鉄矢さん 目が覚めた方からの連絡集(脱・自己啓発/引き寄せの法則)

お名前 更 新 日
鉄矢さん 2015.05.19 新規
 自己啓発系と引き寄せの法則に以前ハマっていたと言う鉄矢さんからメールをいただいたので掲載させていただく。
<鉄矢さん → 管理人 「サイトを拝見しました by鉄矢」 2013/5/10>
(注)文字に色を付けたのは管理人

初めてメールを送らせていただきます、鉄矢ともうします。どうぞよろしくお願いします。
サイトの方を拝見させていただきましたが、薄々感じていたことを明文化していただいたという、そんな感じがいたしました。
そこで、私自身の体験もお伝えしたく思い、こうしてメールを書いている次第です。

私が一時期ハマってしまったのは、主に自己啓発と引き寄せの法則でした当時、自分の力量を越えた問題を抱えていた私は、藁にもすがる思いで沢山の自己啓発書を買っては読んでいたものです
中には正しいことも書いてあるとは思うのですが、今思うと軽薄でおためごかしな美辞麗句の羅列というか、無責任な精神論の焼き直しばかりだったように思えます
どれも似たり寄ったりな内容ですし、どこか宗教めいて不気味な感じすらしました。
辞める原因となったのは、あまりにも自分の状況と解離した内容を見たことと、それゆえに
ノウハウを実践するたび無駄な空回りをする羽目になっていたからです。自己啓発に熱をあげるほど、私の状況は悪くなっていくのでした。
そこに気づいて以来、私はすべての啓発書を引き裂いて捨てました。今は啓発書の類いは読んでいません。
むしろ、それらしき文章を見かけると目眩がするか、字面を追うことを無意識に止めてしまうくらいです。

引き寄せの法則については、そこまで深入りしませんでした。やはり前例が強烈だったこともあり、直感的におかしいと思ったのですね。起きることはすべて自分が引き寄せている。その前提に立つと、日常の些細なことにまで神経質になりそうですね
実際、ザ・シークレットに登場した自称賢人の一人に、かなりおかしな人が混じっていました。かつてホームレスだったそうですが、彼の著書(内容も相当おかしい)を読むと、かなり病んだ性格なのではないかと思わされます。
子羊通信さんやカレイドスコープさんといったブログでも、サタンがらみのものだとか、フリーメーソンが作ったものだとか、怪しげなことが書かれておりました。
私は引き寄せの法則について、それらを立証する根拠を持ちません。内容が嘘なのか、噂がただの噂に過ぎないのか、私にはわかりません。そして、私がそれらの妥当性や公正さを立証する義務も持ち合わせていません。
だから、関わるのを辞めたのです。

やはり、バランスが大切なのだと思いました。自身の経験から身につまされたものですが、くらじさんのサイトを見て、紹介なされていた「考える」ことについて書かれた本を読むことで、改めてそう思いました。がむしゃらなポジティブ主義でも、原因を自分にばかり帰属させても、絶対に上手くいく保証なんてありません。そう考えると、感謝のときには感謝を、怨嗟のときには怨嗟を、というお考えに深く頷けます。

私の体験がもしお役に立てるようでしたら、どうぞサイトの方に掲載してください。返信の方、お待ちしております。では、この度はこれにて失礼いたします。

<管理人補足等>

 自己啓発系も引き寄せの法則も、結局は、それっぽいことを書いているだけで、
「そこに書かれていることを実践することによって、何かが実現できるような気にさせる」
ことがメインの目的のように思う。

 鉄矢さんがおっしゃるように、「中には正しいことも書いてあるとは思うのですが、今思うと軽薄でおためごかしな美辞麗句の羅列というか、無責任な精神論の焼き直しばかり」で、また、物事の一面にしか過ぎないものを、さも世界を貫く真理にように過大に取り上げて主張したりする。

 そして、本を読んだ人をその気にさせることによって、本は売れるしセミナーには人が集まり、また、人々から注目を集めて尊崇を受けることができる。

 上辺ではどう綺麗事を言おうが、そのような状況を実現することがさらにその先にある真の目的であると思う。

 上記メールにもあるように、彼らは自分が真理だと主張するものについて立証責任を果たそうとしないのも、そのことを裏付けていると言っていいだろう。

 自分が真剣に真理だと思っているのなら、もっともらしい言葉で誤魔化していないできちんと立証すれば良い。きちんと証明していないどころか、証明しようともしないものを真理だと人々に吹聴するのは無責任でしかない。

 もし、立証不可能なたぐいのものだと言うのなら、それは
真理と呼べるものではなく、ただの仮説に過ぎないのである。

<参考>「引き寄せの法則」で使用される欺瞞的テクニックについては以下の記事で解説した。
○「もっともらしいだけの根拠(その3) 3.部分抽出による根拠
   ※ページ中程の「<具体例その1> 「引き寄せの法則」のケース」

○「もっともらしいだけの根拠(その8) 8.曖昧な条件付きの成就
   ※ページ下部の「(2).引き寄せの法則のケース」

 続いて、2通目にいただいたメールである。
<鉄矢さん → 管理人 「返信ありがとうございます by 鉄矢」 2015.5.11>

お返事ありがとうございます。微力ながらもお役に立てるようで幸いです。

通常、何らかの知識や情報を求めて本を読むものだと思います。
しかし当時の私は、余程酷かったのかもしれません。
判断力さえも失っていたのか、自分の身の振り方まで啓発書を当てにする体たらくでした。
本当にお恥ずかしいかぎりですし、今思うとかなり危ない橋を渡っていたのだと肝が冷える思いです


引き寄せの法則は、いや、自己啓発書さえもかなり乱暴なこじつけが多用されていたと思っています。
一つ一つ、粗を探すわけではありませんが、論理的な検証を試みれば、沢山ボロが出てくるはずです。

こうした経験もあってか、メディアが垂れ流す無責任な情報や、有識者とかいう人物が口にする意見にも、
まず疑問を持つことからスタートするようになりました
自分の弱点として、権威や名声など肩書きで判断してしまうところがあります。
しかし、
「考える」ことについて書かれた本を読むことで、私に「疑問」というフィルターがインストールされたようです。
あの本はありがたい。貴重な武器を与えていただいた思いです

これからはもっと戦略的に、主体的に人生と渡り合っていける気がしています。
ようやく、地に足をつけて生きていける。そんな希望が芽生えています

 先のメールには、「当時、自分の力量を越えた問題を抱えていた私は、藁にもすがる思いで沢山の自己啓発書を買っては読んでいたものです」とあった。

 タカさん同様、何か問題を抱えている人が「藁にもすがる思いで」、自己啓発系や引き寄せの法則、その他スピ系や宗教に救いを求めるのもよくある話である。

 もちろん、そのようなものにすがりたくなる気持ちも十分分かる。しかし、タカさんが気づかれたように、「疑問」無しで、言いかえれば、
「懐疑的な姿勢」無しでそのようなものに接するのは非常に危険である。

 また、
「これが真理だ、真実だ」「こうすれば幸せになれる」等と断定されているものを、「懐疑的な姿勢」無しで受け入れるのは非常に楽である。自分は何も考える必要もなく、言われるがままに行動すれば良いだけだからだ。

 しかし、
それは、自分で考えることをやめ、他人に委ねてしまった、つまりは、自分が自分であることを辞めてしまった結果に他ならない

 一方、
「懐疑的な姿勢」を持つことは、自分で考え、自分の足で立って生きて行く為に、また、自分が自分であり続け、自分の人生を歩む為に必須のものなのである。