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『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年) 百済皇子・翹岐 = 中大兄 = 天智
『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年) (百済王子・翹岐) 中大兄 (天智天皇)
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年) 高句麗の将・蓋蘇文=大海人=天武
『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年) (高句麗将・蓋蘇文) 大海人 (漢皇子) (天武天皇)
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年) 斉明(皇極)は、最初に高向王と結婚して、漢皇子を産んだとされる。(P.228) 「漢皇子」というのは架空の人物で、政治取引あるいは性格的な理由で外国に養子に出された大海人と、イメージがダブるのである。どこの国に養子に出されたかは、父の名にある「高」の文字と大海人の行動がすべてを物語る。(P.228)
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年) 百済・武王(伽耶建国王の子孫) = 百済・武王
『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年) (百済・武王) 舒明天皇 (田村皇子)
『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年) 藤原鎌足(百済大佐平・智積)
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年) この智積こそが鎌足のことであり、(P.211)
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年) 智積は百済・義慈王の山背王朝打倒の密令を帯びて来倭したのであるから。(P.211)
『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年) 智積=鎌子は百済から、義慈王の山背王朝打倒の密命を帯びて来倭した。(P.374)
『古代天皇家と日本正史』 (中丸薫・徳間書店・2004年) つまり天武の風貌は威厳があり、逞しさ、雄々しさは群を抜いていて、道教の範疇である占術と忍術に優れていた。(P.234)
『興亡古代史』(小林惠子・文藝春秋・1998年) 風貌は威厳があって、逞しく、その雄々しさは群を抜いていた。おまけに道教の範疇にはいる天文を見ることや兵法に秀でていたとある。(P.382)
<参考> 教祖様が元ネタに使用した小林惠子氏の『興亡古代史』は、上述の内容を見ても分かるように、古代日本の天皇たちが朝鮮半島の人物と同一だとする、トンデモな内容である。 本書の内容については、「新しい歴史教科書(古代史)研究会」さんの下記ページでツッコミが入れられているので、どの程度のトンデモなのかを知りたい方は、参照してみて欲しい。 「槍玉その30 興亡古代史 小林恵子 文芸春秋社 2004年刊」 ※ページ名に「2004年刊」とあるが、本書の初版は1998年で、当然、教祖様の著書よりも前に出版されている。
<注> これらの書籍と、教祖様の著書『古代天皇家と日本正史』を突き合わせて検証したわけではないので、ネタ元として使用したか否かは不明。 ただし、教祖様オリジナルの説でないことは確かである。
参考文献の項目すら無いのは、信者たちに、「全部、教祖様が考えて出した答え」だと思わせて、称賛して欲しいカラか?