『水は答えを知っている』にツッコミ!(その2) ・・・ 江本勝さま

※当記事は(その1)からの続き



 (その1)では、江本様が実験結果を如何に恣意的に歪めて捉えているかを見て来たが、当記事では、江本様が水について、どのような特殊な性質を持っていると主張しているかを見て行こう。

<P.73>
 水に音楽を聴かせると、なぜ結晶が変化するのでしょう。また、声をかけたり文字を見せると、なぜまったく違う顔を見せるのでしょうか。それは、すべてが振動だからです。水は物がもっている固有の周波数を敏感に感じとり、そのまま転写するのです
 音楽や口から発せられた言葉が振動だということは、だれにでも容易に理解できます。音楽はさまざまな周波数の振動を楽しむものですし、仏教の儀式でお経を読むのも、声を出すことにより、ある種の癒しの振動をつくり出しているのでしょう。
 では、言葉を紙に書いて水に見せても結晶が変化するというのは、どのように解釈したらよいのでしょうか。
書かれた文字にその形が発する固有の振動があり、水は文字のもっている固有の振動を感じ取ることができると考えられます。
 水はこの世界にあるすべての振動を忠実に写しとって、私たちに目に見える形に変えてくれます。水に文字を見せると、水はそれを振動ととらえ、そのイメージを具体的に表現するのです。文字というのは、言葉を視覚的に表現する発音記号のようなものだと考えられます。


(※管理人注)文字に色を付けたのは管理人
 「水は物がもっている固有の周波数を敏感に感じとり、そのまま転写する」らしく、また、書かれた文字であっても、「その形が発する固有の振動があ」るそうだ。

 そして、
<P.129−130>
 まだ波動を測定する機械を使って水を測定していたころの話です。
 日本から遠く離れたペルシャ湾で、多国籍軍がイラクを攻撃して湾岸戦争が勃発した日の午後のこと、私が
東京の水道水の波動を測定すると、人体に有害な水銀、鉛、アルミニウムの波動の値が異常に上がっていました。私には理由がさっぱりわかりません。機械が故障したかと思い、何度かデータをとってみましたが、同じ結果が出るのです。
 私がこの奇妙な観測結果の理由を知ったのは、翌日の新聞を見たときです。その一面では湾岸戦争勃発のニュースが大きく報道されていました。この日一日の攻撃で、ベトナム戦争の全期間で使われたのと同じ量の爆弾が使われたということでした。
 爆弾が落とされた場所から何千キロも離れた日本で、ほぼ同時に、爆弾の影響と思われる有害物質の波動が観測されたのです。こういうことはありうるのでしょうか。
 ペルシャ湾でまきちらされた有害物質が、すぐに日本にまで飛んできたわけはありません。
地球の裏側で爆撃が開始されると同時に、爆弾のもつ有害波動が一瞬にして、地球全体を覆ってしまったのです。波動は時空を超えて、瞬時に広がっていきます。
 波動は、見えない異次元の世界と私たちが住む三次元の世界の、中間に位置しているのではないでしょうか。
地球上で起こったことは、それがどの地域のことであっても、水は敏感に察知して、私たちに伝えてくれるのです
 湾岸戦争が勃発した日に「東京の水道水の波動を測定すると」「水銀、鉛、アルミニウムの波動の値が異常に上がってい」たらしい。

 そして、江本様によると、それは、「地球の裏側で爆撃が開始されると同時に、爆弾のもつ有害波動が一瞬にして、地球全体を覆ってしまった」為らしい。

 呆れるほど馬鹿馬鹿しい話である。

 しかも、「鉛、アルミニウム」については、弾丸やミサイルのボディの素材として、まだ分かるが、「水銀」って何だよ。
 「水銀」が大量に使用されている弾頭とかあるのだろうか??(私は知らないが)

 もしかして、「爆弾=有害」、かつ、「水銀=有害」で
有害つながりと言うことだろうか?

 よく分からないが、まあ、そもそも論で、「波動を測定」という話が怪しいのだから、とりあえずスルーしておこう。

 なお、上記の内容は、因果関係が恐ろしく脆弱なものの因果を認め、安易にトンデモ結論に至ってしまう江本様の思考形態が伺える事例である。


 そして、ここでは、「地球上で起こったことは、それがどの地域のことであっても、水は敏感に察知」するという水の特性が記載されている。

 また、この特性に関連する記載では、以下のようなものもある。
<P.142>
 あなたは、その場所から少しも動く必要はありません。目の前のグラスに入れられた水は、世界中の水とつながっています。どこにあっても、水は共鳴しあうのです。それが広がっていったとき、世界中の人の心がいっせいに愛で満たされることでしょう。
 「目の前のグラスに入れられた水は、世界中の水とつながってい」て、「どこにあっても、水は共鳴しあう」らしい。


 さらに、水の特性として、他にも、
<P.195>
 水の結晶は、観測者の体調や心の状態でも変化します。したがって、同じ水の結晶を熟練した観察者が何人かで観察する、ということも行います。
 「水の結晶は、観測者の体調や心の状態でも変化」するらしい。

 「熟練した観察者」って、江本様の周りには、心と体調を
にすることができる観察者が何人もいるのだろうか?

 しかし、仮に、100歩譲って心を無にすることができるとしても、体調を無にすることなんて不可能。当然、体調の良い、悪いは無になんか出来ずに、水の結晶に影響を与えることになるだろう。

 さらに、先述の通り、「水は物がもっている固有の周波数を敏感に感じとり、そのまま転写する」のだから、観測者が身につけている服やアクセサリーなども影響することになる。

 いったい、どう熟練したら、実験結果に影響を与えないように観測できるのやら。 

 また、「観察者が何人かで観察する」と記載されているが、むしろ、観測する人数が多ければ多いほど、その人数分の波動を受けることになって、結晶への影響が大きくなると思われるのだが。

 
江本様は自分の主張していることを、自分自身で理解できているのかねぇ。。。


 さらにさらに、水の驚愕の特性をもう一つ。
<P.86>
 あなたが水を見つめているとき、水もあなたを見つめています。それだけでなく、あなたが思ったこと、あなたの心にある風景、かもし出す雰囲気、それらすべてを水は記憶するのです
 どうやら、水は、観測者が思ったこと等をその都度、転写するだけでなく、記憶するらしい。

 いずれ江本様は、水を使用した、超大容量で小型の記憶媒体を開発してくれるかもしれない(笑)


 しかし、江本様は、いったい、どうやって、水にそのような記憶が保持されていることが分かったのだろうか??

 水の記憶を読み取ることが出来るような装置がなければ、そのようなことは分からないはずなのだが。。。



 さて、上記にあげた、江本様が主張する水の特性を以下にまとめた。
○水は物がもっている固有の周波数を敏感に感じとり、そのまま転写する
○地球上で起こったことは、それがどの地域のことであっても、水は敏感に察知する
○水は世界中の水とつながっていて、共鳴しあう
○水は、観測者の体調や心の状態にも影響を受ける
○水は、観測者の思っていること、心にある風景、かもし出す雰囲気、それらすべてを記憶する
 仮に、これら全てを正しいとしよう。

 そう仮定すると、江本様が行っている、水に文字を見せたり、曲を聴かせたりした後、その結晶の形を確認するような実験は全て無意味だということになる。

 何故なら、美しい結晶が出来たとしても、それが、以下のどの結果なのか区別することが出来ないからである(もしくは、複数の結果)。

   ○水に文字を見せたり、曲を聴かせたりした結果
   ○水の周りにある物質等の周波数を転写した結果
   ○地球上の他の場所で起きたことが影響した結果
   ○観測者の体調や心の状態等が影響した結果
   ○水が今まで記憶してきたものの、総合的な結果

 結局は、江本様の水の特性に関する主張が正しいとしても、
「『ありがとう』という文字を見せたから、言葉通りの美しい結晶ができました」などとは主張することなど出来ないのである。

 そして、江本様にそれが出来てしまうのは、自分自身の主張していることをきちんと理解できていないからであり、また、物事を恣意的に歪めて捉えて、客観的に見ることが出来ないからなのである。





 以上、(その1)、(その2)と本書の内容の一部を見て来たが、江本様が如何に、客観的・論理的に考えることができない人物であるかがお分かりいただけたのではないかと思う。


 根拠や因果関係が脆弱なものから、安易にトンデモ結論に至ってしまう。

 そして、どのような実験結果が出たとしても、自分の都合の良いように恣意的な解釈を施して、「やっぱり自分の考えは正しい」と自己満足するので、自分の過ちに気付くこともない。

 また、上記にまとめた水の特性の内、その都度、都合の良いものだけを持ち出して来て納得するだけなので、自分の主張の矛盾に気付くこともない。


 そのような江本様の思考や行動の結果がこの本なのである。


 このような本を支持する人が日本だけでなく世界中にいるというのは、非常に残念なことである。

 この書籍には、結晶の美しい写真だけでなく、愛や感謝といった言葉が頻繁に登場するが、そのような写真の美しさや美辞麗句に目がくらみ、記載されていることの本質を理解できないと、こいういうものにダマされることになるのである。


 ちなみに、江本様は、本書にて「感謝」の大切さを説いているが、もし、江本様が本当に「感謝」の心を持って生きているのなら、とうの昔にこんな主張や研究を取り下げているはずである。

 何故なら、江本様には科学者達から、主張や実験等の誤りを指摘されているが、もし、江本様が本当に「感謝」の心を持っているのなら、そのような指摘を「感謝」して受け入れ、自分の過ちに気付いているはずだからである。

 自分の過ちを指摘してくれ、しかも、自分の誤った主張で人々をダマすのを防いでくれている。それを「感謝」しないで、いったい何に「感謝」するというのだろうか?


 しかし、江本様は、未だ同様の主張をし続けている。

 所詮、江本様の「感謝」が上辺だけのものであり、自分の都合の良い時だけに出て来る「感謝」で、自分の都合の悪い時には出て来ない「感謝」だからである。

 そうして、自分が発する美辞麗句に自分自身が酔って、自分が出来てもいないことを出来ているような気になり、一方で、
「自分のやってることは正しいと思いたい、間違っていないと思いたい」というに従って、いつまでもこのようなどうしようもない主張をし続けるのである。


 ちなみに、江本様は、以下の記事に記載した
「『欲』によって自らの目を曇らせる人」の典型例である。
○記事:目の中の梁 〜「欲」によって自らの目を曇らせる人達〜



2012.6.5 新規

非客観性、非論理性・・・このような疑似科学を主張する人たちの共通の特性だナ。