論点(その4)
 ※当記事は(その1)(その2)(その3)からの続き


 
当記事では、(その2)で見た夫婦のやりとりに、どのような問題があり、かつ、どうすれば良かったのかを(その3)に引き続き、考察して行きたい。




 二人のやりとりの問題点の続きであるが、「論点」を一つずつ順に片付けて行く為、かつ、「論点」を勝手に変更させない為には、現在、どのような「論点」で議論しているかを常に頭の片隅に置いておくべきである。

 そうでなければ、嫁さんのように、無秩序にどんどん「論点」が提示され、かつ、中心となる議題も「本の汚れ」に加え「俺さん本人」も追加されることになってしまう。よって、
(3).どのような「論点」で議論しているのか、常に意識しておくべき
と言える。そうすれば、「論点」が変わったことに気付いて、議論の流れを修正することが出来るし、また、多くの「論点」が未決着でなおざりなまま、収集の付かない状況になることを避けることが出来る。

 また、二人のやりとりのように、複数の「論点」が出て収集が付かなくなった場合は、
(4).複数の「論点」が出て収集が付かなくなった場合は、一旦、議論を止めて、今、出されている「論点」を紙などに書き出して整理すべき
だろう。どの「論点」が重要か、どの「論点」から先に話し合うべきかを確認するのである。

 そして、二人のやりとりでの「論点」を整理してみると、結局、重要な「論点」は次の二つにしぼれることが分かる(下記の、訂正線を引いていない二つ)。
<俺論点@>借りた本が汚れた場合、汚したか否かに関わらず、本を借りるよう要請した人が謝るべきか否か

<俺論点A>この状況がキレていい状況か否か
<嫁論点@>汚れを付けたのは嫁さんか否か

<嫁論点A>本を汚していない者が謝るべきか否か

<嫁論点B>俺さんが、嫁さんが汚したと決め付けているか否か

<嫁論点C>俺さんが、自分の言うことを常識だと決め付けているか否か

<嫁論点D>俺さんが相当な非常識か否か
 現在は、「借りて来た本が汚れてしまっていた」という事実を前提とした議論であり、<俺論点@>と<嫁論点@>以外は、その前提から離れた「論点」であり、あまり重要ではないと言える。ただ、もし、「俺さんが、相当な非常識で、いつも、非常識なことを押し付けて来る」ので、この際、議論して置きたいと言うのなら、それは、保留しておいて、<俺論点@>と<嫁論点@>を先に片付けてから話し合えば良い。
<参考> 本来、話し合うべき点
 上記では、二人のやりとりを前提としたので「<俺論点@>と<嫁論点@>を話合うべき」としたが、本来、「借りて来た本が汚れてしまっていた」という状況下で話し合うべきは次の2点であろう。
○本を汚したことに対する対処法

 「汚れた本をそのまま返して、会社には謝って済ます」、または、「 新品を買って返す」等。

○本が汚れた原因の究明と今後の対処法

 例えば、汚れて当然の使い方をしていたなら(例:台所の机に置いたままにしていた)、今後、借りて来たものをそのような使い方をしないようにする等。


 次に、話合うべき<俺論点@>と<嫁論点A>であるが、<嫁論点@>の方は明確な証拠がない限り、犯人の特定は難しく、結局、結論が出ないまま終わる可能性がある。

 また、(その3)でも述べた通り、<嫁論点@>は嫁さんの責任に関わるものであり、この嫁さんの性格を考えれば、議論が収集の付かない状況になってしまう可能性が十二分に予想される。

 よって、明確に答えが出るであろう<俺論点@>から議論を始めるのが良いと思われる。

 なお、<俺論点@>が決着すれば、通常、
「本を借りるよう要請しただけでは謝る必要はない」という結論が出るはずである。そうすれば、「誰が汚したか」と言う問題を棚上げしようとしていた俺さんには、嫁さんを謝らせる理由がなくなり、そこで議論が終了となる可能性も高いと言える。


 以上、二人のやりとりの問題点を見ながら、議論の際に、「論点」に絡めて意識しておくべきもの解説して来た。

 次に、「論点」からは話がずれるが、議論における他の二人のやりとりの問題点を見てみたい。

 
まず、嫁さんの発言のみを抽出してみよう。
「私じゃない」

「私が汚したんじゃないのに、なぜ謝らなければならない?」

「私がやったと決めつけるな!」

「自分の言うことが常識だと決めつけるな!」

「そっちも相当な非常識だ!」

「私が犯人だと決めつけるな!」
 こうやって羅列してみると、嫁さんは、結論しか述べていないことが分かる。

 唯一、根拠が述べられているのが、「私が汚したんじゃないのに、なぜ謝らなければならない?」であるが、根拠としている「私が汚したんじゃない」は、その前に「私じゃない」と主張したことが前提となっている。
根拠 ・・・ 私は汚していない

結論
 ・・・ 私は謝る必要がない
 嫁さんは最初に、「私じゃない」という結論だけを主張して、次に、その結論を根拠に別の主張をしただけなのであり、やはり、根本的な所では根拠は不明なのである。

 一方、俺さんの主張を見てみると、俺さんが主張した主要な「論点」は一つだけであったが、それに関連した最初の発言は次の通りである。
「あなたが持ってきて欲しいと言って持ってきたものが汚れたんだから、ごめんの一言ぐらいあってもいいんじゃない?」
 ここでは、嫁さんが謝る理由が示されている。
根拠 ・・・ 本は嫁さんが持ってきて欲しいと言った(そう言わなければ汚れなかった)

結論
 ・・・ 嫁さんは謝るべき
 しかし、同様の主張が再びなされた時の発言は以下の通りである。
「持ってきてもらったものが汚れたんだから
一言ごめんと言うのが常識じゃないか?」
 この通り、二回目は、自分の主張が「常識だ」と言っただけである。

 俺さんが最初に示した根拠では嫁さんは納得しなかったのであるから、本来、より多くの、もしくは、より詳細な根拠を示す必要があったと言えるだろう。

 このように、嫁さんは根拠も示さずに一方的に結論を投げ掛けるだけ。一方、俺さんは、一度は根拠を示したものの、その後は、自分の言っていることが「常識だ」だと主張しているだけなのである。

 お互いが根拠を示さずに結論を主張しているだけでは、議論がまともに成立するはずがないと言えるだろう。よって、
(5).何かを主張する際は、きちんとその根拠を示すべき
だと言える。

 
根拠を示さず結論だけを主張しているだけでは、当然ながら、相手を説得することは出来ない

 特に、相手がその結論に反対している場合や納得していない場合、結論だけ主張していても説得など出来るはずがない。人はその根拠によってその結論が正しいか否かを判断するものだからである(※中には、その結論が自分に都合が良いか否かで判断する人もいるのだが)。

 
根拠なしの結論だけの主張、それは、ただの主観の押し付けであり、「自分が正しいと思っていることを、お前も正しいと思え」と無理強いをしているだけなのである。

 そして、嫁さんのように結論だけを主張していても、当然ながら相手が納得しないので、
結局、力押しで(嫁さんの場合は、キレる)自分の結論を押し付けるしか方法が無くなってしまうことになる。

 一方、俺さんの「常識じゃないか?」という発言も、
「自分の結論が正しんだ」という主張を繰り返しているだけである。こちらも当然ながら、そんなことを言っても相手を説得することが出来ない。

 このような主張は、
自分の結論の根拠を提示出来ない時や、まともに説明できない時の誤魔化しとして良く使用されるものである。俺さんの「常識じゃないか?」という発言と同種のものには、例えば、次のようなものがある。
当たり前じゃないか!

決まっているじゃないか!
 このような言葉は自分自身も分かっていない時に良く使用されるものである。いったい、自分自身が根拠をきちんと説明できないのに、どうして、「当たり前」だと言えるのだろうか。

 議論の際、、もしくは、他人から何かを質問された際、このような言葉で誤魔化しているだけでは、考える力など付きはしない。それは、自ら、
考えることから逃げている行為だからである。

 皆さんも、他人から質問された時等に、
「当たり前じゃないか!」「決まっているじゃないか!」等という言葉を発しようとした際には、そのような言葉で誤魔化していないで、一度、「何故、当たり前なのか」「何故、決まっているのか」をじっくりと考えてみると良いだろう。

 ただ、議論の場で、すぐに根拠が思い付かなかったり、また、上手い説明が思い付かない場合は、返答を保留していい。
「申し訳ないが、今すぐには、よい説明が思い付かない。後で時間をとって考えてから返答するよ」と言えばいいのである。
(6).すぐに良い返答が思い付かない場合は、返答を保留して良い
 「当たり前じゃないか!」等と言って、他人と自分とを誤魔化しているよりは、はるかに誠実な態度だと言えよう。


 さて、それでは、二人のやりとりにおける最後の問題点である。

 嫁さんの発言として、「私がやったと決めつけるな!」とあったが、それ以前に、俺さんが根拠もなく嫁さんを犯人扱いしていない。この発言は、(その2)で記載した通り、嫁さんが以下の通り、推察した結果であると思われる。
こんなに謝れって言うのは、私が汚したと思っているからだわ。
私を犯人にして許せない!
 これは、ただの推察に過ぎず、明確な根拠があるわけでもない。それにも係らず嫁さんは「私がやったと決めつけるな!」と発言し、「俺さんが、嫁さんがやったと決めつけている」と決めつけているのは問題である。

 議論の場で、ロクな根拠もないただの推察を事実として議論されては、混乱を招くだけである。
(7).十分な根拠のないただの推測と事実は区別しなければならない
と言える。

 特に、嫁さんのケースでは推察の対象が目の前にいるのだから、まず、
「あなた、もしかして、私が汚したと思ってる?」などと推察した内容を確認すべきである。そのような作業をすっ飛ばし、かつ、根拠も示さずに「俺さんが、嫁さんがやったと決めつけている」を事実として発言するのだから、まともな議論が出来るはずもないと言えよう。




 以上、俺さんと嫁さんのやりとりから、「論点」、及び、議論におけるあるべき姿というものを見て来た。これまでに列挙したものをまとめると以下の通りである。
(1).「論点」は基本的に、一つずつ順に片付けて行くべき

(2).「論点」を棚上げにする場合は、明示すべき

(3).どのような「論点」で議論しているのか、常に意識しておくべき

(4).複数の「論点」が出て収集が付かなくなった場合は、一旦、議論を止めて、今、出されている「論点」を紙などに書き出して整理すべき

(5).何かを主張する際は、きちんとその根拠を示すべき

(6).すぐに良い返答が思い付かない場合は、返答を保留して良い

(7).十分な根拠のないただの推測と事実は区別しなければならない
 分かっている人には、当たり前過ぎてアクビが出てしまうような内容であると思うが、このようなことを分かっていない人同士が無益な議論を繰り返しているのも、残念ながらよく見かける光景である。

 なお、上記はあくまで原則であり、話し合いの場では、これらの原則を頭に置いた上で、あまり縛られ過ぎずに、状況によって臨機応変に対応して行って欲しい。


 さて、これまで「論点」というものを見て来て、ある程度、「論点」について理解していただけたのではないかと思うが、(その5)では、理解度を計る為、簡単な問題を出してみたいと思う。



<参考> 嫁さんのその他の問題点

 上記では、議論に関連する問題点のみを記載したが、参考に他の問題点も簡単に解説しておきたい。

(1).脆弱な根拠で100%の確信に達してしまう

 上記の最後で記載したことだが、推測と事実の区別がついておらず、安易に「○○に違いないわ!」と確信を持ってしまう人のようである。

 そして、根拠脆弱なただの推測に過ぎないものが、本人の中では事実になってしまっているので、その推測結果に固執するし、さらには、その推測結果から、また別の推測結果が導き出されて、どんどん、妄想レベルの領域に突入して行ってしまうことになる。


(2).必死に自分を守り過ぎ

 嫁さんの発言を列挙すると以下の通りである。
じゃない」

私が汚したんじゃないのに、なぜ謝らなければならない?」

私がやったと決めつけるな!」

「自分の言うことが常識だと決めつけるな!」

「そっちも相当な非常識だ!」

私が犯人だと決めつけるな!」
 御覧の通り、発言の過半数の主語が「私が」で、残りは、主語は明言されていないが「俺さんが」であり、かつ、俺さんを批判するものである。

 そして、要約すれば、結局、嫁さんが主張したいことは、終始、次の2つだけなのである。

   @.私は悪くない ・・・ 主語が「私が」のもの
   A.お前が悪い  ・・・ 主語が「私が」以外のもの

 嫁さんはどうやら、
「自分を守ることに必死な人」のようである。

 そのことは、例えば、俺さんが本に汚れを見つけて「あ、汚れがついてる」と言っただけで、「私、じゃない」と発言したことからも伺える。

 絶えず、「自分を守ることに必死」なので、自分が責められる可能性を感じ取っただけで過剰に反応し、先回りして「私、じゃない」と発言して予防線を張っているのである。

 また、例えば、俺さんが「一言ごめんと言うのが常識じゃないか?」という発言に対しては、やはり過剰に反応して、自分が
「常識がない」と批難されているように感じてしまっている。

 その反撃としての発言が「そっちも相当な非常識だ!」なのである。「自分を守ることに必死」なので、「非常識だ!」と言われたと思ったら、その相手に同じように「非常識だ!」と言い返さなければ気が済まないのである。

 当然ながら、このようなタイプと議論しても、まともに議論が成立する可能性は低い。
「何が正しいか」という観点ではなく、「自分を守りたい」という欲に執着して議論して来るからである。



2014.03.25新規

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