大切な人がインチキ宗教にハマったら(その3)
※当記事は(その1) 、(その2) からの続き
4.気づくタイミングの例
管理人のもとには、「インチキ宗教に騙されていたことに気づいた」とメールをいただくことがあるが、それらの情報をもとに、参考までに、どのようなタイミングで気づくことがあるかを紹介しておきたい。
(1).その宗教内で自尊心を傷つけられた時
例えば、まじめにかつ、熱心に教祖の教えを守ってきたはずなのに、教祖から「お前は全然、私の言っていることを守れてないし、理解もできていない」などとそれを全否定するような言葉を投げかけられた時がそうである。
その時、信者は、「なんで、そんなこと言われなきゃならないんだ!?」と感じ、激しく自尊心が傷つけられる。
そして、この時、自分が今まで快・不快を感じていた情報が反転するのである。より具体的には、自尊心を傷付けられる前は、
○その宗教や教祖を肯定 する情報 → 快
○その宗教や教祖を否定 する情報 → 不快
だったのが、自尊心を傷つけられると
○その宗教や教祖を肯定 する情報 → 不快
○その宗教や教祖を否定 する情報 → 快
となる。
何故なら、その宗教や教祖が正しいのであれば、自分が自尊心を傷つけられたことが正しいことになり、そして、自分はそのような発言をされるに相応しい人間であることになってしまう。
一方、その宗教や教祖が誤りであれば、自分の自尊心を傷つけるような発言をした教祖が間違っているのであり、自分は不当にそのような発言をされただけとなって、自分の自尊心を守ることができるからである。
よって、自尊心を傷つけられた信者は、自分を正当化し、守る為に、今まで見ようともしなかった情報、つまりは、「その宗教や教祖を否定する情報」を探そうとネットで検索し出したりするのである。
そうして、「その宗教や教祖を否定 する情報」を見つけ、教祖の発言を否定することが正当化できれば、めでたく、自分の自尊心を守ることができ、さらには、信者を辞める決断をすることになるのである。
(2).明らかにおかしいと思える言動に接した時
例えば、疑問を呈した信者に、キレて対応している教祖を見て、人としての小ささを感じた時。
また、一人の信者が「教祖様の言った方法を試しましたが、何も改善しませんでした」と事実を報告しただけなのに、他の盲信信者たちがキレ出して、寄ってたかってその信者を攻撃し出したのを見て、「それってどうなの?」と疑問に感じた時。
このように、「何かおかしい」と感じた時、その信者は、(1)と同じように、その考えを正当化する為の情報を探し出す。
そして、目的とする「その宗教や教祖を否定 する情報」を見つけ、「やっぱり、この宗教はおかしいんだ」と納得した場合に信者を辞めることになる。
なお、これは、その宗教・教祖をある程度、冷静に観察できている場合であり、また、それまで、少しずつ、積りに積もった疑問が、その事例に接することによって、疑問が「ほぼ確信」に変わった瞬間であるとも言える。(※ちなみに、「ほぼ確信」が「確信」に変わるのは、ネット等で論理的・客観的にその宗教を否定する情報に接した後である)
(3).事あるごとに、その教団の活動に参加させられたり、継続して何かをさせらたりすることに疲れてきた時
最初の内は、自分の人生が劇的に改善する何かが起こることを期待して、熱心にその教団の活動に参加したり、また、その宗教固有の方法での先祖供養などを継続したりする。
しかし、長期間、そのようなことをし続けても、期待していたようなことは起きることはなく、徐々に疑問の感情と疲れが出始めることになる。
そのような時にも、その宗教がインチキであることを気づく、絶好のタイミングであると言えよう。
5.宗教以外の問題
宗教を辞めさせるに当たって、その宗教以外に何か問題があるケースもあるので、それについても簡単に触れておきたい。
(1).居場所がその宗教にしか無い場合
「世の中のどこにも、自分の居場所がない」
「人から認められずに、自分に価値・存在意義を見い出せない」
そのように感じている人が、宗教に入信し、そこで他の信者達が自分の存在を認めてくれたりして、自分の居場所と言えるものを初めて見つけてしまうというケースがある。
このようなケースでは、その宗教が本モノかどうかはどうでもよく、むしろ、その宗教を否定することによって、自分の居場所が無くなり、もとの空虚な自分に戻ってしまうのを恐れていることがある。
(2).現実が嫌で宗教に逃げている場合
自分が、そして、人生が嫌で仕方なく、そのような現実から逃れる為に宗教にのめり込み、また、アセンションに期待を寄せ、それを希望に生きているようなケースである。
ちなみに、アセンションとは、次元上昇とも言い、簡単に言えば、神の側の人間が、苦しみも悲しみもない素晴らしい世界に行けるというものである。
このようなケースでは、その宗教がインチキだと気付かせるだけでなく、「自分が嫌だ」、「自分の人生が嫌だ」という状況を改善して行かなければならない。
(3).超常的な力にあこがれている場合
これも、自分に自信が持てず、平凡、もしくは、それ以下の人生を送っていると思って不満を持っている人が、「特別な力を持った、特別な人間になりたい」と宗教やスピ系にハマる場合である。
なお、「超常的な力」とは、例えば、「霊や宇宙人と交信する力」、「思いのままに現実を引き寄せる力」などであり、時には、超能力と言われる力であったり、漠然と「悟り」と言われるものであったりする。
このような態度は、結局、自分と向き合おうとせず、宗教やスピ系に逃げているだけなのであるが、そのような現実逃避をしていても何も改善することなどないと言えよう。
きちんと自分自身と向き合って、試行錯誤を繰り返しながらも、自分の問題点を認識して改善したり、自分に足りない点を補って行くという現実的で当たり前の手段で、地道に少しずつ前に進んで行くしか方法はない。
一足飛びで、劇的に自分を、そして人生を改善させる方法など存在しないのである。
以上、3ケースだけではあるが、宗教側以外にも、それにハマっている本人自身が大きな問題を抱えている場合も多々あるので、その宗教がインチキだと気付かせるだけでなく、本人が抱えている問題の解消にも努めて行く必要があると言えよう。
以上、家族や友人がインチキ宗教にハマった場合の、注意点や対応策について述べて来た。
なお、これらは、あくまで一般論なので、参考程度にとどめ、状況に応じて臨機応変に対応するようにして欲しい。
また、明らかにヤバい宗教で緊急性がある時、また、自分一人ではどうしていいか分からない時などには、(その1)の最初でも紹介した書籍の巻末に、以下の項目で相談先リストが掲載されているので、そちらにご相談することをお薦めする。
『カルトからの脱会と回復のための手引き』 (日本脱カルト協会(JSCPR)/遠見書房)
被害者救出の相談先リスト
T 弁護士会関係相談先
U 被害者家族の会相談先
V 宗教団体の相談先
W 一般の相談先
(管理人注)上記分類は、「相談を受ける側」を基準に分けられたもので、例えば、被害者家族の作った会が相談を受け付けるのであれば「U 被害者家族の会相談先」に 、また、キリスト教などの宗教団体が相談を受け付けるのであれば、「V 宗教団体の相談先 」に分類されている。
ちなみに、該当の宗教団体が既に社会問題化しているような団体(例えば、統一教会等)であれば、該当書籍を参照するより、ネットで検索した方が早いだろう。
2012.11.06新規
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