進化論は突然変異や自然淘汰等によって生物が進化するとするもので、チャールズ・ダーウィンが1859年に「種の起源」にて発表した説をもとに種々の修正が加えられ、現在でも、生物の進化を科学的に説明したものとして受け入れられています。しかし、この理論は、実は穴だらけの理論なのです。
例えば、「同じ種でも寒い地方にいる個体の方が毛が多くなる。」これは進化論で説明できます。
寒い地方では、毛が多い個体の方が生き残る確率が高く、毛が少ない個体が淘汰されて毛が多い個体が残る。納得できます。同じように、海辺に広がった個体が海辺に適した身体になって行くというのも何となく分かります。
現在、進化論の主流となっているのは「総合進化説」というものですが、簡単に言えば、集団の内の1個体が突然変異を起し、他の個体が自然淘汰されて徐々にその突然変異を起した個体が増えていくというものです。
しかし、この主流の理論でさえ、様々な欠点が指摘されています。
例えば、個体にとって有利な突然変異が起る確率は極めて低く、また、実際にX線を使って人為的に突然変異を起すと、むしろ不利な変異しか起りません。
また、突然変異の積み重ねで進化が起るとしても、進化の途中段階の化石が一つも見つからないことです。有名なところでは、キリンの祖先にあたる短い首の化石はたくさん見つかっていますが、その中間種の化石は見つかっていません。
進化論は、生物の進化の中の、一部の簡単な変化を説明できているだけで、それ以外はきちんと説明できていないのです。
特に、劇的な進化、例えば、魚類→両生類の進化の場合、肺呼吸が可能になります。そのような複雑な能力が、どうして、突然変異の積み重ねで偶然、可能になったりするものでしょうか。おそらく、それは、不可能に近いものだと思います。
では、何故、進化論は、生物の進化の全てをきちんと説明できないのでしょうか?
それは、「第三の意思」というものを必死で無視しているからです。
例えば、「魚類→両生類」の進化よりもっと単純な、「ヘビ→毒ヘビ」という進化の場合を考えみましょう。この進化の場合、毒のないヘビに対して、新たに、次のような機能が必要となってきます。
@毒を作り出す機能、A毒を保管する機能、B毒を相手に注入・射出する機能
これらの機能が備わったことを「突然変異」という偶然で説明するのは無理であり、その無理を無理と考えずに必死に説明しようとしているものが進化論なのです。
むしろ、「ヘビから毒ヘビを造ろう」という、ヘビ自身でも人でもない「第三の意思」というものが存在すると考える方が自然だと思います。
毒一つ作るにしても、体の中にある成分の内、何を使って作るのかを考えなければなりませんし、その成分を合成する為の仕組みも考えなければなりません。当然、それらを考えた存在なしには進化は説明出来ないのです。
この「第三の意思」は、神と言ってもいいし、別の呼び方でもかまいません。人間を造ろうという意思があったからこそ人間が存在しているのであって、単細胞生物から奇跡的な偶然が重なって人間が出来たとするのは、むしろ、非合理的であり、非科学的です。
単細胞生物から偶然の積み重ねで人間が出来上がる確率より、ゴミの集積地で、風が吹いたり動物がいじったりして、偶然、パソコンの部品が集まり、組み立てられ、きちんと機能する物が出来上がる確率の方がよっぽど高いと言えるでしょう。
また、TVゲームでドラクエやファイナル・ファンタジーと言ったロールプレイング・ゲームというものがあります。
そこでは、様々なモンスターが登場しますが、進化論のやっていることは、ゲームを作ったデザイナーやシナリオライター、プログラマー等の存在を無視した上で、そのゲームに存在するモンスターの全てを進化論という理論で説明しようとするようなものです。
例えば、ドラクエにはスライムというモンスターが登場しますが(ドラクエを知らない方、申し訳ありません)、スライムから、より強い力を持ったスライムベスというものが枝分かれし、また他にも、湿地帯に適応したバブルスライムが枝分かれした。
この辺は、まだ進化論で説明できますが、メタルスライムやキングスライム等になってくると「突然変異で偶然出来た」と無理をゴリ押しするしか出来なくなります。
また、ゲームに登場するモンスターでも、現実世界の生物のように、スライムを起点として進化し、枝分かれして行った過程を図にすることができますが(※「系統樹」という)、現実の動物等と同じで、例えば、スライムがスライムベスへと進化した途中経過の中間種など存在しません。
もし、このゲームの世界のモンスター達を進化論で真剣に説明しようとし、「偶然の積み重ねで全てのモンスターが出来た」と主張している人がいたら、「バカじゃないの?」と思うでしょう。単に、モンスター・デザイナーがいて、「こんなのがいたら面白いんじゃないの」等という発想で作っただけなのですから。
現実の世界の動植物も同じです。TV番組を見ていると様々な面白い動植物が登場します。卵を産む哺乳類や、花そっくりの昆虫、そして、途中で性別が変わってしまう魚なんかもいます。
それらを見ているとゲームのモンスターのデザインと同じで、「こんなのがいたら面白いんじゃないの」という発想に近いものだと思いませんか?
以上、「第三の意思」を必死に無視している進化論は破たんしています。いくら研究を積み重ねようとも真実へとはたどり着けないでしょう。
なお、「知性ある何か」(※一般に「サムシング・グレート」と呼ばれる)がこの世界を、そして、そこに存在する生物を創造し、進化を司っているとする考えをインテリジェント・デザイン説と呼びます。
私は、偶然の積み重ねで微生物から高等生物へと進化し、さらには人間にたどり着いたとする進化論などよりも、インテリジェント・デザイン説の方が、はるかに、理性的で合理的な説であると思います。
進化論は、神やそれに類する存在を認めたくないだけの偏狭な科学者たちが固執しているに過ぎない理論なのです。
先にも述べた通り、現在、進化論が科学界で正しいとされている理論ではありますが、皆さんはインテリジェント・デザイン説の方がよっぽど科学的だとは思いませんか?
※進化論の説明については、『図解雑学 進化論』(中原英臣/ナツメ社/2005)を参考にした。
※あくまで、「誤った二分法」の説明の為に作成した文章なので、真剣に反論して来たりしないで下さい(笑)。
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