指名した。
「生まれたのが馬小屋だからとか、お母さんが小屋の戸にお腹をぶつけたら急に産気付いちゃったから」〜(中略)〜
「太子の母、間人皇后は夢の中に救世観音さんの化身と名乗る僧侶が現れ、太子の受胎を知らされたという話が残っています。〜(中略)〜
「海外にも同じような話がありますね。新約聖書に。マリアの夢に天使ガブリエルが現れ受胎を知らせた。そして生まれたのがイエス・キリストです。キリストはどこでうまれたのでしたか?」。
みんな判っているのに誰も答えなかった。〜(中略)〜
そう、気づいたのだ。
・馬小屋
・母は夢の中で受胎を知る
・生まれた子は聖者となり、その死については大きな謎が残る。
他にもあり、キリストは父も本人も大工ということになっているが、太子も「大工の祖」と呼ばれている。(P.132-133) |
イエス・キリストが馬小屋で生まれたとして、聖徳太子の誕生時の話と結びつけている。
これは、よく耳にする話ではあるが、「イエス・キリストが馬小屋で生まれた」というのは実はガセネタである。
イエス・キリストが生まれた場所は、本来は「家畜小屋」と訳すべきものであるが、日本では「馬小屋」と訳され、それが広まってしまった。
また、イエス・キリストの誕生の様子が詳しく記載されているのは「偽マタイ福音書」であるが、そこには牛とロバは出てきても馬は登場しない。
そして、この「偽マタイ福音書」の記述から、西洋キリスト教世界では、イエスの誕生をテーマにした絵画等が描かれる際は、牛とロバが描かれるようになった。
イエス・キリストが馬小屋で誕生したと思っているのは、現代の日本人だけなのである。
「アシュケナジーは古代エルサレムと関係ないことは知っているよね」
「詳しくはありませんが、少しは」
ユダヤ人は大きく分けて3系統あり、19世紀末までヨーロッパ及びロシアに住んでいたユダヤ人をアシュケナジーと呼ぶ。
ヨーロッパの中でもスペイン系はスファラディと呼ばれ、中東・アジア系ユダヤ人をミズラヒと呼ぶ。全ユダヤ人の80%以上を占めているのがアシュケナジーだ。
「エルサレムとは関係なかったアシュケナジーにここは乗っ取られてしまった。けど、いよいよそれを正す時が来たわ」(P.279) |
「アシュケナジーが古代エルサレムと関係ない」と言っているが、これはウソ。
この話の元ネタは、アシュケナジーの先祖はカザール王国の人々であり、古代ユダヤ人と血がつながっていないと言うアーサー・ケストラーが唱えた説である。
それを、宇野正美氏が日本に紹介して、ユダヤ陰謀論と共に広まった。ユダヤ陰謀論者にしてみれば、今日のユダヤ人の大多数を占めるアシュケナジーが「実は、ユダヤ人の血を引いていない」という話が、都合が良かったからである。
しかし、実際には、遺伝子調査の結果から、アシュケナジーがカザール王国とは関係ないこと、及び、スファラディ同様、ユダヤ人の血を引いていることが確認されている。
以上、どうやら、教祖様は、トンデモ系の本をよく読んでおり、しかも、その内容を大いに真に受けてしまっているようだ。
(その1)に記載した久慈力氏なども、脆弱な根拠に己の思想と主義に則った想像を付加して、恣意的な妄想古代史を作り出している人である。
また、本書で参考文献の一つとしてあげられている『聖書は日本神話の続きだった』(佐野雄二・ハギジン出版)は、「日本トンデモ大賞2009」にノミネートされ、一票差で惜しくも大賞を逃したというシロモノである。トンデモ本でもかなりのレベルのトンデモ本であると言えよう。
2010.12.08 新規
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トンデモ本を読むのもいいが、マトモな知識や判断力を身に付けてからにした方がいいゾ。 |
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