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人はどのようにして盲信・狂信に至るか(その4)

 ※当記事は(その1)(その2)(その3)からの続き。



3.<まとめ>盲信・狂信に至らない為に

 当記事では、これまでの話をもとに、盲信・狂信に至らない為に、どのような点に気を付けなければならないかをまとめておきたい。

 その注意すべき点とは、以下の3点である。
(1).安易に確信を持たない
(2).多数意見や常識を安易に受け入れない
(3).熱狂に飲み込まれない

 順に説明して行こう。


(1).安易に確信を持たない

 Aさんの例で言えば、Aさんが入信した理由は、教祖について「ホンモノだ」という確信を持ったことだった。
 そして、この「確信」が如何に危険なものであるかは、今まで述べてきた通りである。

 よって、注意すべき点の第一として、
「安易に確信を持たない」ということをあげたい。

 そして、その為に、次の2点について普段から心がけるべきだと言えよう。
@.真偽の判断は、パーセンテージでする。(安易に0%か100%で結論を出さない)
A.自分の判断力を過信しない。

@.真偽の判断は、パーセンテージでする

 人は、真偽の判断を0%か100%の両極端でしがちである。

 例えば、自分の物が会社の更衣室から無くなった時、普段から仲が悪い人の顔が浮かび、そのまま、自分の中で、その人を犯人だと決めつけてしまうようなこと、つまり、「確信」を持ってしまうことはよくある話である。

 そして、自分のその「確信」に従い、いきなり仲の悪い人に対して、「私の物を盗んだろう!」と詰め寄る場合もあるし、一方、証拠不十分な為に、表面上は相手を犯人扱いしない場合もある。

 そして、後者の場合でも、自分の中では、その相手が犯人だと「確信」を持っているので、その人に対して、「私の物を盗みやがって」という恨みと、明確な証拠を突き付けられない、もやもやとした悔しさを持ち続けることになる。

 前者のように、いきなり、己の「確信」だけで相手に詰め寄るのも問題であるが、一方、後者のように、表面上はある程度、客観性を持っていて、いきなり詰め寄ったりはしないが、それとは別に、自分の中では「確信」を持っているというのもやはり問題である。

 客観的には決め付けることが出来ないものを、自分の中では決め付けてしまっているからである。


 実際のところ、客観的に考えれば、このケースでは、「普段から仲が悪い」という動機面での説明ができたに過ぎない状況であり、犯人だと決めつけるのはあまりに拙速であると言えるだろう。犯人である可能性は、ざっくりで10%ぐらいではないだろうか。

 さらに、「物が無くなる前に、その仲の悪い人が一人で更衣室でいた」という情報を入手したとする。
 しかし、それでも、「盗むことが可能だった」というだけで、盗んだ証拠にはならない。犯人であるパーセンテージは、少し上がった程度だろう。

 このように、真であることの可能性を例えば、「30%くらい正しい」、「80%くらい正しい」というようにパーセンテージで判断し、自分の中で安易に0%や100%の両極端で判断しないことである。

 それが
客観的な物事の見方というものであり、一方、それと異なり、己の感性やカンで、安易に「確信」を持ってしまうのは、主観的な物事の見方をしていると言えよう。

 そして、100%の証明ができないものを「ホンモノだ、真だ」と考えて「確信」を持ち、真実(=100%)として受け入れるから、後に引けなくなって、間違いを認めることが困難になってしまうのである。

 一方、例えば、自分の中で「80%程度、真実だ」と考えておけば、それは、裏を返せば、「20%程度、間違いだ」と考えていることになる。そうしておけば、20%分、間違いであることを受け入れる余裕が出来ることになるのである。


 なお、もちろん、物理や化学の法則などのように、100%の証明ができるものならば、「100%真実だ」と判断して構わない。


A.自分の判断力を過信しない

 人は、生活のあらゆる場面であらゆる対象についての評価をする。
 例えば、

 「あの人は指導力がある」、「あの人は積極性に欠ける」、「あの人は裏表のある人だ」
 「あの映画は、展開がスピーディーで面白い」、「あの映画の、このラストは無いだろう」

などなど。

 
このような評価を何度も繰り返す内に、人は、自分の判断力を過信して行くものである。

 例えば、部下の人事評価をすればするほど、「自分には人を見る目がある」と勘違いが生じてくるし、また、映画好きで多くの映画を見て、何度も映画の評価を繰り返して行く内に、「自分には映画の良し悪しが分かる」という勘違いが生じて来る(もちろん、勘違いでない場合もあるが)。

 
実際のところ、それらの評価は、評価しっぱなしであって、何ら答え合わせをしていないものだと言うことを認識しなければならない。
 言わば、問題集を、答え合わせを一切せずに、「自分では正しい答えを出している」と思い込んで解き続けているような状況なのである。

 つまり、自分の評価や判断は、それが正解とも不正解とも分からないのだ。

 もし、自分の判断・選択によって望む結果が出たとしても、その理由が、自分の判断が正しかったからなのか、もしくは、他の理由で偶然上手く行ったからなのかも明確には分からないことが多いし、また、その判断・選択が最善・最上のものであったかも分からない。

 自分の評価や判断が誤り、もしくは、最善のものではないという可能性を常々認識するようにしていないと、自分の判断力に過信が生じることになり、また、低いレベルの判断力で自己満足することになって、己の判断力を磨くことも出来ないことになる。

 そして、自分の判断力を過信していると、「自分がホンモノだと判断したのだから、間違いない」と考え、インチキ宗教等にまんまと騙されるハメになり、かつ、その過信を守る為に、自ら望んで騙され続けるということになるのである。



(2).多数意見や常識を安易に受け入れない

 信者Aさんのケースでは、教祖のおかしな言動をスルーするのに、周りの信者達の発言も影響することになった。周りがスルーしているからと言う理由で安心して、Aさんもスルーすることにしたのである。

 もちろん、意固地になって、あえて少数意見に固執する必要はないが、
「『多数意見だから正しい』などということはない」ということは常に意識しておくべきであろう。

 もし、多数意見が常に正しいのなら、ガリレオが地動説を唱えた際には、天動説が真実であったことになってしまう。

 
所詮、「多くの人がAを正しいと考えている」ということは参考情報に過ぎず、Aが正しいということの根拠にはならないのである。

 大事なのは、「何故、Aを正しいと考えているのか」という根拠の部分であって、その根拠を見て、自分も正しいと思えば賛同すれば良いし、一方、納得できなければ、態度を保留、もしくは、反対すれば良いのである。

 漠然と、「皆がそう言っているから」などという理由で賛成していると、信者Aさんのように周りの信者を見て安心し、ズルズルとインチキ宗教に騙され続けることになるのである。



(3).熱狂に飲み込まれない

 信者Aさんのケースでは、会場全体の熱狂に飲み込まれ、最終的に自分の盲信・狂信を強固なものにしてしまった。

 このような熱狂や興奮状態を利用して特定の思想等を植え付ける手法は、結構、メジャーなものなので、認識しておく必要があるだろう。
 知ってさえいえば、そのような状況に置かれた時に、「あ、マインド・コントロールを受けようとしている!」と容易に気付いて避けることが可能となるはずである。




 以上、盲信・狂信に至らない為に注意すべき点を3点ほどあげた。

 そして、上記全てのキーポイントとなるのが、
「如何に、客観的に物事を考えられるか」であるが、最後のまとめのまとめは(その5)にて。



2012.5.15新規

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