『大世見者 松原照子(ムー 2017年1月号)』にツッコミ!(その10)
※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)(その7)(その8)(その9)からの続き。


 当記事では、『宇宙からの大予言』に記載された、「ブ゙ルーグレーのおばちゃま」の初登場エピソードの続きを見て行きたい。

 松原様が寝ようとしていたら、突然、「ブ゙ルーグレーのおばちゃま」が現れ、「もう、あなたは逃げることができません。これから、大きな仕事をしなくてはならない人です」と話しかけてきた、その続きである。
『宇宙からの大予言』 (松原照子/現代書林/1987.1) P.39 (※(その8)からの続き)
 「私が・・・・・・いったい何をするのですか」
 「地球を救うのです」

 あまりの大きなことに、私は、夢を見ているのではないかと思ったほどです。
 「私は、あなたがそこにいるのさえ信じられません。
私みたいな者がなぜ、地球を救うのですか。私はごく普通の人間です
 老婆は、笑みを浮かべていました。


※管理人注:文字に色を付けたのは管理人(以下同様)
 ちょwwwwww 松原様が「地球を救う」ってwwwwwww

 
救世主きどりwwwwwwwwwwww

 HAHAHA ! Don't be kidding ! !

 
この頃の松原様、今以上に自我が肥大化しとったんやなぁ(しみじみ)

 
ま、この後、「私はごく普通の人間です」とか言って否定してるけど、謙虚さをアピールする為、かつ、「自分でさえ、信じられなかったんです」と、エピソードをより事実っぽく見せる為の、よくあるポーズな。

 こんなふうに、突然、神霊やそれに類するモノが現れたり、霊言が降りて来た時には、大抵、このポーズが取られる。


 続き。
『宇宙からの大予言』 (松原照子/現代書林/1987.1) P.39-40 (※上記からの続き)
 「たとえば、私があなたの言うように、この地球上で何かの役があったとしましょう。それでは、あなたが現実に居たという証拠を見せてくれませんか。そしたら、私は、あなたの存在と言葉を少しだけでも信じられるでしょう」
 老婆は、黙ったまま、うなずきました。
 「
あなたの言う、私が地球を救う人間だとしたら、有名じゃないと何を言っても聞いてくれないでしょう。それもひとさまから笑われないかたちでないと・・・・・・、それならば、私の名前を新聞に載せてみてください。それから真面目な番組のテレビにも、もしそんなことが私に起きたら、そのときこそ、あなたが居たことを信じることにしましょう
 画像は、戦争映画のようでした。そのときは、老婆との会話に夢中だったので、何が映されていたのか記憶にありません。
 「もう逃げられませんよ」のひとことを残して、老婆は消えました。
 グレーの中にブルーが光る老婆の目。
以来、私は、老婆のことをブルーグレーのおばあちゃんと呼んでいます。
 このように、松原様が、「ブ゙ルーグレーのおばちゃま」「居たことを信じる」為に出した条件が、「自分の名前が新聞やTVに出ること」である。

 まあ、平たく言えば、
「奇跡を起こしてくれたら、信じる」という話。これも、先程の流れから言えば、オーソドックスな展開である。

 また、松原様は、この初登場エピソード以来、その老婆のことを「ブルーグレーのおばあちゃん」と呼んでいるそうである。

 細かい話で、あえて今までツッコまなかったのであるが、『聞いてビックリ「あの世」の仕組み』では次の通り、
初登場以来、「ブルーグレーのおばちゃまと呼んでいたことになっている
『聞いてビックリ「あの世」の仕組み』 (松原照子/東邦出版/2016.6) P.101
 そのおばちゃまは、その後しばらくお越しにならなくなるのですが、ブルーグレーの目が印象的でしたので、それからはブルーグレーのおばちゃまとお呼びすることにしました
 途中で、「ブルーグレーのおばあちゃん」 → 「ブルーグレーのおばちゃまに変更したのだろう。


 そして、『宇宙からの大予言』では、続いて下記のことが記載され、
○松原様が開いたチャリティーバーベキュー大会が、「議会ジャーナル」という兵庫県の新聞で紹介され、松原様の名前が掲載された。(P.40-41)

○この頃から、松原様の名前が各新聞に出るようになり、テレビ局からも出演依頼が来るようになった。(P.42)
「ブルーグレーのおばちゃま」に出した条件が、実現したことが示される。

 なお、松原様の名前が出た新聞の引用が『宇宙からの大予言』の巻末に掲載されているのだが、松原様について次のように紹介されている。
『宇宙からの大予言』 (松原照子/現代書林/1987.1)
 新しい活動を始めるのは、神戸市中央区中山手通一、田中ビル地下、スナック経営松原照子さん(35)を代表に約30人の仲間でつくっている「心の箱を育てる会」。 (1982年5月30日付「神戸新聞」) (P.221)

 「犯人の顔が見えるのよ」と神戸・三宮のスナック経営者(37)が記者に真顔で話した。 (1984年12月21日付「神戸新聞」) (P.217)

 メキシコ大地震や日航機墜落など大惨事を言い当てた神戸・三宮のスナックのママが、さらに来年4月までの半年間に、国内で大災害が頻発すると予言した小冊子を自費出版、話題を呼んでいる。
 同市中央区中山手通2ノ2、エーコースカイハイツ602、
松原照子さん(39)の『恐怖の大予言』(B5判、20頁)が、その冊子。 (1985年10月27日付「神戸新聞」) (P.220)
 (その8)で見た通り、「ブルーグレーのおばちゃま」初登場時の松原様の仕事は次のように記載されていた。
「神戸で割烹を営んでいた」 (『ムー 2017年1月号(No.434)』) 

「自分が経営する会社の事務所で仕事」  (『聞いてビックリ「あの世」の仕組み』)
 「割烹」でも「会社」経営でもない、「スナックのママ」でした(笑)

 
ちょくちょく、ウソを放り込んで来るよな、松原様。しかも、自分に都合の良いように歪めたウソを。
 スナック → 割烹
 スナック経営 → 会社経営
 「スナックのママ」は自営業で、会社じゃないだろうに。

 
まあ、「スナックのママ」をボカすのは、許容範囲内だと思うんだよねぇ。

 
でも、ボカすとしたら、「飲食店」だよねぇ。「割烹」とか「会社経営」って。

 
さすが松原様、こういうところにも人間性が出ちゃってますわ。


 まだ、松原様の「ブルーグレーのおばちゃま」エピソードは続くのだが、ここで一旦切って、続きは(その11)にて。



2017.03.21 新規

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ちなみに、本文の方では「神戸の片すみで小さなお店を開いて13年」(P.40)などと表現されてるゾ。

さすがにこの頃は、「スナックのママ」だったことをみんな知ってて、「割烹」とまでは言えなかったんだナ。