主観と客観(その3)
※当記事は(その1)(その2)からの続き。

3.主観の根底にあるもの

 これまで主観的な考えの例として何件が記載して来たが、その文章の、根拠の部分を列挙すると次の通りである。
「○○だから、□□だ」の○○の部分である。
@.この結論が正しいと思いたいから
A.自分は誤りを認めなくてはならなくなるから
B.格好いいと思うから
C.今日はなんとなくカレーを食べたい気分だから
 これらの根拠を分析すれば、
@、A ・・・ 欲・都合
B、C ・・・ 感じ方(フィーリング)
となる。

 結局、
主観的な考えの根底にあるのは、「自分の欲や都合、感じ方(フィーリング)で考えること」
なのである。

 なお、「感じ方(フィーリング)」の方は、
個人の経験に大きく影響される場合がある。

 例えば、
「サッカーか野球のどちらがより好きか」という質問を受けた場合、もし、「中学から高校までずっとサッカー部に所属していた」という人がいたら、その人は高確率で「サッカーの方が好き」と答えるだろう。
 
「好きか嫌いか」というのは「感じ方(フィーリング)」であるが、そのような経験のある人はサッカーにプラスの感情移入をしている場合が多いからである。


 また、全ての「自分の欲や都合、感じ方(フィーリング)で考えること」主観的な考えになるわけではないのは(その2)で述べた通りである。
 「主観的客観」、つまり、
「本当は正解がないが、社会の合意としての正解がある事」について考える時に求められる、「自分も含め他人の考えや感じ方を考慮した上の考え方」の場合がそうである。

 その場合は主観と同様に、根底には「自分の欲や都合、感じ方(フィーリング)で考えること」があり、その上で、より普遍的に、
他人の欲や都合、感じ方(フィーリング)」を考慮して考えることになる。



4.「完全客観」の根底にあるもの

 「完全客観」とは(その2)で述べた通り、社会的な合意で決められたものではない正解がある場合に求められる客観である。

 こちらの「完全客観」については、主観「主観的客観」とは異なり、自分の欲や都合、感じ方(フィーリング)は排除することが求められる。

 そして、それらを排除した後に残るものは、真実性論理である。

 より具体的に言えば、
A.根拠の真実性
B.根拠と結論の結び付き
C.根拠と結論のバランス
であり、この3つが、「完全客観」の根底にあるものである。

 例えば、次のような出来事があったとしよう。
体育の授業の間に、教室に置いてあったA君の鞄からサイフが盗まれた。
クラスの人以外が教室に入った形跡はなく、クラスに犯人がいる可能性が高い。
そして、犯人に関する次の主張の内、客観的と言えるのはどれであろうか。
@.B君が嫌いなのでB君が犯人だったら愉快だ。よって、B君が犯人だ。
A.私はB君がA君のサイフを盗むところを見た(実はウソ)。よって、B君が犯人だ。
B.今日は晴れなので、B君が犯人だ。
C.B君は貧乏だ。よって、B君が犯人だ。
D.B君は貧乏だ。よって、ひょっとしら、B君が犯人かも知れない。
E.誰もいない教室で、B君がA君の鞄を触っているのを見た人がいる。よって、B君が犯人だ。
F.誰もいない教室で、B君がA君の鞄を触っているのを見た人がいる。よって、B君が犯人の可能性が高い。
 順に解説して行こう。
@.B君が嫌いなのでB君が犯人だったら愉快だ。よって、B君が犯人だ

 これは、客観で考えるべき事柄に対して、主観を持ち込んだ考え方である。そして、
根拠が根拠足りえていない


A.私はB君がA君のサイフを盗むところを見た(実はウソ)。よって、B君が犯人だ。

 これは、根拠がウソの場合である。

 もし、このウソが意図的なものなら、それは主観で考えた結果であり、その根底には
「B君を犯人に仕立て上げたい」等のがある。

 一方、勘違いの場合は、主張した本人は客観的に考えたことになる。ただし、この主張が
「客観的に正しいか」と言われれば、正しくない。根拠が虚偽だからである。

 なお、このケースでは最初から
根拠がウソであることにしたが、後日、ウソであることが判明することもあるものである。その場合は、当初は「客観的」とされていたものが、判明と同時に「客観的でない」に変わることになる。その主張に普遍性がないと判断されるからだ。


B.今日は晴れなので、B君が犯人だ。

 これは、
根拠「今日は晴れ」結論「B君が犯人」全く結び付いていない。何故、晴れなら、B君が犯人だということになるのか、全く不明だからだ。「根拠が根拠足りえていない」主張である。


C.B君は貧乏だ。よって、B君が犯人だ。

 これは、@やBのように
根拠結論が結び付いていないわけではないが、その結び付きはかなり弱い。せいぜい、動機の説明が出来ただけであり、この程度の根拠で犯人扱いをされたら、たまったものではないだろう。

 このような、
弱い根拠のことは一般に「根拠脆弱」と言われるが、その脆弱な根拠で、「B君が犯人だ」断定的な結論を提示していて、根拠と結論のバランスが悪いと言える。


D.B君は貧乏だ。よって、ひょっとしら、B君が犯人かも知れない。

 こちらの
根拠はBと同じ弱い根拠だが、結論の方が断定ではなく、かなり弱い推量になっている。

 弱い根拠に、それ相応の弱い推量の結論であり、
根拠と結論のバランスが取れていると言える。

 ただ、バランスは取れているとは言え、このケースでは、このような主張を口に出したりするのはB君に対して失礼であるし、頭の中に留めておくべきだろう。


E.誰もいない教室でB君がA君の鞄を触っているのを見た人がいる。よって、B君が犯人だ。

 これは
Cよりは強い根拠であるが、「B君が犯人だ」と断定してしまうには、根拠が不十分だと言える。よって、根拠と結論のバランスが取れていない

 他にも、
「鞄からサイフを抜き出しているのを見た」とか、「B君のズボンのポケットからA君のサイフが出て来た」などの根拠が欲しいところである。


F.誰もいない教室でB君がA君の鞄を触っているのを見た人がいる。よって、B君が犯人の可能性が高い。


 こちらの
根拠はDと同じで、結論「可能性が高い」と断定はしていない。よって、根拠と結論のバランスが取れている


G.誰もいない教室でB君がA君の鞄を触っているのを見た人がいたので、B君を問い詰めると犯人だと認め、自分の鞄からA君のサイフを取り出した。よって、B君が犯人だ。

 こちらは、結論を断定するのに
十分な根拠がそろっており、根拠と結論のバランスが取れている

 よって、上記の内、客観的と言えるのは、D、F、Gとなる。

 このように、客観の根底にあるもの、あるべきものは、A.根拠の真実性、B.根拠と結論の結び付き、C.根拠と結論のバランスなのである。

 表に整理して、より詳細に説明しよう。
根拠 根拠と対応する結論 上記例 客観的
or not
非根拠
(ひこんきょ)
虚偽の根拠
・・・捏造、歪曲、隠蔽
A 客観的でない
非関連の根拠
(結論と結び付きがない)
@B
是根拠
(ぜこんきょ)
弱い根拠 弱い推量
例:○○かも知れない
D 客観的
強い根拠 強い推量
例:○○に違いない
F
十分な根拠 断定
例:○○だ
G
 まず、根拠に着目すれば、主張の中で根拠として提示されるものには、根拠にはなりえない「非根拠(ひこんきょ)根拠として成立している「是根拠(ぜこんきょ)がある。
<留意事項> 「非根拠」と「是根拠」
「非根拠」と「是根拠」は管理人が便宜上、名付けたもので、一般的に使用されている用語ではないので留意して欲しい。
 そして、「非根拠」の場合は、根拠が虚偽である場合と根拠が結論と関連がない場合に分かれる。

 さらに、
根拠が虚偽の場合は、捏造歪曲隠蔽の三つのパターンがある。
捏造 ・・・ 根拠が全くのウソである場合。
歪曲 ・・・ 根拠の一部を過大、もしくは過小にして、結論にプラスの影響を与える場合。
隠蔽 ・・・ 結論にマイナスの影響を与える事実に言及しない場合。
 当然、「非根拠」に該当する場合は客観的ではなく、客観的である為には「是根拠」の方が使用されていなければならない。

 次に、「是根拠であるが、これにはまず、
結論を断定するに足りる十分な根拠がある場合があり、そうでない場合は、根拠としての強弱がある。

 そして、
結論の方は、この根拠の強弱等に対応した、バランスのとれた表現となることが客観的であることの要件となる。



 ※(その4)に続く



2016.11.29新規

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