「アミ 小さな宇宙人」にツッコミ!(その1)・・・エンリケ・バリオス様

書 名  アミ 小さな宇宙人
著 者  エンリケ・バリオス
出版社  徳間文庫
価 格  552円(税別)
 出版年月  2005年8月 (※チリでの初版は1986年)

●本書概要

本書裏表紙より
 少年ペドゥリートとアミと名乗る宇宙人との感動のコンタクト体験。宇宙をめぐる旅の中でペドゥリートは地球がいまだ野蛮な、愛の度数の低い未開の惑星であることを教わる。世界11カ国語に訳された不朽のロング&ベストセラー待望の文庫化。


(※管理人注)文字に色を付けたのは管理人(以下同様)
この書籍は、2000年11月に徳間書店から発売されたものが文庫化されたもの。
(注)上記には「アミと名乗る宇宙人」とあるが、この小説に登場する宇宙人は「アミ」と名乗っていない。宇宙人は名前を聞かれた際、「きみたちの言葉にそれをあらわす音がない」と言い、「”アミーゴ(友だち)”と呼んだらいい」と答えている(P.33-34)。
●ツッコミ

 今回、対象とするこの書籍『アミ 小さな宇宙人』は、小説である。

 ただし、39歳の時に、
意識拡大の経験をして宇宙至高の本質を掴み、さらには、全ての宗教、愛を統合する要素を見つけたらしいエンリケ・バリオス様が、そのことを人々に伝えて行く手段としたのが小説であり、この書籍もその一つである。(※参考:Wikipedia「エンリケ・バリオス」)。

 よって、この小説には、そのようなエンリケ・バリオス様の思想がふんだんに盛り込まれ、その思想は主として、主人公である10歳の少年ペドゥリートが出会った宇宙人アミの口から語られることになる。

 また、この書籍がチリで発売されたのは1986年のことである。2012年のアセンション騒ぎは愚か、1999年のノストラダムス騒動よりも前のことである。

 ただ、既にこの頃から、
「インチキ予言者たちが1999年の世紀末に向けて、やれ、この世の終わりだの、第三次世界大戦だの、天変地異だのと騒いでいた」という時代背景も念頭に置いておいて欲しい。


 それでは、まずは、イントロダクションから見て行こう。
『アミ 小さな宇宙人』 (エンリケ・バリオス)/徳間文庫/2005.8) P.7
    イントロダクション

 
十歳の子どもにとって、一冊の本を書くことは、けっしてやさしいことではない。
 この年ごろはだれでも文学についてよく知らないし・・・・・・また、ほとんど興味ももっていない。でも、ぼくはそれをどうしてもしなければならない。
 だって、
アミが、もういちど、彼に会いたいなら、彼といっしょに過ごしたあの体験を、1冊の本に書かなければならないと言ったからだ。
 このように、物語の始まりは、主人公である十歳のペドゥリートの独白から始まる。

 
「10歳のペドゥリートが、宇宙人アミとの体験を本にしろと言われ、それを実行したのがこの本」と言う設定である。

 実際は、作者のエンリケ・バリオス様が1945年生まれで、この書籍の発売が1986年だから、
40過ぎのオッサンが書いているのだが。


 そして、続き。
『アミ 小さな宇宙人』 (エンリケ・バリオス)/徳間文庫/2005.8) P.7 (※上記からの続き)
 でも、たいていのおとなにとって、おそろしいことのほうが、すばらしいことよりも、ずっと信じやすいことだから、ほんのひとにぎりのおとなしかぼくを理解しないだろう。
 ここは、エンリケバリオス様が、主人公に仮託して自分の言葉を言わせているところである。

 この文章から分かることは、次の通り。
○エンリケ・バリオス様が自分の教えを「すばらしいこと」だと思っている
○これまで、その教えを説いて、「ほんのひとにぎりの」大人にしか理解されなかった
 自分の教えを「すばらしいこと」と考えているから、このような「小説」という手段を使ってでも広めようとしているのである。

 そして、直接教えを説くことを避け、「小説」という手段を選んだのは、それまでに、
ほとんどの大人に信じられないどころか、むしろ批判されたからであろう。

 「小説」という形式ならば、
「どうせ小説だから」と教えを批判しようとする人は少なくなるだろうし、仮に批判されても、「ただの小説でフィクションですよ〜」いつでも逃げることが可能だからである。

 なお、大人たちからさんざん批判されたであろうことを想起させる記述が、後でも何度か出てくるのだが、その都度、触れることとする。

 また、「おそろしいことのほうが」「信じやすい」という文言があるが、
「世紀末の恐怖の終末予言が大人たちに信じられて、信者を集めていること」に対する批判とやっかみが含まれているのではないかと思われる。


 そして、
『アミ 小さな宇宙人』 (エンリケ・バリオス)/徳間文庫/2005.8) P.8 (※上記からの続き)
 また、アミは、ぼくに問題がふりかからないように、つぎのように言うことを忠告してくれた。
 
これから語るすべてのことは、ぼくのたんなるファンタジーにすぎず、子どものためのおとぎ話だと。

 彼の言ったとおりにしよう。
 そうこれはまったくのおとぎ話です。
 まあ、なんつーか卑怯な書き方

 この文章を字義通りに読めば、宇宙人アミの助言によってファンタジーのフリをするのだから、
この書籍の内容は現実に起きたことになる。

 実際に読んでみれば、ただの想像の産物、ファンタジーに過ぎないことは明白なのであるが、こんな内容でも「ほんのひとにぎりのおとな」が字義通りに受け取ってしまったりするので困ったものである。

 一方、このような、真実だと思い込ませるような記述をしておいて、もし、
批判されたら、「いやいや、ファンタジーって書いてるでしょ」とか、「この本は小説ですよ。リアリティを感じてもらおうと思って、そう書いただけです」等といくらでも逃げることが出来ることになる。

 また、「問題がふりかからないように」ともあるが、やはり、これも、エンリケ・バリオス様のこれまでの、問題がふりかかった経験がこのような言葉を書かせたのではないかと思われる。より具体的に言えば、その
問題とは、教えや考えに対する批判であり、否定である。


 さらに続き。
『アミ 小さな宇宙人』 (エンリケ・バリオス)/徳間文庫/2005.8) P.9 (※上記からの続き)
 注意(おとなのみにむけた)

 
読みつづけないように! きっとおもしくないでしょう。ここに書いてあるのはすばらしいことばかりだから。
 「どうせ、「ほんのひとにぎりのおとなしかぼくを理解しない」から、大人は読むなよ!」と言うことである。

 なんか、笑える。いろいろ批判を受けて、ホンマにイヤやったんやろな。

 小説という手段を使って批判をかわす用意を十全に整えていながら、それだけでは満足できずに、ご丁寧に冒頭部で「読みつづけないように!」との警告文。

 
完全に守りに入っている上に、排他的である。

 さらには、自分の教えが「すばらしいこと」であることは
絶対に譲らない

 先に触れた「ほんのひとにぎりのおとなしかぼくを理解しない」も、自分の教えが正しいことが前提の言葉である。

 人間性、透けて見えちゃってますよ、エンリケ・バリオス様・・・

 批判を拒絶して自分を守り、自分の教えが「すばらしいこと」であることに固執し続ける態度。

 その態度が現れ出たのが、これまでの記述である。


 ちなみに、先にネタバレすれば、本書のテーマは「愛」である(※明示されているワケではないが)。

 神は「愛」そのものであり、この宇宙は「愛」で出来ている。「愛」の度数の高い人間ほど高度で進化した人間・・・

 
人々に「愛」を説く人間が、そのような自己保存欲や執着むき出しで、排他的な態度でいいんでしょうかねぇ。




 以上、イントロダクションの段階で早々に、愛や感謝等を説く他のインチキ霊能者たちと同じ匂いを漂わせてくれているエンリケ・バリオス様。

 イントロダクションは、あと少し続くのだが、ここで一旦切って、続きは(その2)にて。




2016.03.22 新規

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もう結論出ちゃった感じカ? 一応、中身も見てみるゾ。