『大世見者 松原照子(学研ムー 2017年1月号)』にツッコミ!(その2) |
※当記事は(その1)からの続き。
(その1)で記載した通り、1987年には既に分かっていたはずの「ブルーグレーのおばちゃま」の正体を、2015年に再度、分かったことにしちゃった松原様。
当記事では、2015年度版・正体判明エピソードが具体的にどのようなものかを見て行きたい。
(その1)で見た『ムー 2017年1月号』には、「カミングアウトにいたった経緯の一端」とやらが『ムー 2016年1月号』の「松原照子の大世見」に記載されていると書いてあった。
よって、まずは、そちらから見てみよう。ちなみに、それが「松原照子の大世見」の連載第1回である。
『ムー 2016年1月号(No.422) 「松原照子の大世見」』 (学研プラス/2015.12) P.38
47番通り西302のホテルが見えた!?
10月に、親しい人たちと一緒にニューヨークへ行ってきました。今回の旅は、前々から計画していたことなのですが、具体的な日程などが決まったころ、不思議な世界から、こんな言葉と映像が届きました。
<ニューヨーク47番通り西302 HOTEL SHERMAN>
私はニューヨークのことをまったく知りませんので、この番地が実在するのかどうかさえ、わかりませんでした。でも、不思議な世界の方々が教えてくださったことは、素直にそのまま書くことにしていますから、このことも7月のブログにアップしたのです。
(注)文字に色を付けたのは管理人(以下同様)
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どうやら、松原様、2015年10月にニューヨークに行って来たそうで、その前に、「不思議な世界から」「〈ニューヨーク47番通り西302 HOTEL SHERMAN〉」という言葉が届いたらしい。
ちなみに、ここでは「不思議な世界から」としか書かれていないが、『聞いてビックリ「あの世」の仕組み』では、言葉を教えてくれたのは「ブルーグレーのおばちゃま」だそうだ(P,94)。
続いて、その件につき、アメリカ在住の知人が調査して、該当の番地は実在し、「HOTEL SHERMAN」ではなかったが確かにホテルで、支配人の名前が「SHERMAN」だということが分かったことが記載され、、、
『ムー 2016年1月号(No.422) 「松原照子の大世見」』 (学研プラス/2015.12) P.38
でも、やはりその場所にはHOTEL SHERMANがあったのでは、という思いが、どうしても消えません。
それとね、その建物の2階には、以前H・P・Bという人が住んでいたようなのです。ホテルの前はラマ僧院だった? その場所で、ある協会が崩壊しはじめたそうです。
こうしてお話ししていると、1枚の絵のような映像が見えてきます。5階建ての建物で、屋上には煙突があり、煙が出ています。建物の右上には、小さな旗が立っています。
また聞こえてきました。ビーズリーという写真店が、H・P・Bさんの写真を撮っていたのですって。この人は、10月中旬にニューヨークへ帰ってきたそうです。これは心にぐっときました。私がニューヨークを旅したのも10月中旬でしたから。
こんな偶然って、あるのでしょうか。H・P・Bとは、だれなのでしょうね。
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こちらでは、「HOTEL SHERMAN」に関する情報が色々と追加されているが、後でまとめるので簡単に目を通しておいて欲しい。
そして最後に、「H・P・Bとは、だれなのでしょうね」という松原様のお言葉(笑)
あらあら、とぼけちゃって。
ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァッキーのイニシャルだって分かってるくせに。 (ぷーくすくす)
続いて、「やはりその場所にはHOTEL SHERMANがあったのでは、という思いが、どうしても消え」ないという松原様の為、ムー編集部が調査したようで、、、
『ムー 2016年1月号(No.422) 「松原照子の大世見」』 (学研プラス/2015.12) P.26
松原氏からこの話を聞き、編集部でも情報を集めてみた。すると、当該番地は現在、エコノ・ロッジというホテルになっており、支配人は確かにSHERMAN氏だった。
それだけではない。なんと、そこにはかつて、SHERMAN HOTELがあったのだ!(HOTELとSHERMANが前後してはいるが)
さらに調べてみると、驚きという言葉では追いつかないような情報が得られた。
その場所がSHERMAN HOTELとなる前、そこには神智学協会のロッジがあり、ラマ僧院と呼ばれていたのだ。だとすると、H・P・Bとは、ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァッキーにほかならない。しかも彼女は、オルコット大佐とともに、その建物の2階に居住していた!
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ムー編集部により、次々と裏付けが取れる、松原様の霊視・霊聴。
異なるのは、「HOTELとSHERMANが前後」していたことぐらいである。
すごいやん、松原様! さっすがホンモノの霊能者様やで!! (とりあえず、ここはそういうことにしておこう)
以上が2015年度版・正体判明エピソードの一端である。
「一端」だから、正体判明の出来事そのものは記載されていないのであるが、『聞いてビックリ「あの世」の仕組み』では、ムーの担当編集者が持って来た本に載っていた写真が「ブルーグレーのおばちゃま」その人だったという話が掲載されている。
そして、このエピソードにおいて、松原様が「不思議な世界」から得たとする情報を抽出したのが下のものである。
@.ニューヨーク47番通り西302 HOTEL SHERMAN
A.その建物の2階には、以前H・P・Bという人が住んでいたようなのです
B.ホテルの前はラマ僧院だった?
C.その場所で、ある協会が崩壊しはじめたそうです
D.1枚の絵のような映像が見えてきます。5階建ての建物で、屋上には煙突があり、煙が出ています。建物の右上には、小さな旗が立っています
E.ビーズリーという写真店が、H・P・Bさんの写真を撮っていたのですって。この人は、10月中旬にニューヨークへ帰ってきたそうです
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続いて、下記をご覧頂きたい。
<キャプション部分>
″ラマ僧院″。ニューヨーク47番通西302の二階のH.P.Bの家。
アイシス アンヴェイルドを書いていた時、W.Q.ジャッジが描く。
下は現在の同じ場所。 |
あれ? あれあれ??
松原様が「不思議な世界」から得たという情報のほとんどが、ここに掲載されてますヨ!
上記は、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァッキー夫人』(ハワード・マーフェット/竜王文庫/1981.4)の口絵の一つである。
ご覧の通り、上記でまとめた情報の青字部分、@、A、B、Dがこの1ページを見れば出て来る情報だと分かる。
しかも、松原様が「H・P・Bとは、だれなのでしょうね」と言っていた、「H.P.B」のイニシャル表記そのままである。
さらに、松原様が何故、「HOTELとSHERMANが前後」して「HOTEL SHERMAN」となってしまったのかも、下半分の写真を見れば一目瞭然であろう。
思いっ切り、「HOTEL SHERMAN」と書いてあるからだ。
松原様、ひっでぇなwww
「一枚の絵のような映像が見えてきます」って、実際に絵を見てんじゃんwwwww
いやいや、まだ早計、早計。
残りの緑部分の情報も確認してみよう。
E.ビーズリーという写真店が、H・P・Bさんの写真を撮っていたのですって。この人は、10月中旬にニューヨークへ帰ってきたそうです
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『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァッキー夫人』 (ハワード・マーフェット/竜王文庫/1981.4) P.175-176
ヘレナはコーソン家に殆んど四週間滞在しました。彼女が帰ったあとで、教授は息子に次のように書きました「B夫人(※管理人注:ブラヴァッキーのこと)は帰った。彼女の滞在中、いろいろ不愉快なことがあったが、概して我々は彼女の訪問を楽しんだ。彼女は極めて驚くべき婦人だ。ビーヅリー(イタカの写真屋)は彼女のすばらしい写真を何枚かとっている」
しかし、ヘレナにとっての重要な問題は、果たして正しい種子は蒔けたということでした。教授は果たしてこの偉大な仕事の協力者になったのでしょうか? 時がそれを知らせてくれるだけです。
彼女は十月中頃、ニュー ヨークに戻りました。丁度その時、エンマ ハーディング ブリテン夫人という心霊主義の活動的な講師の家で生まれたばかりの神智学協会の三回目の集会がありました。
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『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァッキー夫人』(ハワード・マーフェット/竜王文庫/1981.4) P.178
それから何ヶ月もの間に、オルコットはいくつもの公の場所で講演をしました。そしてヘレナは彼女のニュー ヨークの客間で話をしました。二人とも彼等の希望のとりでである新しい教えを擁護して、印刷物やパンフレットを書きました。しかし、神智学協会自体は二人の目の前で崩壊しはじめたのです。
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説明は不要であろう。
強いて言うなら、「ビーヅリー」と「ビーズリー」で微妙に表記が違うが、おそらく、一般的な表記の「ズ」に変更したのではないかと思われる。
さらに、『ムー2017年1月号』の総力特集「大世見者 松原照子」の方には、本エピソードに関連して「不思議な世界」からの、これら以外の情報が2件記載されているので、そちらも見てみよう。
まず、1件目である。
『ムー 2017年1月号(No.434) 総力特集「大世見者 松原照子」』 (学研/2016.12) P.26
何となく今書いたところってブルーグレーのおばちゃまとご縁があるようにも思いますけど、「エンリコ・レスタさんと今も仲良くしています」
とブルーグレーのおばちゃまは言っておられたのですが、エンリコさんって誰なのですかネ。
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で、こちらもやはり、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァッキー夫人』から。
『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァッキー夫人』(ハワード・マーフェット/竜王文庫/1981.4) 口絵
<キャプション部分>
H.P.ブラヴァッキーの最も有名な写真の一つ。
1889年1月8日、エンリコ レスタ撮影
ロンドンの彼のスタジオで。 |
記載されているのは「エンリコ レスタ」という名前だけだが、このブラヴァッキーの顔写真を見ながら、「きっと、今もあの世で仲良くしてるんだろうなぁ」などと夢想したのではないかと思われる。
続いて、2件目。
『ムー 2017年1月号(No.434) 総力特集「大世見者 松原照子」』 (学研/2016.12) P.27
松原氏は会話のなかで、47番通西302は「ブルーグレーのおばちゃま」と関係があるのではないかと、何度か口にした。「こうしていると建物の絵のようなものが見えるから、描いてファックスする」とも。
(※管理人注:右上の絵が松原様が書いたもの)
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松原様が霊視して描いたという建物の絵も、『ムー』が掲載してくれている通り、やっぱり、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァッキー夫人』でした。
以上、これが、松原様が当エピソードにおいて霊聴・霊視したものとして書かれているものの全て。
ぜ〜んぶ、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァッキー夫人』が元ネタでした(笑)
口絵2ページと本文P.175,176,178の3ページ。えらく、しょっぱい霊能力ですなぁ。。。
ねぇ、松原様、こ〜んな子供騙しのやり方で奇跡を演出してバレないと思った?
そもそも、既に判明している「ブルーグレーのおばちゃま」の正体が再度、判明するっておかしいだろうに。
ま、お陰で、松原様の言う「不思議な世界」とやらが何かは分かりましたけどね。
この場合は、本ですよね。他にもTVや新聞、雑誌などのメディアも含まれるんでしょうね。
あと、単なる思い付きや妄想とかも(笑)
な〜んだ、「不思議な世界」って、「比喩的表現」ってヤツだったんだぁ。
私、勘違いしちゃってました!
あ、あと、ムーの中の人、気づいてただろ?
以上、続いて(その3)では、松原様が的中させたという「トランブ大統領誕生」予言について見て行きたい。
2016.12.27 新規
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正体が分かったのは、「ブルーグレーのおばちゃま」じゃなくてアンタだヨ、松原様。 |
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