「光の時代がはじまりました」にツッコミ!(その7)・・・越智啓子さま |
※当記事は(その1)、(その2)、(その3)、(その4)、(その5)、(その6)からの続き
スピ系の本を読めば、「もれなく付いて来る」と言っていいほど記載されている「ポジティブ・シンキング」。ご多分にもれず、越智啓子様も「ポジティブ・シンキング」をかなり積極的に推奨しているようである。
この「ポジティブ・シンキング」は実は、危険な要素を含んだものであり、手放しで推奨できるたぐいのものではないのだが、それについては後述するとして、まずは、越智啓子様がどのように「ポジティブ・シンキング」を推奨しているのかを見てみよう。
『光の時代がはじまりました』 (越智啓子/徳間書店/2012.3) P.49
人生はすべて思い込みなので、その思い込みをマイナスからプラスに変えるだけで、人生は明るくすてきに変わります。悲劇の主人公から喜劇の主人公になって、魔法のように、見える世界が変わってしまうのです。これはとても楽しくて、なかなかやめられません。
(管理人注)文字に色を付けたのは管理人(以下同様)
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ここでは「ポジティブ・シンキング」という言葉は出て来ないものの、「人生はすべて思い込みなので、その思い込みをマイナスからプラスに変えるだけで、人生は明るくすてきに変わります」と記載されている。
まあ、確かに主観レベルではその通りなんだけどねぇ。
アセンションが本当にあり、自分がアセンションしていると思い込んで、
○身体が透明化して来てる!
○時間を変容させることができてる!
○思いのままイルカを引き寄せることができた!
○天候を自分の意識で思い通りにできてる!
○天使、龍、台風、空とお話できてる!
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な〜んて思って生活してたら、ある意味幸せ。確かに「喜劇の主人公」で、「見える世界が変わって」るわ。
さて、ここで、「ポジティブ・シンキング」の問題点を解説しておこう。
「ポジティブ」は、その反対の「ネガティブ」と共にその意味を捉えると分かりやすい。
「ネガティブ」は「否定的、消極的」、一方、「ポジティブ」は「肯定的、積極的」という意味である。
もちろん、「どちらがより良いか」と言う二択であれば、「ポジティブ」の方であろう。
しかし、それは状況にもよるし、程度にもよる。
例えば、オレオレ詐欺の電話が掛かって来ているのに「肯定的」に捉えるのは問題であるし、せっかく親身になって助けの手を伸ばしてくれているのに、「何か裏があるに違いない」などと「否定的」に捉えるのも問題である。
状況に応じて、「時に『消極的』に、時に『積極的』に」と両方をバランス良く使って、物事に対応して行く必要があるのは少し考えれば容易に分かることであろう。
そして、そのバランスを欠いた状態が、例えば、ストーカーである。
○何度も、「あなたのことは好きじゃない。付き合う気は一切ない」とはっきり告げられているのに、「照れ隠しでそう言ってるだけで、本心は違う」などと考えて、恐ろしく「肯定的」(*)。
○後を付け回したり、家を突きとめて待ち伏せしたりと、恐ろしく「積極的」。
(*)相手の言っていることは否定しているが、「相手と付き合いたい」という欲望があって、その欲望にとって都合の良いように「肯定的」に捉えている。
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誰も、このような「ポジティブ」な状況を素晴らしいとは思わないであろう。
「ネガティブ」と「ポジティブ」は、あくまで両方をバランス良く使い分ける必要があるもので、一方に偏った状況は問題のあるものなのである。
そして、そのような、問題のある極端な「ポジティブ」を利用するのが、宗教やスピ系である。(ただし、「利用している」という意識はなく、単純に「『ポジティブ』は良いもの!」と勘違いしているケースが多いが)
その理由は、次の点で、非常に都合が良いからである。
@.教祖自身の「自分が特別な能力を持った、特別な人間だと思っていたい」という欲望にとって都合が良い
A.信者の信仰を保つ上で都合が良い
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@は、これまで見てきた越智啓子様の例を思い出せば、説明は不要であろう。
物事を、「自分が特別な能力を持った、特別な人間だと思っていたい」という欲望にとって「肯定的」に歪めて捉えてしまうので、現実を無視することができ、いつまでも「自分は特別な能力を持った、特別な人間だ!」と思い込んでいられるのである。
そして、Aは、極端な「ポジティブ」になった信者は、信仰を否定する事実に直面しても「肯定的」に捉えてくれるからである。
○教祖が霊視を外した。
・・・我々の信仰を試す為に、わざと外したんだ!
○妻子持ちの教祖が、信者の一人と不倫をしている。
・・・教祖様は解脱して、欲望や罪といったものから超越している!むしろ、教祖様の遺伝子が可能な限り多く残ることによる、この世に対する貢献は計り知れない!
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このような信者が、教祖にとって如何に都合が良いかは、想像に難くないであろう。
結局、バランスの悪い極端な「ポジティブ」と「ネガティブ」はそれぞれ、次のように言い代えることが出来る。
○「ポジティブ」 ・・・ 問題あるものを問題だと認識できない状況
○「ネガティブ」 ・・・ 問題ないものを問題だと認識する状況 |
「ポジティブ」だけで「ネガティブ」が無くなれば「肯定的」にしか捉えられなくなり、一方、「ネガティブ」だけで「ポジティブ」が無くなれば「否定的」にしか捉えられなくなるからである。
再度言うが、「ネガティブ」と「ポジティブ」は、あくまで両方をバランス良く使い分ける必要があるものなのである。
ちなみに、その宗教で特に「ポジティブ・シンキング」を推奨していなくても、信者の「自分の信仰が正しいと思っていたい」という欲望を強めれば、同じ状況になる。
先のような異常に「肯定的」な状況は狂信・妄信信者のそれであり、「ポジティブ・シンキング」は狂信・妄信信者を造り上げる為のツールの一つに過ぎないからである。
以上、「ポジティブ・シンキング」の問題点をご理解いただけたのではないかと思う。
越智啓子様もストーカーも狂信・妄信信者も基本的には同じで、その根底にあるのは欲望と執着。
その欲望と執着に従って物事を都合の良いように「肯定的」に歪めて捉え、問題あるものを問題だと認識できない状況になってしまっているのである。
そして、その状況は、釈迦が説いた解脱する為の手段とは真逆。
「ポジティブ・シンキング」は欲望と執着を助長し、より強力にするツールなのであり、仮にアセンションなるものが本当にあったとしても、そんなツールを使っていては逆の効果しかない。
「否定的」を捨て去ることは、客観性や常識を捨て去ることと同義。「自分はアセンションしていると思いたい」という欲望と執着のまま物事を歪めて捉え、次第に常識を逸脱して、主観レベルでの幻想とまやかしの世界へと移行するだけなのである。
なお、若干補足しておくと、「極端な『ネガティブ』な状況になっている人を『ポジティブ』よりに戻す為に、一時的に極端な『ポジティブ」』状況にする」というようなケースは問題ないと考える。
また、「極端を避けた上で、平均すると『ポジティブ』より」の方が、社会的に成功しやすい言えよう。当然、暗い人より明るくて積極的な人の方が人から好かれやすいからだ。
続いて(その8)では、越智啓子様が物事を極端に「ポジティブ」に捉えている事例を見てみよう。
2016.10.04 新規
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バランスの悪い、極端な「ポジティブ」を推奨しているトコがあったら、そこはアウトと考えていいゾ。 |
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