人はどのようにして盲信・狂信に至るか(その3)

 ※当記事は(その1)(その2)からの続き。



2.信者が信仰を否定する事実に接した場合、どう対応するか

(3).「確信」を揺るがすモノへの攻撃

 「大天使ミカエルの生まれ変わりが、教団幹部から教祖の子供に変更になった」という事実を安易に受け入れ、信者で居続けることを選んだAさん。

 その半年後、教団内部で信仰に対する動揺が起きることになる。
<例>信者Aさんのケース4 (※続き)
 その半年後、再び、Aさんの確信を揺るがす事態が発生した。

 幹部のBさんが退会したのも少なからず動揺したのだが、退会後、しばらくして、週刊誌で、教祖についての暴露をし出したのだ。
 Bさんは、教団の立ち上げ当初から活躍していた幹部で、当初は大天使ミカエルの生まれ変わりとされていた人物であった。

 そして、その暴露内容は、教祖が信者からお布施と称して巻き上げた金で、ぜいを尽くした生活をしていること、ある女性幹部が教祖と不倫していること、また、教祖の傲慢でデタラメな性格などであった。

 元幹部のBさんは、Aさんも良く知っており、他の信者からの信頼も厚かった。そのBさんの暴露にAさんは見て見ぬフリもできず、「本当に教祖様はホンモノなのだろうか」、「この教団にいて本当に良いのだろうか」と疑念が渦巻き始めた。他の信者たちも少なからず動揺しているようである。
 教団の内情を良く知る人物が、雑誌やインターネットで暴露を始め、教団や教祖を糾弾し出すのは良くあることである。

 そして、
<例>信者Aさんのケース5 (※続き)
 教祖の暴露話が掲載された雑誌が発売された当日、教団はすばやく見解を発表した。さすがに、信者の動揺も大きかったからだろう。

 その概要は次のようなものであった。
○元幹部Bの発言内容は、全てデタラメであること
○名誉棄損で告訴する準備を始めていること
○元幹部Bは、自分が大天使ミカエルの生まれ変わりでなかったことに不満を持ち、その心の隙に悪魔に付け入られた。今は、悪魔に完全に支配された状態で、神の教えを広めるのを邪魔しようとしていること
○悪魔の行いに加担する雑誌社もやはり、悪魔の支配下にあること
 この発表がなされ、信者たちには安堵が広がり、次のような会話がなされた。

 「Bさんでさえ悪魔に乗っ取られるなんて、我々も気を付けなくてはいけないね」

 「そうですね。我々信者一人一人が心を引き締めて一致団結し、この法難に立ち向かって行かなくては。決して、悪魔の好きにさせてはいけない」

 「しかし、自分が大天使ミカエルの生まれ変わりでなかったことを逆恨みして、教祖様を貶めようとし出すなんて、Bさんは許せないね」

 また、信者たちの中には、出版社に電話をし、直接怒りをぶちまける者もいた。

 「あんなデタラメな記事を載せるなんて、無責任にもほどがある!あの記事で傷ついている人がどれだけいると思っているんですか!?」

 「あなた方は、自分たちがどれだけの悪行をしているのか分かっているんですか!?救世主の邪魔をし、真理を広がる妨げになっているのですよ!早く、目を覚まして下さい!!」


 そして、このような他の信者たちの対応を見て、Aさんも心の動揺がおさまり、次のように考えた。

 「いい加減な雑誌の記事に動揺してしまうなんて、私もまだまだ修行が足りない。こんなことでは、いつまで経っても教祖様のお役に立つことは出来ない。もっと、修行して強い信仰心を培わねば・・・」
 上述のように、退会後に教団の批判を始めた元信者に対して、教団側が「悪魔に支配された」などと批判することは良くあることである。

 また、上記の例では、雑誌社も悪魔の支配下にあると主張しているが、このような主張を繰り返すことによって、教団内では次のような認識(=常識)が醸成されることになる。
○教団内 = 善、神の側、安全、優位
○教団外 = 悪、悪魔の側、危険、劣位
 よって、そのような認識を持った信者達からすれば、外から教団を批判する者は悪なのであり、また、教団から自分たちを引きはがそうとする者は、たとえ、自分の家族であれ、それは悪魔に支配された者の行動と映ることになる。

 さらには、信者達は、教団外の人達が知らない真理を知り、かつ、それを実践していると思い込んでいるから、自分達が善の側に立ち、かつ、真理の実践者としての自負もある。

 そして、その自負がもたらす優越感から、やはり、教団外からの説得に耳をかさないようになる。信者達からすれば、所詮は、真理を知らない劣位者たちの戯言に過ぎないのである。


 当然ながら、このような優越感を持っている者は、自分の「確信」を守るだけでなく、この「優越感」を守っていたいという「欲」も生じるようになる。

 だからこそ、上記のような「今は、悪魔に完全に支配された状態で、神の教えを広めるのを邪魔しようとしている」という世間から見ればバカバカしい主張も、容易に受け入れてしまうことになる。

 そのような情報を正しいものとして受け入れることが、自分の「確信」や「優越感」を守って行く上で都合が良いからである。


 また、上記例では、出版社に直接苦情を訴える信者もいたが、これも、自分の「確信」や「優越感」を守る為の行為である。

 出版社は、自分の「確信」を揺るがすような情報を掲載した。それは、自分が守っていたい「確信」を侵害する行為であり、それが許せないが為に、出版社に対して抗議の電話をするというカウンター攻撃を加えたのである。

 これは、動物が自分のテリトリーに入ってきた他の動物を激しく威嚇したり、攻撃する行為と全く同じ本能的・動物的なもの。

 
「自分の確信」=「自分のテリトリー」なのである。

 なお、ネット上などで、自分の信じている主義や思想に反する発言に対して、ロクな根拠も示さずに、結論ありきの激しい攻撃を仕掛ける例がよく散見されるが、それも全く同種のものである。

 
建前はどうであれ、所詮は、自分の「欲」に基づいた動物的な行動に過ぎない。


 さて、Aさんであるが、他の信者と同じくAさんも、自分の「確信」や「優越感」を守っていたいが為に、教団の言うことを鵜呑みにした一人。

 そして、「確信」を揺るがす障害に遭遇するたびに、現実とまともに向き合うことを避けて、己の「確信」を守ることに執着して来たが為に、もはや、ちょっとやそっとでは揺るがない堅固な城壁が、己の「確信」の周りに築かれていることになるのである。



(4).熱狂・興奮状態での思想の植え付け

 それでは、Aさんの話の続きである。
<例>信者Aさんのケース6 (※続き)
 ある年の年末から新年にかけて、再び、教団内に動揺が走った。

 教祖は、その年に東京に大地震が発生し、それをきっかけに「世界の終末」が訪れると予言しており、また、「世界の終末」の開始と共に信者たちは次元上昇して天国へ行くことができるとも予言していた。

 しかし、実際には、東京に大地震が起きるどころか、日本に大きな地震が発生することもなく、その年は終了。当然、信者たちが次元上昇して天国に行くことも無かった。

 信者たちの動揺は激しく、退会する者も続出した。

 Aさんの動揺も大きいものであった。

 「偉大な教祖様の予言が外れたのは何故??」、「今年中に私たちは次元上昇できるはずではなかったのか??」などと言った疑問が頭の中を駆け巡っていた。
 天変地異や戦争などが多発する「世界の終末」が起きることを予言して人々の不安を煽り、一方で、それを避け、天国へと行ける手段を提示することで信者を獲得しようとする宗教団体も多いが、この団体もそうだったようである。

 教祖が予言した「次元上昇して天国へ行くこと」に大きな期待を寄せていた信者も多かったであろう。Aさんもその一人であった。


 そして、
<例>信者Aさんのケース7 (※続き)
 新年最初の教祖の講演会。予言が外れた理由を聞きたかったこともあり、Aさんももちろん参加していた。

 開演開始予定時間から遅れること30分。ようやく舞台裏から現れた教祖の顔はいつものにこやかで陽気な顔とは異なり、怒りを抑えつけているような、沈痛としたような、何とも言えない顔をしていた。

 その表情を見たとたん、それまで不満が溢れていた会場の雰囲気は一変し、凍り付いたように静まり返った。

 壇上に立ったまま、無言でいる教祖。しんと静まって、教祖の動向を見守る信者達。
 しばらくして、教祖がようやく口を開いて発した言葉が次のものであった。

 「非常に残念なことです」

 意表を突く言葉であった。むしろ、予言が外れて残念だったのは信者達の方である。

 また、しばらく時間を置いて教祖の言葉が続いた。

 「私は、いったいどのくらい我慢して来たことでしょうか・・・」

 ため息混じりにそう告げ、さらに続けた。

 「今まで私は、皆さんに神の言葉を、そして真理を伝え、それを実践するように導いて来ました。しかし、皆さんは、この時代にこのようなことがなされることの奇跡を、そして、自分達の使命の重大さを全く理解できていない。

 上辺だけで、喜んで修行だ実践だと言っているだけ。非常に軽い。軽すぎるのです!」

 教祖は、だんだんと声に怒りが混じって行くのを押さえるように一息つき、再び、穏やかな口調で語り出した。

 「私はずっと待っていました。ずっと、ずっと、我慢して待ち続けていました。いつか、気付いてくれるだろう。いつか、本当に真理を宿した人が現れてくれるだろうと。

 しかし、結果は・・・・・・」

 会場では、嗚咽やすすり泣きの声が聞こえ始め、それは徐々に増えて行った。

 最終的に教祖が言いたいことは、信者たちの心構えがなっていない為に、神の計画が遅れ、やむなく、教祖が神に頼んで、「世界の終末」の開始をずらしてもらったということだった。

 「いいですか。二度はありませんよ。もし、次に、真理の布教が予定通り進まなければ、そのまま、人類は滅亡してしまうことになります。誰一人助かりません。

 私も身命を賭して、この活動を行っているのです。ですから、皆さんも、命を掛けて下さい。そこまでの心構えがなければ、神の国を実現することなど出来はしないのです」

 教祖の講演が終わると同時に、会場の一人が立ち上がり、叫んだ。顔は涙でぐちゃぐちゃであった。

 「本当に申し訳ありませんでした!私の甘い考えの為に、神の計画を遅らせることになり、教祖様にご迷惑を掛けてしまいました!これからは、命を、全てを投げ出し、修行と布教に邁進して行きます!すみませんでした!すみませんでした!」

 また一人、また一人と立ち上がり、同様のことを叫び出し、会場は、号泣しながら、後悔と反省の弁を述べる者が溢れ出し、異様な熱気に包まれていた。

 Aさんも、涙が溢れ出し、気が付けば立ち上がって、叫び出していた。

 「私は本当に愚か者でした!申し訳ありませんでした!本当は自分達のせいだったのに、教祖様を疑ってしまいました。全て私達が、いえ、私自身がいけないのです!私の甘さが原因なのです!今後は、絶対に教祖様を疑ったりしません!強固で揺るぎない信仰心を持ち、命を掛けて神の為に、教祖様の為に・・・・・」
 教祖の講演の技術により、本来、責めを受ける立場だったのをうまく逆転し、予言が外れた責任を信者達に転嫁した形である。
 そして、予言を外して、教団の存続の危機に陥ったのを逆に利用して、むしろ、信者達の信仰や結束を強める結果となったと言えよう。

 熱狂や興奮というものは理屈を飛び越えて、感性や本能に直接に訴えかけ、かつ、伝染するものである。

 上記の話では、まず、会場に、嗚咽やすすり泣きの声が聞こえ始める。それを聞いた人は当然、泣いている理由を考え、簡単にその答えにたどり着く。本当は自分が悪かったんだと悟り、後悔や自責の念で泣いているのだと。

 それを理解した者は、教祖を責める思いが、今度は、自分を責める思いに反転し、同様に自責の念に捕らわれ始めるのである。

 そして、「嗚咽やすすり泣き」によって、無言の内に会場全体に共有された思いは、教祖の講演終了と共に、「立ち上がって、反省と今後の決意を叫び出す」という形で発露されることになる。

 もちろん、実際は、このように上手く事が運ぶとは限らないが、教祖の技量次第であるし、また、「仕込み」を使うのも良く使われる手である。

 予め、嗚咽を始める者や立ち上がって叫び出す者を何人か仕込んで置くのである。そうすれば、かなり容易に会場全体を意図する方向へと誘導することが可能となる。

 ちなみに、アドルフ・ヒトラーは講演する際、ナチの正当性を大衆にアピールする為、集会の部屋をいつも狭すぎるようにした上で、聴衆の3分の1をナチの党員で埋め、さらに、熱心な支持者を最前列に配置することによって、熱狂と興奮をつくり出したそうである。(参考:『マインド・コントロールとは何か』西田公昭・伊國屋書店・P.56)

 これなども、聴衆をマインド・コントロールする為に、意図的に熱狂を作り出した例であると言えよう。


 さて、Aさんであるが、まんまと他の信者達の熱狂に飲み込まれ、最後には、立ち上がって、自責の念や決意について叫び出してしまった。

 これで、Aさんの意識には、「教祖様は絶対に正しい」、「命を賭して信仰を守り、また、布教して行かなければならない」等といった思いが、強固に植え付けられたことになる。

 上述の通り、このような熱狂状態で植え付けられた思想や考えは、理屈を飛び越えて、その人の精神に宿るものである。

 そして、そのようにして植え付けられたものは、他からの説得では取り除くのが非常に困難である。何故なら、理屈を飛び越えて本能や無意識に植え付けられたものを、理屈という手段を使用する説得では取り除くことが出来ないからである。

 今後、Aさんは、盲信・狂信の信者としての人生を歩んで行くことであろう。




 以上、Aさんという架空の人物を題材に、盲信・狂信に至るケースを説明してきた。

 最後に、盲信・狂信に至らない為に、注意しておくべき点をまとめておきたいが、続きは(その4)にて。



2012.5.8新規

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