古史古伝の代表格ともいえる『竹内文書』を見てみると、荒唐無稽とも思える内容が羅列されており、偽書とされるのは仕方がない面もある。
たとえば、『竹内文書』では、天皇家とその祖先である皇祖神の系譜は大きく四つの時代区分に分けられると述べている。
〜 (管理人注)時代区分の説明は省略 〜
エジプトの歴史などを調べてみても、やはり、そこには歴史に残る古代エジプト王朝の時代よりさらに先に「神々の時代」や「半神半人の時代」が登場する。神官マネトーの『エジプト史』に書き残された王名表には、数十代の神々の名が連なり、有史以前の長大な歴史が綴られている。エジプト学者はこういった歴史をすべて無視しているが、私はそれは間違いだと考えている。
したがって、神武天皇の登場以前に天神七代や上古二十五代の神々の名が登場することはあり得る話である。私は神武より前の天皇は、ムー文明時代(第4章で説明)の統治者であったのではないかと考えている。ただ驚かされるのはその常軌を逸したタイムスケールの長さである。太古の人類が大変な長寿であったという記述は世界中の古伝承に共通して見られる要素だが、『竹内文書』においてはその長寿ぶりが並外れている。
上古二十五代は一代あたり100億年を超える治世であり合計で約3300億年、不合朝七十三代では一代あたりの治世は短くなったものの、それでも合計で約290万年である。現在の科学において宇宙の年齢が150億年とされていることを考えれば、これはあまりに荒唐無稽な数字である。
だが、そこに誇張があるとしても、何らかの史実が含まれているとは考えられないだろうか。それがまったくの想像の産物であったとするなら、世間からもう少し受け入れやすい歴史を捏造したはずである。先述したように、『竹内文書』以外にも神武天皇以前に天皇の系譜が存在していたとする古文献がいくつもあるのだから、その年代や年数は別として、やはり、何らかの形で我々の知らない長大な天皇家の歴史が存在していたと考えておくべきではないだろうか。 |