※当記事は(その1)からの続き。
まずは、下図をご覧いただきたい。
※色のついた文字、枠は管理人が追加したもの。
※クリックすれば、大きい画像が参照可能(新ウィンドウ)
これは、左半分が教祖様の『古代天皇家と日本正史』に掲載された系譜、右半分が小林惠子氏の『興亡古代史』に掲載載された系譜である。
まず、青の枠の部分を比べてみよう。なお、以下では、「通常、そうであるとされている部分」と「ありえない部分」を区別する為、「ありえない部分」は赤字にした。
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年)
『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年)
双方とも、天智天皇(=中大兄)を百済皇子・翹岐と同一人物であるとしていて同じである。
次に、赤の枠の部分を比べてみよう。
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年)
『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年)
(高句麗将・蓋蘇文)
大海人
(漢皇子)
(天武天皇) |
双方とも、天武天皇(=大海人)が高句麗の将の蓋蘇文と同一人物であるとしている。
そして、小林惠子氏の方は、漢皇子も天武と同一人物としている点で異なっているが、教祖様は本文の方で、
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年)
斉明(皇極)は、最初に高向王と結婚して、漢皇子を産んだとされる。(P.228)
「漢皇子」というのは架空の人物で、政治取引あるいは性格的な理由で外国に養子に出された大海人と、イメージがダブるのである。どこの国に養子に出されたかは、父の名にある「高」の文字と大海人の行動がすべてを物語る。(P.228)
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と記載しており、教祖様も、天武天皇(=大海人)と漢皇子が同一人物であると考えていることが分かる。結局、全く同じである。
また、緑の枠の斉明天皇を見てみると、百済の武王(オレンジ色の枠)と結婚していたことになっている。オレンジ色の枠の部分を詳しく見てみよう。
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年)
『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年)
教祖様の方は、「百済・武王」が2度出てきているので、誤植であると思われる。
また、本文中に、「『書紀』における舒明が百済の武王であることはすでに明らかにした」(P.208)などとあるので、一方は、「舒明天皇(=田村皇子)」と記載したかったのだろう。
つまり、小林惠子氏と全く同じである。
最後に、教祖様の系図にはない、藤原鎌足を見てみよう。(図の右下あたり)
『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年)
これは、教祖様の著書の本文に
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年)
とあり、これも同じであることが分かる。(※『日本書紀』によれば、智積は、百済の最高官位である大佐平だった)
その他の共通点はあげないが、以上の内容で、基本的に教祖様と小林惠子氏の説がほぼ一致していることが分かるであろう。(なお、小林惠子氏の系譜の1段目(斉明天皇より上の箇所)は、教祖様は採用していないようである)
そして、何故、このような一致が見られるかは明白であろう。
教祖様が小林惠子氏の説をパクったからである。
パクったことを明示する文章の一致例を挙げてみよう。(異なる箇所は赤字にした)
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年)
智積は百済・義慈王の山背王朝打倒の密令を帯びて来倭したのであるから。(P.211)
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『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年)
智積=鎌子は百済から、義慈王の山背王朝打倒の密命を帯びて来倭した。(P.374) |
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年)
つまり天武の風貌は威厳があり、逞しさ、雄々しさは群を抜いていて、道教の範疇である占術と忍術に優れていた。(P.234)
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『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年)
風貌は威厳があって、逞しく、その雄々しさは群を抜いていた。おまけに道教の範疇にはいる天文を見ることや兵法に秀でていたとある。(P.382) |
教祖様も、さすがに、文章をそのまま丸パクリするのは気が引けたようで、部分的に変更していることが分かる。探せば、同じ様な例は他にいくらでも見つけることができるであろう。
なお、私は、他人の説を自説として取り込むことを悪いと言っているのではない。
ただし、教祖様のように、自説の大部分が他人のもので、オリジナルの部分が極端に少ない場合には、そのことを明示するのがマナーであろう。
本件で言えば、自説のほとんどの部分が小林惠子氏の説であることを文章中に記載すべきである。(※主に、第10章、第11章の内容)
しかし、教祖様は、そのようなことをしていないばかりか、参考文献としてすら挙げていない(※本書には、そもそも、参考文献の項目すらないのだが)。
もし、参考文献としてでも掲載されているのであれば、私は「パクリ」と表現するつもりはなかったのだが、それすらないので、あえて「パクリ」と表現することにした。
教祖様には、作家としての良心、良識がないのであろうか。
<参考>
教祖様が元ネタに使用した小林惠子氏の『興亡古代史』は、上述の内容を見ても分かるように、古代日本の天皇たちが朝鮮半島の人物と同一だとする、トンデモな内容である。
本書の内容については、「新しい歴史教科書(古代史)研究会」さんの下記ページでツッコミが入れられているので、どの程度のトンデモなのかを知りたい方は、参照してみて欲しい。
「槍玉その30 興亡古代史 小林恵子 文芸春秋社 2004年刊」
※ページ名に「2004年刊」とあるが、本書の初版は1998年で、当然、教祖様の著書よりも前に出版されている。
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また、私が、ネタ元を暴くことができたのは、上述のものだけであるが、他にもネタとして使用した書籍があるはずである。
例えば、教祖様は、天皇家のルーツがシュメールにあるとしているが(P.32他)、これなどは、岩田明氏が以下の著書で主張している。
『日本超古代王朝とシュメールの謎』(日本文芸社・1998年)
『十六菊花紋の謎』(潮文社・2003年)
『消えたシュメール王朝と古代日本の謎』(学習研究社・2004年) 他
また、斉明天皇がゾロアスター教徒で、飛鳥にゾロアスター関連の痕跡を残したことは(P.213)、松本清張氏が以下の著書で主張しているものである。
『火の路(上・下)』(文春文庫・2009年) (※初出は「朝日新聞 朝刊(1973年6月〜1974年10月)」) 他
<注>
これらの書籍と、教祖様の著書『古代天皇家と日本正史』を突き合わせて検証したわけではないので、ネタ元として使用したか否かは不明。
ただし、教祖様オリジナルの説でないことは確かである。
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以上、教祖様が本書で述べている説のほとんどは、おそらく、このような玉石混交の通俗書の、特に「石」の方をメインとした内容を切り貼りして、つなぎ合わせただけのものではないかと思われる。
それを厳密に立証するほどの時間を本書にかけるつもりなどないが、少なくとも本書が、「日本正史」だとか「真実」だとして、大見え切って世間に配布できるレベルのものでないことは明らかであろう。
2011.4.28 新規
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