『水は答えを知っている』にツッコミ!(その1) ・・・ 江本勝さま |
書 名 |
水は答えを知っている |
著 者 |
江本勝 |
出版社 |
サンマーク出版 |
価 格 |
1,600円(税別) |
出版年月 |
2001年11月 |
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●本書概要 |
水に、「ありがとう」という言葉や美しい音楽や写真を見せると、それに応じた美しい結晶ができるらしい。
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●ツッコミ |
本書を含めた、江本様の「水の結晶」関連の主張については、既に科学者等からさんざん批判を受けている。
よって、科学的観点からのツッコミについては、批判が記載されたHP等を紹介するに留め、当記事では主に、本書から読み取れる江本様の思考の非客観性や非論理性に焦点を当ててツッコミを入れて行きたい。
まずは、江本様の主張を簡単に説明しておこう。
江本様は、水に例えば、「ありがとう」という文字を見せると美しい結晶ができ、一方、「ばかやろう」という文字を見せると結晶ができないと主張し、結果、水がそれらの言葉の振動を感じ取って変化するのだと主張する。
そして、水が変化するのは、音楽や写真を見せても同じだとし、モーツアルトやベートーベンの音楽や風景写真などで実験して、どのような結晶ができたかを本書に掲載している。
本書に記載された具体的な実験方法を簡単に説明すると以下の通りである。
@.水を入れたビンに、文字を書いた紙を張り付けたり、音楽を聞かせたりして放置する。
A.ビンの水を50個のシャーレに落し、‐20℃以下の冷凍庫で3時間ほど凍らせる。
B.‐5℃の部屋で、顕微鏡を使って観測する
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このような実験の結果、本書には、「『ありがとう』という文字を見せると、こんな美しい結晶ができました」、「モーツアルトを聞かせると、こんな美しい結晶ができました」などと、その結晶の写真が多く掲載されている。
この、江本様の実験の無意味さ等については、学習院大学理学部物理学科の田崎晴明教授が以下のHPで分かり易く、かつ、丁寧に指摘されているので、そちらを参照していただきたい。
また、科学者等からの批判の数々は、以下のページでまとめられているので、こちらも参考まで。
さて、先述の通り、当記事では、江本様の思考の非客観性や非論理性に焦点を当ててツッコミを入れるのが目的である。
まずは、江本様の実験結果の判定に対する恣意性、つまりは、客観性の無さについて見て行こう。
以下の写真は、左がモーツアルト交響曲40番を、右がバッバの「G線上のアリア」を聞かせて出来た結晶として、本書に掲載されているものである。
<P.46-47>
まず、左のモーツアルトの方の解説を見てみよう。
<P.46>
曲調のとおり、美しい結晶ができました。ちょっとユニークなのは、奔放に生きたモーツァルトの性格をあらわしているようです。
(※管理人注)文字に色を付けたのは管理人
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左の結晶は不整形な形になっているのだが、江本様には、「奔放に生きたモーツァルトの性格をあらわしている」ように見えるらしい。
どうやら、水は、聞いた曲の作者の性格まで分かるようだ。
次に、右側のバッハの方である。
複数の結晶が結合したような形になっているのだが、江本様の解説は以下の通り
<P.47>
バイオリンが流れるように奏でるメロディーのとおりに、結晶がつながっていくのがユニークです。
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「バイオリンが流れるように奏でるメロディーのとおり」と言われて、そう見ようとすれば、見えなくもない程度の話。
もはや思い込み次第である。
続いて、ショパンの練習曲作品10-3(いわゆる「別れの曲」)を聞かせたもの。
<P.48>
そして、江本様の解説は、
<P.48>
ピアノ曲は結晶が粒のようになります。「別れの曲」は原題ではありませんが、結晶は細かく別れてしまいました。
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<P.23>
極めつきは、ショパンの「別れの曲」です。おどろいたことに、小さな美しい結晶がいくつも分かれてできていたのです。(ところが、後になって「別れの曲」というのは原題ではないことがわかりました。どうやら日本語の題名をつけた人の感性が結晶に反映されたようです。
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「別れの曲」を聞かせると、結晶が別れたらしい(笑)。
そして、大喜びした後、後日、「別れの曲」が原題ではないことが分かったらしく、「どうやら日本語の題名をつけた人の感性が結晶に反映されたようです」と付け加える江本様。
水は、題名を付けた人の感性まで反映してしまうらしい。
ちなみに、「別れの曲」という題名が通用するのは日本だけ。
1934年のドイツ映画の邦題が『別れの曲』で、同曲が主題となって物語が展開していった為に、この名で呼ばれるようになったのである。また、本曲のWikipediaの解説を見てみると以下の通り。
<Wikipedia「練習曲作品10-3 (ショパン)」>
彼が生まれたポーランドへの愛が高い質で顕現されており、評論家にはピアノのための詩、ロマン派作品として高く評価されている。彼の弟子の一人、アドルフ・グートマンとのレッスンでこの曲を教えていたとき、ショパンは「ああ、私の故国よ!」と泣き叫んだという。 |
つまりは、故国ポーランドへのショパンの想いが込められた曲なのであり、別に、「別れ」がイメージされて作曲されたものではないのである。
なお、作曲当時、ポーランドはロシア帝国の支配下にあり、独立を目指して蜂起が起こっていたりしたが、ショパンはポーランドを離れてパリで作曲家として活動していた。
続いて、モダンジャズのバド・パウエル「クレオパトラの夢」を聞かせたものである.
<P.52>
この結晶の江本様の解説は以下の通り。
<P.52>
50年代のモダンジャズです。美しい結晶は、当時の混沌とした時代に生まれた癒しの音楽であったことを物語っています。
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「当時の混沌とした時代に生まれた癒しの音楽であったことを物語ってい」るらしい。
どうやら、水は、「クレオパトラの夢」という曲が出来た時代背景までも読み取ったようだ。
すごいな、水。
以上、本書に数多く掲載されている結晶写真の内の4点とその解説を引用したが、はっきり言って、このような解説を読んだ時点で「ダメだ、こりゃ」と判断しなきゃいけないレベルである。
江本様の解説は、出来た結晶をもとに、もっともらしくこじつけたに過ぎないもの。
「『水が、事前に聞かせた曲の影響を受けて結晶化する』という自分の考えが正しいと思いたい」という「主観的願望(=欲)」から、曲と出来た結晶の形を無理やり結びつけて、自己満足しているだけ。
一言でいうなら、恣意的であり、科学とは程遠い。
美しい結晶が出来れば、「曲調どおり、美しい結晶ができました」と喜ぶし、少し不整形であれば、作曲家の性格を持ち出してきて納得する。また、曲調で説明できなければ、時代背景や命名者の感性まで持ち出して来て納得する。
結局は、どんな形の結晶が出来ようが、上記のように、もっともらしくこじつけて、「あー、やっぱり、水はすごい!文字や曲の影響を受けて結晶を形作っている!」と考えて自己満足するのである。
ショパンの「別れの曲」などは、もし、江本様がその曲が出来た本来の経緯などを知っていれば、
ショパンの心にある、故国での美しい思い出や、故国への愛。そして、他国の支配下にある故国を自分も救いに行きたいという思いと、作曲家として成功する夢との葛藤など、ショパンの心に去来する様々な思いが反映しています。 |
などという解説になっていたことだろう。
さらに、以下のものは、「ありがとう」を各国の言葉で水に見せた結果である。
<P.34-35>
そして、江本様の解説は
<P.34>
それぞれ語源は違いますが、「ありがとう」はどの国の言葉でも、いつも形の整ったきれいな結晶を見せてくれます。
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「いつも形の整ったきれいな結晶を見せてくれます」とあるが、英語やイタリア語は明らかに不整形であるし、中国語も形が整っているとは言い難い。
これを、「いつも形の整ったきれいな結晶を見せてくれます」と言い切ってしまえる江本様の目は、かなり曇っているのだろう。
なお、もし本当に、江本様の言う通り、水が見せられた言葉によって結晶を形作っているのなら、同じ意味の言葉を見せられた上記7つの結晶は、全て似た形にならなければおかしいのだが、江本様はそんなことは気にならないようだ。
※(その2)に続く
2012.5.29 新規
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