当ページのようなHPを運営していると、時折、家族・友人がインチキ宗教にハマってしまったと相談を受けることがある。
そのようなことは実際、良く聞く話であるし、「全く宗教等には縁の無かった家族・友人が突然、宗教にハマり出し、人が違ったようになってしまった」ということは、決して他人事であるとは言えないであろう。
インチキ宗教が蔓延している世の中、しかも、知的水準が高い職業であるはずの医師や弁護士等であっても、まんまと騙されて、インチキ宗教の信者になっていることも良く見かける光景である。
よって、当記事では、自分ではなく、家族・友人等がそのような状況に陥ってしまった場合の、注意点等について記載して行きたいと思う。
なお、当記事作成にあたっては、以下の書籍(特に、第3部)の内容を大いに参考にした。興味のある方、また、そのような情報が必要な方は合わせて読まれることをお薦めする。
『カルトからの脱会と回復のための手引き』 (日本脱カルト協会(JSCPR)/遠見書房)
1.前提としての心構え
まず、インチキ宗教にハマってしまった人に接する際の心構えについて述べておきたい。
(1).その宗教は相手にとって大切なもの
あなたにとって、その宗教が、どんなにインチキであることが明白で、かつ、どんなに胡散臭さが丸分かりであっても、相手にとって、それは「真実」であり、「至上」のものであり、かつ、非常に大切なものである。
そして、宗教は人の人格・人生そのものを規制するものであり、その宗教を本モノだと思って入信したということは、その宗教は相手の人格そのものに同化していると言っていい。
よって、相手の信じている宗教を否定するということは、相手の全人格を否定することとイコールなのである。
つまり、入信している宗教をやめさせることは、相手に、「自分の人格そのものを否定することを受け入れるよう強いること」と同義だと言っていいだろう。
(2).宗教をやめさせることは非常に困難
熱心な阪神ファンを思い浮かべて欲しい。それも、遠征地にも必ずついて行って応援するような超熱心なファンを。
続いて、その阪神ファンに対して、阪神ファンをやめさせようとすることの困難さを想像してみて欲しい。もはや、不可能と言ってよい程の困難な試みであることが、想像に難くないであろう。
そのようなファンは、先に述べた宗教の信者と同じで、阪神ファンであることが自分の人格そのもの、人生そのものと言っていいレベルになっている。
そして、そのような阪神ファンに対して、阪神ファンであることをやめさせようとするのと同じ試みを、あなたはインチキ宗教の信者となった家族・友人等に対して行おうとしているのである。
(3).気づくのは相手自身
いくらあなたが、ネットや書籍等で調べ、その宗教のインチキっぷりに確信を深めようが、それは、あなたがそう理解しただけであって、「相手には関係ない」ということを認識しなければならない。
気づくべきはあなたではなく、当然ながら、相手自身なのである。
そして、力ずくで相手をその宗教から引き離したとしても、それは、一時的・緊急的な解決法に過ぎず、相手がその宗教を信じたままであるならば、再び、その宗教に戻ってしまう可能性が高い。
結局は、相手自身がその宗教がインチキであることに気づき、否定できなければ何の解決にもならないのである。
よって、家族・友人等がインチキ宗教にハマった場合の目標は、必然的に、「いかに、相手に気づかせるか」ということになる。
以上、まずは、相手の宗教を否定することが、相手にとって、どんなにダメージを与えるものかを理解し、かつ、信者であることをやめさせることが、どんなに困難な試みであるかを認識して欲しい。
なお、宗教にハマった人の心境・物事の捉え方等については、以下の記事に記載したので参考にして欲しい。
2.やってはいけないこと
インチキ宗教にハマった人に対して、やってはいけないこと。それは、相手の宗教を頭ごなしに否定することである。
何故、やってはいけないか。その理由は以下の通りである。
(1).相手の反発をまねくだけ
自分が正しいと思ってやってることを頭ごなしに否定されれば、反発するのが普通である。それを素直に受け入れる人などまずいない。
そして、反発をまねくことによって、さらに、次のような不都合な状況を作り出すことになる。
@.返って、その宗教にのめり込ませることになる
趣味でも何でもいいが、自分が正しい、良いと思っているものを否定されるとどう感じるだろうか。当然、不愉快な思いをするだろう。
それは、宗教の信者の場合も同様であり、むしろ、その不愉快さは、より大きいと言っていい。
そして、否定された人は、そのような不快な物言いに対して反発し、「何を馬鹿なことを言っているんだ。この宗教はこんなに素晴らしいんだぞ」と、自分がその宗教の信者であることを正当化する為の情報を必死で探すことになる。
それは、己のその宗教に対する確信が、否定されることによって一時的に不安定になる為であり、そのような不安定な状況を脱する為に、己の確信を肯定する情報を集めて安定・安心を得るのである。
そして、その情報とは、例えば、次のようなものである。
○教祖様はこんなに素晴らしい教えを説いてる
○自分も教祖様の教えで、人生観が変わった
○信者の皆も素晴らしい、本モノだと言っている
○この宗教に入信して救われたと言っている人がいっぱいいる |
このようにして自分の頭の中で、その宗教が素晴らしいモノ、本モノであること再確認し、さらに、再確認することによって、その信仰はより強固なものとなるのである。
つまりは、相手の宗教を頭ごなしに否定することは、むしろ、相手を妄信・狂信に至らせる為の後押しをしていると言っていいだろう。
また、仮に、その後、相手が自分でその宗教がインチキであることに気付いたとしよう。しかし、相手は過去に、あなたに頭ごなしに否定されたという反発心があるので、あなたに、「やっぱり、この宗教はインチキでした」なんて、なかなか素直に言えるものではない。
そして、最悪の場合、その反発心から、「今度こそ、本モノを宗教を見つけて、見返してやる!」と宗教やスピ系を遍歴するようになるのである。
A.相手の状況がつかめなくなる
あなたが、相手の宗教を頭ごなしに否定したことから、相手は、あなたを不愉快な情報をもたらす人だと認識することになる。
例えば、あなたが熱心な阪神ファンだとして、阪神の悪口を言うような人や野球そのものを否定する人をどのように感じるだろうか。
そして、そのような相手に対して、阪神に関する話、例えば、「今日の○○のプレイは素晴らしかった」とか、「監督のあの采配はまずかった」などといった話をしようとするだろうか。
しないだろう。相手とそのような話で盛り上がれるはずもなく、むしろ、再び、不愉快な思いをする可能性が高いからだ。
よって、相手の宗教を頭ごなしに否定したあなたには、相手からその宗教に関する話がされないことになる。
そして、そのことは、相手がその宗教において、どのような状況にあるかをつかめなくなることを意味するのである。
相手は、あなたの知らない所で、その宗教にどんどんのめり込み、突然、「会社を辞めて、布教活動に専念したい」などと言い出すかも知れない。
相手とその宗教に関する話をすることによって情報を得て、そのような状況に至る前に手を打てたかも知れないのに、その機会をみすみす逃すことになってしまうのである。
さらに、どんな信者でも、「本当にこの宗教は、大丈夫だろうか?」と疑問が生じることがあるものである。しかし、相手の状況をつかんでいなければ、その絶好の機会に、気づきを後押しすることも出来ないと言えよう。
(2).結局、相手と同じレベルで争っているだけ
家族や友人等がインチキ宗教にハマれば、きっとあなたは、「何で、こんな、しょーもない宗教に」と不快を感じるだろう。
そして、相手がその宗教で習った呪文を必死で唱えている姿を見ても不愉快に感じるだろうし、また、高い金を払ってセミナーを受けたりしている姿を見て、「そんな金があれば、子供の服を買ってあげられるのに」などと不満に思うかも知れない。
しかし、そのような相手を頭ごなしに否定・批判するということは、このような、あなたの不満・不快をそのままストレートに表現して、排除しようとしているだけに過ぎない。
つまりは、あなたが腹が立ったから、相手に怒りをぶつけているだけで、それは建前は「相手の為」であっても、本当は自分の為にやっている行為である。
一方、相手も、何が真実で、何が正しいか否かなどは本当はどうでも良く、単に、「自分が信じているものを正しいと思っていたい」という欲や感情で行動しているだけである。
※詳細は、先にも掲示した以下の記事を参照
つまりは、お互いが自分の欲に従って、相手を批判し、反発し合っているだけ。
結局は、同レベルの低俗な争いであり、そんな状況で、何も改善できはしないのは当然であろう。
本当に相手の為を思い、何とかしたいのであれば、もっと頭を使い、理性的に物事を考えて、最善だと思う方法・手段を模索しなければならない。
不快な状況を排除しようとして感情のままに攻撃するなど、車に向かって吠えている犬と変わりない。
あなた自身がわざわざ相手と同じレベルまで降りて行って、相手と同じように欲や感情で行動していても何も解決しはしないのである。
そして、あなた自身はむしろ、相手より、人格、理性、知性、全てにおいて上にいなければ、低劣な宗教から引き上げることなど出来はしない。
以上、相手を頭ごなしに否定することの無意味さ、愚かさを説明してきた。
なお、これは、言葉に出して批判しなくても、変な呪文を必死に唱えている相手に、侮蔑のまなざしを向けるのも同じことである。
ここでいったん切って、(その2)では、より具体的な対応策や注意点などについて述べて行きたい。
2012.10.23新規
|