「モーゼは日本で亡くなっていた」にツッコミ!(その2)・・・ 伊勢白山道さま
 ※当記事は、(その1)の続き。



 (その1)で指摘した通り、教祖様のモーゼ渡来話の元ネタは偽書の『竹内文書』であったが、当記事でも可能な限り、元ネタを明らかにして行きたい。




 教祖様は、京都の貴船神社の前を流れる川を見ていて、以下の通り幻視したらしい。
《ブログ本文 2011-12-16》
貴船神社の前を流れる川を見ていて幻視したことは、「木の船」を牽引する異国風の集団でした
船と言いましても、とても
小さな船であり、人一名と小さなヒツギ(棺。聖箱)が乗る程度の大きさです。船底には4つの車輪が付いており、乗る人物と聖箱を、屋根と周囲を囲む綺麗な織物が隠していました

三千年以上前の大昔は道路などがもちろん無く、川沿いが唯一の視界が開けた道だったのだと思います。

この船を屈強な若者たちが、川の流れを見て水に浮かせて運んだり、急流では持ち上げて川岸を運んでいます。
船には何本もの横棒が飛び出ており、その棒を肩に担いで持ち上げたり、船を水に浮かせた時は、若者たちが横棒に着座して水面を漕いでいます。また平地では、横棒を多数で押しながら、船を車のようにして進みます。
これは現代で言いますと、
水陸両用船とも呼べそうです

(管理人注)文字に色を付けたのは管理人(以下同様)
 教祖様が幻視したものをまとめると次の通り。
三千年以上前の話
「木の船」を牽引する異国風の集団
○その船は、
  ・人一名と小さなヒツギ(棺。聖箱)が乗る程度の大きさ
  ・
屋根がついており、「周囲を綺麗な織物」が覆っていた
  ・船底には4つの車輪が付いいる
  ・船には何本もの横棒が飛び出ている

  ・陸も水上も進める、水陸両用船とも呼べるもの
 ちなみに、この幻視内容を、(その1)でツッコんだ2007年9月18日のブログ記事と比べると以下の通り微妙な違いが見られる。
項目
2007年9月18日
2011年12月16日
十戒の石板を入れていたもの 小さな棺。聖箱。

(※該当のブログ記事では「十戒の石板」は出て来ないが、描写は、間違いなく、十戒の石板を日本に持ってきたモーセの一行)
運搬道具 台車。まわりを布を張り巡らされていた。 水陸両用の船。その船には屋根と4つの車輪が付き、何本もの横棒が飛び出している。また、まわりを綺麗な織物が囲んでいた
 まず、「十戒の石板を入れていたもの」である「棺」「小さな」という修飾語が加えられ、さらに、「聖箱」という描写も加わった。

 「棺」というからには縦長の箱で、ユダヤの「契約の箱」とは明らかに形状が異なるのだが(※具体的な形状・大きさは、『出エジプト記』25章に記載されている)「聖箱」という表現が加わることによって、「契約の箱」と共に十戒の石板が運び込まれたとも、そうでないとも取れる微妙な言い回しになった。

 次に、「運搬道具」だが、「台車」
「車輪付きの船」になった。

 「契約の箱」は「アーク」とも呼ばれるが、「ノアの方舟」もやはり、「アーク」(Noah's Ark)と呼ばれる。つまり、「アーク」は「船」でもあるのだが、そこからの連想ではないかと思われる。

 また、単に「布」と記載されていたのが、「綺麗な織物」と変わり、「屋根」が付いて、「何本もの横棒」が飛び出しているという描写も加わった。

 後述のように、教祖様は、この、モーセの一行が十戒の石板を運ぶ姿が、「祇園祭」の原型になったと主張しているのだが、
全体の形状が、祇園祭で使われる山鉾と神輿を足して2で割ったものに近づき、さらに、そこにアーク(船)の要素が加わった形である。(※ちなみに、船に神輿が乗った「船神輿」なるものも存在するので、興味ある方は画像検索して欲しい)

 また、教祖様は、「船には何本もの横棒が飛び出ており、その棒を肩に担いで持ち上げたり、船を水に浮かせた時は、若者たちが横棒に着座して水面を漕いでいます」とも記載しているが、これなどは、茨城県の下館祇園祭の川渡御の光景と似ている。(※これも、興味ある方は、「祇園祭 川渡御」で画像検索されたい)

 以上、過去の記事と比べてみるとまるで、教祖様の妄想が膨らんで行く様が伺えるようである(笑)

 きっと、現実に見た映像や写真、キーワード等から連想して、過去の出来事を想像しているだけなのに、自分では「霊視した」などと思っているんだろうねぇ・・


 さらに、ブログ記事の続きを見てみよう。
《ブログ本文 2011-12-16》 (※上記からの続き)
貴船とは、“木の船”という意味も感じます。
この集団が、後に京都の祇園祭の原型であり、伝承を生んだと感じます
祇園祭は、貴船神社の下流に存在する八坂神社の祭典です。御祭神はスサノオ神ですが、
牛頭天王の呼称がこの神社では合う感じがします。


牛の頭とは、角・ツノを持つ聖人をさします。
これは
私の感得では、ユダヤのモーゼのことです。モーゼのオデコの上方には、皮膚が硬化して隆起した2つのコブを感じます。これを頭にツノを持つ人として伝承されたのでしょう。
モーゼの過去記事(http://www.lucifer2.jpn.org/index.php?word=%81%9E%81%9F%88
%C9%90%A8%94%92%8ER%93%B9+%83%82%81%5B%83%5B&type=and&sort_flg=0&enc
ode=%82%A0)

 (※管理人注)ここに、角の生えたモーゼの彫像の画像あり

 「貴船とは、“木の船”という意味も感じ」るらしい(笑)

 おそらく、貴船神社の「船」から、
「船 → アーク → 契約の箱 → 十戒の石板」という感じで連想し、上述のような「幻視」と称する妄想が出て来たのではないかと思われる。


 また、八坂神社の祭神であるスサノオは「牛頭天王」とも呼ばれるが、教祖様によると、その正体は「ユダヤのモーゼのこと」で、「モーゼのオデコの上方には、皮膚が硬化して隆起した2つのコブを感じ」るそうだ。

 確かに、西洋でのモーゼの彫像には、以下のように角が生えていることが多い。

「ミケランジェロのモーセ像」サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会

「モーセの井戸」シャンモールのカルトゥシア会修道院
 しかし、実際に「モーゼのオデコの上方には、皮膚が硬化して隆起した2つのコブ」があり、それが「頭にツノを持つ人として伝承された」という教祖様の話は、全くのデタラメ

 彫像のモーゼの角は、誤訳に端を発するものである。

 モーゼがシナイ山から降りて来た時に頭が輝いていたという旧約聖書の文章をラテン語に翻訳する際、ヘブライ語の「輝く」を意味する言葉が「角」と似ていたため、「角」と誤訳されたことが原因なのである。

 ちなみに、該当箇所の日本語訳は以下の通りである。
『出エジプト記』 (『旧約聖書T 律法』 旧約聖書翻訳委員会訳・岩波書店・2004)
 モーセがシナイ山から降りて来たとき、モーセの手には証書の石板二枚があった。モーセは自分がヤハウェと話している間に、自分の顔の皮膚が光り輝いたのを知らなかった。アロンとイスラエルの子らは皆、モーセを見た。なんと彼の顔の皮膚が光り輝いていた。(34章29‐30節)

 イスラエルの子らがモーセの顔を見ると、モーセの顔の皮膚は光り輝いていた。(34章35節)
 教祖様のこの、モーゼに関するデタラメ話は、モーゼの彫像の角を見た上での、そこからの想像であろう。

 なお、八坂神社の牛頭天王をモーゼの角と関連づけるのは、教祖様が初めてではない。

 「牛頭天王 モーセの角」でググってみると結構出てくるが、一例だけ掲示しておく。
ブログ 《光透波(ことは)の泉【デジタル版】  しあわせの波紋》 2007.7.1
 なぜなら、「角」の生えたモーセは、「牛」の象徴とも見られますし、これは、「蘇民将来」の「牛頭天王」や「スサノオ命」とも、繋がっていくからです。
 さらに、教祖様は、十戒の石板が入った聖箱を運ぶ姿が、「祇園祭の原型」となったと言っているが、これも、教祖様オリジナルではない。

 この話は、日ユ同祖論系の本ではよく主張されていることで、例えば、以下のものがある。
『聖書の隠された 日本・ユダヤ封印の古代史』 (ラビ・M・トケイヤー/徳間書店/1999) (P.136-138)
契約の箱と御神輿はよく似ている

 紀元前1000年頃、イスラエルの王ダビデは、神の「契約の箱」をエルサレムに運び入れた。契約の箱とは、日本の神社の御神輿に似た移動式の神殿である。そのときの様子を、聖書はこう記している。
 
〜(中略)〜
 「契約の箱」は、長さ113センチ、幅と深さはそれぞれ68センチほどの長方形の箱であった。
 契約の箱は、二本の棒でかつぐようになっていた。契約の箱のかつぎ棒は、現在の再現模型などを見ると、しばしば箱の上部につけられていたり、中ほどにつけられているものもある。しかし、かつぎ棒は箱の下部につけられていた。
 聖書によれば、かつぎ棒を通す環は「箱の基部に取りつけ」(出エジプト記25・12)られていたと、書かれているからである。
ちょうど、日本の神社の御神輿のような形である。イスラエル人のレビ族の祭司がこれを担ぎ、エルサレムの街中を、神楽の音の鳴り響く中、練り歩いた
 ダビデ王は、その前で踊った。彼の妻であるミカルはその姿を見て「心の中で彼をさげすんだ」と聖書に記されているので、その踊りは優雅というよりは、むしろ喜びを率直に表現する踊りだったのだろう。
 
日本でも、人々は契約の箱が街中を練り歩くと共に、その前後で踊る。また歓声をあげ、様々な楽器を打ち鳴らして神楽をかなでる
 〜(中略)〜

契約の箱と御神輿の周辺のこともよく似ている

 京都の祇園神社では、毎年、
祇園祭のときに男たちが御神輿をかついで川に入り、川を渡る。こうした光景は私には、かつてイスラエル民族の出エジプトのあと、祭司たちが契約の箱をかついでヨルダン川を渡ったという出来事の絵に見えてならない(ヨシュア記3・14〜17)。
 このように、日ユ同祖論系の本で主張されるのは、日本の神輿について、旧約聖書に記載されている出来事が原型になった」というものだが、一方、教祖様は、日本でのモーゼ一行の行動が原型になった」というものなので、その点ではオリジナリティがあると言えなくもない。

 しかし、その元となったのは、(その1)で指摘した通り、偽書の『竹内文書』のモーゼ渡来話であり、それと、日ユ同祖論での主張を組み合わせた結果、上述のような話が出て来たのであろう。


 教祖様のモーゼ関連の妄想話はまだ続くが、続きは(その3)にて。



2012.10.09

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はやく、自分の妄想と現実の区別がつくようになると良いナ。










 伊勢白山道さまにツッコミ!