「モーゼは日本で亡くなっていた」にツッコミ!(その1)・・・ 伊勢白山道さま |
教祖様によると、モーゼは十戒の石板を持って日本に渡来して、日本で亡くなったらしい。
なお、本件に関しては、教祖様は昔から同様のことを主張しており、以下の記事でも簡単にツッコんでいるのだが、その後、新たに追加された情報も含め、より詳細にツッコんでおきたい。
記事:「『内在神への道』にツッコミ!」
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●詳細&ツッコミ |
まず、教祖様は以下の通り、モーゼが十戒の石板と共に日本に渡来し、日本で亡くなったと主張している。
《ブログ本文 2007-9-18》
過去のリーディングより :
モーゼについては、私のリーディングによると、あの有名な十戒石を持って最初、能登半島の七尾あたりに上陸してます。 この石は、光を出すので棺に入れましたが光が漏れ出るので、台車に乗せて回りに布を張り巡らして運んだようです。途中の経路は、大きく見て 七尾 〜 京都 〜 伊勢外宮の多賀宮に埋めたと観えます。 この台車を運んだ伝承が、七尾では伝統祭である
青柏祭
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9F%8F%E7%A5%AD
京都では 祇園祭
http://www.kyokanko.or.jp/3dai/gion.html として、残る
と感じます。
モーゼは、伊勢神宮外宮 多賀宮 に十戒石を埋めた後、中東の方へ帰ろうとするが、疲れと高齢のため能登半島の宝達山 近辺で亡くなってます。 http://www.hodatsushimizu.jp/webapps/www/section/
detail.jsp?id=100 (以上)
(管理人注)文字に色を付けたのは管理人(以下同様) |
教祖様によると、モーゼは能登半島の七尾あたりに上陸し、伊勢外宮の多賀宮に十戒石を埋め、中東への帰路に能登半島の宝達山近辺で亡くなったそうである。
んなワケねーだろという話である。
まず、モーゼは、以下の通り、120歳でモアブの地で死亡し、ベト・ペオルの前にある谷に葬られたことになっている。当然ながら、旧約聖書には、「モーゼが異国の地へ旅立ったまま帰って来なかった」などという話は記載されていない。
『申命記』 34章5‐8節 (『旧約聖書T 律法』 旧約聖書翻訳委員会訳・岩波書店・2004)
ヤハウェの僕モーセは、ヤハウェの言葉の通り、モアブの地で死んだ。ヤハウェは、モアブの地、ベト・ペオルの前にある谷に彼を葬った。今日に至るまで、彼の墓を知る者はいない。モーセは死んだとき、120歳であった。彼の目はかすまず、活力は失せていなかった。イスラエルの子らは、モアブの平野で30日の間、モーセを悼んで泣いた。こうして、モーセのために喪に服す日が終わった。 |
次に、十戒の石板であるが、これはシナイ山でモーゼが神ヤハウェから授かったものなのだが、神ヤハウェの指示により、契約の箱に入れ、幕屋の至聖所に安置するよう指示されている。
『出エジプト記』 40章20‐21節 (『旧約聖書T 律法』 旧約聖書翻訳委員会訳・岩波書店・2004)
彼(※モーセ)はまた、証書(※十戒の石板)を取り、箱に収めた。彼はまた、箱に棒を取り付け、贖いの蓋を箱の上に置いた。そして彼は、箱を宿り場の中に運び込み、帳の垂れ幕を掛けて箱の前を遮った。ヤハウェがモーセに命じた通りである。 |
このように、十戒の石板がおさめられた契約の箱は、幕屋(移動式神殿)の宿り場(至聖所)に安置され、モーセに率いられてたイスラエルの民とともに移動して行くことになる。これは、モーセが死んだ後もしばらく続く。
そして、モーセの死後、この契約の箱にまつわる数々のエピソードがあるが、一部をあげると以下の通りである。
○モーゼの次のリーダーであるヨシュアの時代に、契約の箱を担いでエリコの町を7周すると、壁が崩れ落ちて、攻略に成功する(ヨシュア記6章)。
○ダビデ王が、自分が建設した町であるエルサレムに契約の箱を運び入れる。その際、ダビデ王を含むイスラエルの民は楽器を鳴らし、歌い踊り興じた(サムエル記下6章)。
○ダビデ王の子、ソロモン王が神殿を建設し、そこに契約の箱を運び入れると、神殿に雲が満ちた(列王記上8章)。 |
なお、ソロモン王が神殿に契約の箱を運び入れた際、箱の中身を確認し、十戒の石板が2枚あることが確認されている(列王記上8章9節)。(※十戒の石板は、2枚の石板に5つずつ戒めが刻まれたもの)
もし、教祖様のリーディングが正しければ、これらのエピソードの時点で十戒の石板は日本にあるのだから、契約の箱にあったのはレプリカだったことになる。
再度、ツッコんでおこう。 んなワケねーだろ。
ちなみに、教祖様がリーディングしたと言う先述の話は、基本的に『竹内文書』の内容を焼き直したものである。『竹内文書』には、モーゼに関して以下の内容が記されている。
※『謎解き古代文明』 (ASIOS・彩図社・2011年) P.250より
古代世界の成り立ちが記された『竹内文献』によると、今からおよそ3430年前、不合朝第69代神足別豊耡天皇の時代に、モーゼは船で日本の能登に渡来。
天皇に十戒を彫り込んだ「十戒石」を献上し、承認を待つ間、天皇の第一皇女である大室姫を妻に迎えた。そして12年間、神道の修行に励んだという。
やがて天皇から十戒の承認を得たモーゼは、天空浮船と呼ばれる古代世界に存在した飛行船に乗って宝達山を出発。イタリア・ボローニャ地方を経由してシナイ山に渡り、十戒を世界に広めるという大役を果たした。
その後、モーゼは余生を過ごすために再来日。583歳という長寿を全うし、最期は宝達山のふもとにある三ツ子塚に葬られた。それが現在も宝達志水町に残されているモーゼの墓である。
※『竹内文献』は、『竹内文書』に同じ |
教祖様の話と、モーゼが最初に能登に上陸した点、最期が宝達山という点で一致している。
おそらく、教祖様はこの『竹内文書』の話をもとに、想像を膨らませたのだろう。
なお、上記の通り、『竹内文書』には、古代世界に存在した飛行船の「天空浮船」なるものが登場するが、以下の通り、教祖様も太古に、同様の飛行船があったと主張している。
《ブログ本文 2012-06-07
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最近は、岩手県から青森県の太平洋側の宮古〜「八戸」の沖合の海底も気になります。地龍の巣を感じます。
「戸」の付く地名とは、神様との縁が深いのです。
太古に「天の鳥船」(あまのとりふね)と呼ばれた反重力で浮上させる文明を持つ基地の痕跡の後に、「戸」の付く地名や「国府」が置かれたと感じます。
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このように、『竹内文書』の影響をモロに受けている教祖様であるが、他の記事でも記載した通り、『竹内文書』は偽書である。
『竹内文書』は、古代より竹内家に代々伝わってきた古文献とされるものなのだが、超古代に天皇が地球を統治していたとしていたり、イエスやモーゼが日本に来て死んだとしたりする荒唐無稽な内容もさることながら、かなり分かり易い偽書っぷりを披露している。
例えば、太古の昔に天皇がその子息達に世界各地の統治を任せ、その子息達の名前がそのまま地名になったとされているのだが、その一部をあげれば以下の通りである。
○インダウ天竺万山黒人民王 → インド
○ヨイロバアダムイブヒ赤人女祖氏 → ヨーロッパ
○アジアシャムバンコクムス白人祖民王 → タイ・バンコク
○アシアアンナムノハノイ青人民王 → ベトナム・ハノイ
○ヨハネスブルク青人民王 → 南アフリカ・ヨハネスブルグ
○ヒウケエビロスボストン赤人民王 → アメリカ・ボストン |
『竹内文書』が公開されたのは昭和3年のことだが、当時知りえた地名をもとに皇太子たちの名前を作成したのがチョンバレである。
また、『竹内文書』の中には、「イスキリス・クリスマスの遺言」というイエス・キリストが残したとされる文書があるのだが、何故か、ファーストネームが「イスキリス」と、「イエス・キリスト」を短縮したようなものであるのに加え、それに「クリスマス」が追加されるというワケの分からなさである。(※『竹内文書』の中では、十字架で死んだのは弟のイスキリであって、イエス本人は日本に来て死んだとされる)
ちなみに、クリスマスの語源は、「キリストのミサ」を意味する英語の「Christ's
Mass」である。
さらに、『謎解き古代文明』(ASIOS・彩図社・2011年)には、『竹内文書』が偽書である根拠として以下の項目があげられている。項目だけ列挙しておくので、興味のある方は該当書籍を参照願いたい。
『謎解き古代文明』 (ASIOS・彩図社・2011年) P.252-253
・当時は使われていなかった文法や仮名遣いの誤りが多々見られる
・名前を少し変えただけの人物が多数出てくる
・地位を表す位階の記述に誤りがある
・史実と合わない
・違う人物による文書が同じ筆跡になっている |
このような偽書の『竹内文書』であるが、教祖様によると、以下の通り、三割の真実があるらしい。
『内在神への道』 (伊勢白山道・ナチュラルスピリット・2008) P.236
まんまと、偽書の内容を真に受けて、教祖様さすがである。
さらに、2008年5月7日のブログ記事を見てみよう。
《ブログ本文 2008-5-7》
モーゼと十戒石を乗せた大きな台車を押していた屈強なユダヤ人達は、大きな鼻と体をした猿田彦神として伝えられたと感じます。
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モーゼと共に、渡来した「屈強なユダヤ人達は、大きな鼻と体をした猿田彦神として伝えられた」らしい。
猿田彦神は、アマテラスの孫であるニニギが地上へと降臨する際、先導役を果たした神である。日本書紀には「その神の鼻長は七咫、背長は七尺」とあり、鼻が長く、背も高かったと記述されている。
ちなみに、この猿田彦神について、教祖様は次のようなことも言っている。
『内在神への道』 (伊勢白山道・ナチュラルスピリット・2008) P.158
サルタヒコ神
サルタヒコ神は瓊瓊杵尊の分霊です。先駆けの、切り込み隊長ですね。霊的姿は天狗様(正神界)です。
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「サルタヒコ神は瓊瓊杵尊の分霊」らしい。ニニギの先導役を果たした猿田彦神がニニギの分霊という話もワケが分からないが、先ほどの「屈強なユダヤ人達は、大きな鼻と体をした猿田彦神として伝えられた」という話と全く異なるものである。
教祖様、その時々で、テキトーなこと言わないで下さい!
さて、教祖様による、モーゼ関連の話はまだまだ尽きないのであるが、続きは(その2)にて。
2012.10.2 |
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