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もっともらしいだけの根拠(その16)

 (その15)では、複数の言語間で、類似の音と意味を持った単語というものは探せば見つかるものであり、いくら類似の単語をあげようが、それが、言語間の近親性を意味するものではないことを説明した。

 それでは、単語ではなく、単語が複数で形成されているもの、例えば、歌などのケースではどうだろうか。

 そして、もし、日本のある歌が日本語以外の言語で意味の通る形で解釈が出来たのなら、その歌は、「その言語で歌われたもの」という結論を出すことができるのだろうか。

 当記事では、そのようなケースについて見て行きたい。


16.言葉遊びによる根拠U(2)

<具体例その2>日ユ同祖論のケースA 〜歌の解釈〜

 日ユ同祖論系の書籍では、東北民謡「ナニャドヤラ」がヘブライ語で解釈できることが、日ユ同祖論の根拠の一つとして紹介されることが多い。

 例えば、『日本の中のユダヤ文化』では次のように記載されている。
『日本の中のユダヤ文化』 (久保有政/学研/2003) P.269-270
ヘブル語起源の日本語

 じつは日本語には、ヘブル語起源のものが多いといわれている。
 川守田英二(1891-1960年)は、とくに日本の民謡の囃子詞の多くはヘブル語起源だという。たとえば東北に、「ナニャドヤラ」(ナギャドヤラ)という民謡があり、次のように歌われる。

  ナニャッ ハアド ヤアラ ヤオ
  
ナニャッ ハアド ナサル リダハデ ハサーイェ
  ナニャッ ハアド ヤアラ ヤオ 

 カタカナの下に書いたものは、川守田博士によるそのヘブル語解であり
(※管理人注:ヘブル語(ヘブライ語)の記載は省略した)、意味は次のようになる。

  ヤハウェよ、民の先頭に進み出て下さい。
  私たちは民の前方から、
ダビデのために敵を追い払います。
  ヤハウェよ、民の先頭に進み出て下さい。



(※管理人注)文字に色をつけたのは管理人。以下同様。
 このように、日本語では意味が不明とされる東北民謡「ナニャドヤラ」が、ヘブライ語で意味の分かるように解釈できるという話を聞くと、素人目には、「すごい、この歌はヘブライ語だったんだ!」と思ってしまうものである。

 しかし、結論から言えば、
ある言語で記載された歌を、他の言語のものとして解釈することは可能なことである。

 この民謡のヘブライ語解釈について、Wikipediaの記載があるので、そちらを見てみよう。
Wikipedia「ナニャドヤラ
ヘブライ語説

岩手県一戸町出身の神学博士・川守田英二が大正時代に唱えた説。青森県新郷村(旧戸来村)に伝わる「キリストの墓」伝説にからめて解釈された。ヘブライ語で読むと民族の進軍歌になる、とした。

「ナギャド」は、「前方へ」という副詞と「指導者」という名詞になっているという。「ナサレ」は「掃蕩」という意味。そこで「ナギアドナサレ」は、「前方を掃蕩する」という意味だという。そこで進軍歌として、「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名をほめ讃えん」という意味だと発表した。

この衝撃的な説は1950年代に一度全国的に有名になる。さらに1949年、金田一京助が三笠宮に別の説を報告した時、川守田は東京新聞にて反論を掲載した。この時もまた、ナニャドヤラの謎は全国的な話題になった。
 この記述の内の青字の部分に注目して欲しいのだが、それによると、川守田英二氏は、歌詞の「ナニャッ ハアド ナサル」を「ナギアドナサレ」と読み換えている。また、最初に引用した『日本の中のユダヤ文化』の歌詞と日本語訳を比べてみると、日本語の「ダビデ」に当たる部分が「ダハデ」であることが分かる。

 もちろん、歌詞が年を経るにつれ変容して行った可能性もあるのだが、それを前提に歌詞の一部読み換えを許容するのなら、それぞれの単語の解釈は相当数のパターンが可能になり、結果、歌詞全体を他言語でもっともらしい意味に解釈することも可能となってしまうのである。


 より具体的に、「ある言語で記載された歌を、他の言語のものとして解釈することは可能」であることを見て行こう。

 まず、ある歌詞を他言語で解釈する場合、通常、その歌詞を構成する単語それぞれについて次のような作業がなされる。
@.他言語の同じ音の単語を探し、その中から、もっともらしい意味のものを選択する

A.@の作業でもっともらしいものが見つからなければ、音韻変化を根拠に似た音の単語を探し、その中から、もっともらしい意味のものを選択する。
 文章の説明では分かりにくいと思うので、実例で、かつ、日本語で説明しよう。ちなみに、「ある言語で記載された歌を、他の言語のものとして解釈することは可能」であれば、当然、それは同じ言語でも可能であり、日本語の歌詞を別の日本語で解釈し直すことも可能である。

 さて、説明であるが、例えば、解釈し直したい歌詞の中に「聞く」という単語があったとしよう。

 この単語を上記の作業手順通り、 まず、「@.他言語の
同じ音の単語を探し」で、「聞く(KIKU)」と同じ音の単語をピックアップしてみる。
菊、効く、利く


<「KI」 と 「KU」に分けた場合>

黄、機、着、気、器、木、貴・・・・・・

区、句、苦、九、久・・・・・・
 このように、同じ音に限定した場合でも、それなりの数の選択肢が存在することになるが、それでも、該当歌詞の他の単語との兼ね合いで、もっともらしい解釈が出来ない場合は、次にA似た音の単語を探」す作業をすることになる。

 まずは、
「『KIKU』の母音部分が音韻変化した」と、仮定して単語を探してみよう。
<「KAKU」>
書く、格、描く、核、角、掻く・・・・・・

<「KUKU」>
九九

<「KOKU」>
濃く、酷、、扱く

<「KIK
A」>
気化、帰化

<「KIKI」>
機器、危機、嬉々、利き、聴き、効き、記紀、鬼気、毀棄・・・・・・

<「KIKE」>
消え、帰依

<「KIK
O」>
旗鼓、旗鼓

※以下省略

 全てを記載せずに省略したが、「『KIKU』の母音部分が変化した」と仮定すると、日本語の母音数は5なので、「KIKU」も含め全25(5×5)の音の単語から選択できることになる。

 次に、これでも、もっともらしく解釈できる単語が見つからなかったとしよう。その場合は、上記で「ナニャッ ハアド ナサル」を「ナギアドナサレ」と読み換えていたように、もっと柔軟に音を変化させてしまえば良いのである。

 例えば、「KYAKU(キャク)」、「KYOKU(キョク)」、「KOKKYOU(コッキョウ)」等々、それこそ、いくらでも可能となる。

 そして、ここまで来れば、「聞く」という単語に対して、対応させることのできる単語はそれこそ莫大な数となり、その莫大の数の中から、もっともらしく解釈できる単語を見つければ良いということになる。

 さらに言えば、別に、元の単語に限定する必要もない。例えば、「聞く」を含んだ部分が「○○
と聞くことにした」という文だったとしよう。

 その場合、「聞く」の前後の文字と組み合わせて、「ときく」、「とき」、「きくこ」、「くこ」という音を抽出し、他言語でもっともらしく解釈することの出来る言葉を探すことも可能なのである。


 以上、
結局、ある言語の歌詞を他の言語で解釈し直す作業は、元の歌詞のそれぞれの単語について、それに対応させることのできる他言語の膨大な数の単語の中から選んで組合せ、もっともらしい意味になるようすれば良いだけの話。

 その歌詞が短ければ短い程容易であり、また、
多少長くても、根気さえあれば可能なことなのである。

 よって、最初に記載した東北民謡「ナニャドヤラ」のように、
その歌詞をもっともらしくヘブライ語で解釈できたとしても、その歌詞がヘブライ語であることの証明にはならないのである。




 上記のように、歌等を他言語で解釈し、「この歌は、○○語で歌われたものだった!」等と主張する行為は、日ユ同祖論に関わらず、よくあるものである。

 実際、それは単なる言葉遊びに過ぎないのだが、(その17)では、参考までに、これまでどのような主張があったのかを見てみたい。



2013.08.27新規

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