※当記事は(その1)、(その2)、(その3)、(その4)からの続き
当記事では、(その2)、(その3)とは別の事例を使って、「論点」というものを見て行きたい。
3.論点とは (具体例B 民主党第三者委員会)
当節で使用する事例は、西松建設の偽装献金事件関連の新聞記事である。
本題に入る前に、該当事件について簡単に説明しておくと、小沢一郎氏が西松建設から政治団体を通じて献金を受け取ったとされる事件である(※詳細は下記を参照願いたい)
<参考>偽装献金事件(小沢ルート) (Wikipedia「西松建設事件」より)
小沢一郎民主党代表を巡る事件。
2009年3月3日に小沢一郎の公設秘書である大久保隆規と西松建設社長の國澤幹雄と西松建設幹部1人が政治資金規正法違反で逮捕された。
大久保と国澤は政治資金収支報告書に2002年から2006年までの4年間に西松建設から計3500万円(陸山会が計2100万円、民主党岩手県第4区総支部が計1400万円)の献金を西松建設の2つの政治団体からの献金と虚偽記載したとして起訴された。西松建設幹部1人は積極的関与ではないとして起訴猶予となった。國澤は執行猶予付き有罪判決が確定した。
大久保は西松建設の2つの政治団体について実体があり西松建設のダミー団体と認識していなかったとして無罪を主張したが、東京地裁の判決では「2政治団体の銀行届出印は西松建設が所持していたことから、西松建設を表に出さないためだけの政治活動の実態がないダミー団体である」「大久保が献金総額などの重要事項について2政治団体に接触せずに西松建設の幹部とのみ接触して決定しており、政治団体を西松建設のダミー団体と認識していた」「岩手と秋田の談合調整をしていた小沢事務所に西松建設からの献金と認識してもらう必要があることを大久保が理解していなかったことは不自然である」などから、2政治団体の献金は主体が西松建設と認識していたことは明らかと認定し、他人名義による寄付や企業献金を禁止した政治資金規正法の趣旨に外れて是認されないとして有罪となった。2013年3月13日、東京高裁で禁錮3年執行猶予5年の判決が下され、大久保は同27日に上告を断念し判決が確定。 |
それでは、下記表は、2009年6月20日の読売新聞に掲載されていた表である。
西松建設の偽装献金事件の公判を受けての記事で、該当事件の「論点」(表の左端の列)につき、小沢一郎氏、第三者委員会、検察のそれぞれの立場の主張がまとめられている。なお、表の第三者委員会とは、西松建設事件を調査する為に民主党が設置した委員会である。
また、一応断っておくが、該当事件の事実関係の是非ついて論じるつもりはない。あくまで、「論点」について理解する為の例題と割り切り、基本的に下記表の内容のみを前提として、「論点」や論証のおかしさについて見て行きたい。
<西松建設の違法献金事件をめぐる主張の比較> 2009年6月20日の読売新聞朝刊より
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小沢前代表の主張 |
第三者委員会の報告書 |
検察側の主張 |
献金した政治団体のダミー性についての認識 |
献金者に対し、資金の出所は詮索しない。西松建設と関係のある団体ということは秘書も認識していたと思うが、全額を出資していたことは知らなかったと思う |
西松建設の政治団体に実体がないとは認めがたい。献金者が西松建設だったとする検察の主張には相当な無理があり、違反が成立するのか疑念がある |
大久保被告は、ダミー団体の献金について「西松建設側の献金と知っていた」と供述。西松建設幹部には献金の受け皿となる小沢氏側の政治団体などを記した一覧表を提示 |
献金の趣旨 |
献金に、私や秘書が相手方に便宜を供与したとか、何らかの利益を与える行為が伴っていたとすれば、甘んじて捜査を受ける。しかし、全くそういう事実はない。 |
どのような根拠に基づくのか定かでないが、西松建設が東北地方で受注した公共事業と献金が関連しているかのような印象を与える報道が続いた |
献金は小沢事務所の「天の声」で公共工事を受注するのが目的。西松建設の共同企業体は天の声により、岩手、秋田両県で計4件、総額約122億円の工事を落札した |
事案の悪質性 |
何らやましいことはない。こじつけたような理由での検察権力の発動は政治的にも法律的にも公正さを欠く。秘書が逮捕されたことは全く合点がいかない |
献金の事実自体は収支報告書に記載された「表の献金」。企業献金を積極的に隠そうという目的で行われたのでもない。重大かつ悪質な事案とは言い難い |
公共工事にかかわる建設業者と特定政治家側との金銭的癒着を国民の目から覆い隠した。収支報告書に記載しない「ヤミ献金」と何ら異なるところはない。 |
この表で注目してもらいたいのは「第三者委員会の報告書」であり、「論点」についてきちんと理解できていれば、その主張がおかしなことに気付けるはずである。
一読してみて、何がどうおかしいのかお分かりになっただろうか?
順に解説して行こう。
まずは、1段目の「献金した政治団体のダミー性についての認識」の「論点」である。なお、ここで言う「ダミー性」とは、「献金したのは実質的には西松建設であるが、それを隠す為のダミーとして政治団体を設立して献金した」という話である(※政治資金規制法では、法人が政治家個人に献金をすることを禁じている)。
先に第三者委員会以外のものを見ておくと、小沢前代表の主張は、献金した政治団体が「西松建設と関係のある団体」とは認識していたが、「全額を出資」とまでは知らず、つまりは、献金する為のダミー団体だとまでは「知らなかった」。よって、受けた献金も実質は西松建設からのものだったとの認識は無かったと言うものである。
一方、検察は、実質は西松建設からのものであると「知っていた」と主張している。
どちらも、「論点」である「献金した政治団体のダミー性についての認識」についての主張で、「知らなかった」とか「知っていた」と主張していることが分かる。
最後に第三者委員会であるが、「西松建設の政治団体に実体がないとは認めがたい」と主張している。
この主張に意味がないことがお分かりだろうか?
本来、「論点」となっている「ダミー性」とは前述の通りである。しかし、第三者委員会は、「実体があるかないか」を「論点」としているのである。
その「論点」であれば、住所とされている場所に事務所があり、代表とされている人物も存在し、かつ、活動実績があれば、「実体がある」と主張できることになるであろう。検察も、「実体があるかないか」と問われれば、「実体がある」と答えるはずである。
「論点」として争われているのは、あくまで「ダミー性」に関してであり、「実体性」なんか誰も争っていない。「西松建設の政治団体に実体がないとは認めがたい」などと主張しても全く意味がないのである。
このように、争われている「論点」を別の「論点」にすり替える詭弁を「論点のすり替え」と言う。
<参考>Wikipedia「論点のすり替え」より)
論点のすり替えは、非形式的誤謬の一種であり、それ自体は妥当な論証だが、本来の問題への答えにはなっていない論証を指す。 |
第三者委員会の主張で言えば、「論点」を「ダミー性」から、似て非なる言葉である「実体性がない」にすり替えたのである。
さらに、第三者委員会は続いて、「献金者が西松建設だったとする検察の主張には相当な無理があり」と主張している。
どうやら、「ダミー性」を、「実体がないとは認めがたい」と「論点」をすり替えて否定したことによって(※否定できてはいないのだが)、「実質的な献金者は西松建設ではない」という結論に結び付けたようである。該当の政治団体が西松建設が献金する為のダミーでなければ、献金したのも政治団体自身ということになるからである。
「論点のすり替え」という詭弁を根拠に、新たな主張が提示された形である。当然ながら、詭弁の上に別の主張を積み上げても何の意味もない。ちなみに、西松建設が社員等を使って該当の政治団体に資金を回し、トンネル献金をしていたことは西松建設自身も認めていることである。
続いて、次の「論点」、「献金の趣旨」について見てみよう。この「論点」は、「公共工事の受注等の見返りを求めて献金したのか否か」ということである。
小沢前代表は、献金を受け取った見返りとして「便宜・利益の供与は無かった」と主張、一方、検察は、利益供与として公共工事の受注があったと主張している。
当然なら、「献金の趣旨」という「論点」に沿った主張である。
そして、第三者委員会であるが、「公共事業と献金が関連しているかのような印象を与える報道が続いた」と単に情報を述べているだけ。「論点」となっている、利益供与があったのか無かったのか、どちらであるとも明確には主張していない。
ただ、このような文章を見た多くの人は勝手に「報道が間違った印象を与えだんだ」と文面には書かれていないことを補足して解釈することになる。「わざわざ、そんな情報を述べるくらいだから、間違った印象なのだろう」と勝手に解釈を付け加えてしまうのである。
実際には、「報道が間違っている」とは一言も書かれていない。
そして、第三者委員会は一方で、「どのような根拠に基づくのか定かでないが」とも言っているが、これは、単に疑問を呈しているだけの話であり、裏を返せば、「自分達は報道内容について一切検証していない」と言っているのと同じことである。
該当のニュース記事を読むなり、報道機関に直接確認するなりすれば、「どのような根拠に基づいているのか」、もしくは「根拠がないこと」が分かるはずなのに、それをしていないから、「どのような根拠に基づくのか定かでないが」と言って誤魔化しているのである。
よって、根拠を確認していない第三者委員会は、「報道が間違った印象を与えたのか否か」については全く分かっていないのである。
結局、先の「論点」と同じく、今回の「論点」、「献金の趣旨」についても、第三者委員会は何も主張していないのと同じこと。第三者委員会は、小沢氏側が献金の見返りを与えたとも与えないとも主張せず、ただ、報道に対する批判的な主張をしているだけ。
この批判的というのがミソで、批判ではなく、あくまで批判っぽいだけなのである。批判っぽいので、読み手は先に述べたように「報道が間違った印象を与えだんだ」と解釈し、かつ、「報道が間違っているなら、献金の見返りじゃないんだ」と思ってしまうことになる。
自らは報道されている内容の根拠を確認しようともせず、かつ、「論点」となっている献金の見返りについて、あるとも無いとも明示せずに、読み手に自分の都合の良い印象を与えようとしているのが、第三者委員会の主張なのである。
それでは、最後に、3段目の「事案の悪質性」の「論点」である。
小沢目代表は「何らやましいことはない」と主張し、一方、検察は、「『ヤミ献金』と何ら異なるところはない」と主張。
そして、第三者委員会は、要約すると「献金自体は収支報告書に記載され、別に隠そうともしていない。よって、重大、かつ、悪質ではない」と主張している。
この主張自体は、「論点」である「事案の悪質性」に沿った、まともな主張だと言える。
ただし、「事案の悪質性」を判断する上での前提となっている他の「論点」、「ダミー性の認識」や「献金の趣旨」については、上述の通り、詭弁を弄するだけで何も主張していないのであるから、その重要な「論点」を無視して、「重大かつ悪質な事案とは言い難い」と主張しても全く説得力がないと言えるだろう。
また、あくまで、「上記の新聞記事の内容で判断するなら」という前提であるが、第三者委員会について次の二つのことが分かる。
@.第三者として客観的に判断する気がない
A.きちんと調べる気がない |
まず、「@.第三者として客観的に判断する気がない」だが、「献金した政治団体のダミー性についての認識」の「論点」で、論点のすり替えという詭弁が使われていた。
この詭弁は、正論で反論出来ない時に使用されるものである。議題となっている「論点」で反論できる要素を探しても見つけられないから、反論できそうな、似て非なる「論点」を見つけ出して来て反論するのである。
結局、「反論ありき」、「否定ありき」で客観的に判断する気がないから、論点のすり替えという詭弁が使われることになるのである。
次に、「A.きちんと調べる気がない」であるが、これは、「論点」、「献金の趣旨」で述べた通りである。
公共事業と献金が関連しているとする報道について、「『どのような根拠に基づくのか定かでないが』なんて、何で、そんなことを平気で言えるんだよwww」と言う話である。
きちんと根拠を確認し、根拠がないなら「根拠がない」、脆弱な根拠に基づいたものなら「根拠脆弱だ」、または、十分な根拠があるなら「報道内容は正しい」等と判断する為に設置されたのが第三者委員会のはずなのであるが、その仕事を自ら放棄しているのである。
以上、新聞記事をサンプルにして「論点」というものを見て来た。
私の文章力でどれだけ伝えられたかは不明だが、もし、上記の解説を読んで、「『論点』というものが分かっているか否かで、見える内容が全く違ったものになって来る」ということをご理解いただけたのなら幸いである。
さて、上記で出て来た論点のすり替えは、非常によく見られる詭弁であるので、(その6)でもう少し詳しく解説しておきたい。
2014.04.01新規
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