@.B君が嫌いなのでB君が犯人だったら愉快だ。よって、B君が犯人だ。
これは、客観で考えるべき事柄に対して、主観を持ち込んだ考え方である。そして、根拠が根拠足りえていない。
A.私はB君がA君のサイフを盗むところを見た(実はウソ)。よって、B君が犯人だ。
これは、根拠がウソの場合である。
もし、このウソが意図的なものなら、それは主観で考えた結果であり、その根底には「B君を犯人に仕立て上げたい」等の欲がある。
一方、勘違いの場合は、主張した本人は客観的に考えたことになる。ただし、この主張が「客観的に正しいか」と言われれば、正しくない。根拠が虚偽だからである。
なお、このケースでは最初から根拠がウソであることにしたが、後日、ウソであることが判明することもあるものである。その場合は、当初は「客観的」とされていたものが、判明と同時に「客観的でない」に変わることになる。その主張に普遍性がないと判断されるからだ。
B.今日は晴れなので、B君が犯人だ。
これは、根拠「今日は晴れ」と結論「B君が犯人」が全く結び付いていない。何故、晴れなら、B君が犯人だということになるのか、全く不明だからだ。「根拠が根拠足りえていない」主張である。
C.B君は貧乏だ。よって、B君が犯人だ。
これは、@やBのように根拠と結論が結び付いていないわけではないが、その結び付きはかなり弱い。せいぜい、動機の説明が出来ただけであり、この程度の根拠で犯人扱いをされたら、たまったものではないだろう。
このような、弱い根拠のことは一般に「根拠脆弱」と言われるが、その脆弱な根拠で、「B君が犯人だ」と断定的な結論を提示していて、根拠と結論のバランスが悪いと言える。
D.B君は貧乏だ。よって、ひょっとしら、B君が犯人かも知れない。
こちらの根拠はBと同じ弱い根拠だが、結論の方が断定ではなく、かなり弱い推量になっている。
弱い根拠に、それ相応の弱い推量の結論であり、根拠と結論のバランスが取れていると言える。
ただ、バランスは取れているとは言え、このケースでは、このような主張を口に出したりするのはB君に対して失礼であるし、頭の中に留めておくべきだろう。
E.誰もいない教室でB君がA君の鞄を触っているのを見た人がいる。よって、B君が犯人だ。
これはCよりは強い根拠であるが、「B君が犯人だ」と断定してしまうには、根拠が不十分だと言える。よって、根拠と結論のバランスが取れていない。
他にも、「鞄からサイフを抜き出しているのを見た」とか、「B君のズボンのポケットからA君のサイフが出て来た」などの根拠が欲しいところである。
F.誰もいない教室でB君がA君の鞄を触っているのを見た人がいる。よって、B君が犯人の可能性が高い。
こちらの根拠はDと同じで、結論は「可能性が高い」と断定はしていない。よって、根拠と結論のバランスが取れている。
G.誰もいない教室でB君がA君の鞄を触っているのを見た人がいたので、B君を問い詰めると犯人だと認め、自分の鞄からA君のサイフを取り出した。よって、B君が犯人だ。
こちらは、結論を断定するのに十分な根拠がそろっており、根拠と結論のバランスが取れている。
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