反省できない人たち(その2)
※当記事は(その1)からの続き



 当記事では、反省できない人たちが、具体的にどのようにして反省しないことを正当化しているかを見て行きたい。



2.反省せずに済む方法(具体例1・・・船井幸雄氏のケース)

 船井幸雄氏は、船井総合研究所の創業者。経営コンサルタントだったが、後に、フォトンベルト、聖書の暗号、HAARP、ムー大陸、ノストラダムス等々、トンデモ話にまんまと騙されて自著で紹介していた人物。

 経営コンサルタントだったこともあり、トンデモ系以外についても「本物」として紹介していたのだが、トンデモ話に簡単に騙されるくらいであるから、当然、「本物」を見極める目がアマアマで、多くの「偽物」が紛れ込むことになってしまっていた。

 船井氏が「本物」として紹介したものを、そうだと信じて購入等して「騙された!」と思う人もいたようで、結果、船井氏に批判が届くこともあったようである。

 そのことが船井氏の著書『エヴァへの道』に記載されているので見てみよう。
『エヴァへの道』 (船井幸雄・PHP研究所・1996) <P.257>
 そして、「本物らしい」と思いました時は、それなりに紹介しています。よいと思うものを世の中に紹介するのは、私の役割だと思います。それゆえ慎重に調べた上でのことですが、無数といってよいくらい多くの本物らしいものをいままで紹介してきました。おかげでそれらを知り、「本物」とつきあわれた多くの人々から喜ばれております。
 しかし最近になりまして、
「船井さんの紹介だから、まちがいないと思って『本物(?)』とつきあってみたら大損をした」とか、「効果がないだけでなく、かえって逆効果だった」などという「本物(?)」についての苦情が私のところへいくつか来るようになりました

(※管理人注)文字に色を付けたのは管理人(以下同様)
 このように、「大損をした」とか「逆効果だった」という苦情が船井氏のもとに来るようになったらしいのだが、偽物を紹介してしまったことについてのお詫びと言い訳が以下の通り。 
『エヴァへの道』 (船井幸雄・PHP研究所・1996) <P.258>
 ところで、ここで一つお詫びをしておきます。私が「本物らしい」と思って紹介したものの中にも、その後「本物でないらしい」ものがいくつか見つかりました。申し訳ありません。神ならぬ身ゆえか、慎重に検討しているのですが、まちがいがあります。とはいえ、一々心配していますと、一言も言えなくなります
 ここでは、「本物らしいと紹介した後、「本物でないらしいものが見つかったと記載されている。

 それぞれについて、「らしい」と付けているのがミソである。

 まず、「本物らしいは、
「紹介した「本物」はあくまで「本物らしいだけのものだから、『偽物が紛れていることもありますよ』」という言い訳につなげる為の言葉。

 同じ書籍の中でも「本物」を紹介しているのだが、実際のところは以下の通りで、完全に断定形である。
『エヴァへの道』 (船井幸雄・PHP研究所・1996) <P.330>
 〔3〕続出する本物技術本物商品
 =デカンタ、イオンセラミックス、FFC、さらに……=

 いままで本書内で何回か述べてきましたが、私のもっとも興味のありますのは「本物」「びっくり現象」「根元のルール」の三つです。
 これらにつきましての情報が、5月8日から17日の十日間に合計百件ほど飛び込んできました。一日に平均しますと、十件になります。
 その中で、
「本物」にしぼりまして、研究会がらみの情報を2〜3紹介したいと思います。
 「本物」と紹介しておいて、苦情が来て言い訳が必要になった時には「本物らしいと表現し、言い訳がし易いレベルにまで引き下げているわけである。

 次に、「本物でないらしいであるが、
「まだ、偽物だと決まったわけじゃないですよ〜。あくまで『本物でないらしいだけですよ〜」というスケベ心が透けて見える言葉であり、船井氏自身は間違いであったことを完全に認めているわけではないのである。

 そして、
完全に偽物と決まったわけではないので、反省もまだ必要ではないという論理が成り立つことになる。


 このようにして、ある程度は誤りを認めて謝罪するものの、完全には認めない。
 さらには、「神の身ならぬゆえ」等と記載し、
「神様じゃないんだから、間違っても仕方ないじゃん」と正当化した上に、「一々心配していますと、一言も言えなくなります」と開き直り。そりゃまーそうなんだけど、「大損をした」とか、「逆効果だった」とまで言われてるんだから、もう少し心配した方が良いという話である。


 この船井氏のケースは、過ちを認める直前のところで踏ん張って、完全には認めてしまわずに誤魔化し、その後、きちんとフォローするわけでもなく、忘れて無かったことにしてしまうケースである。

 (その1)で見た以下の2つのパターンの混合技と言える。
@.自分が犯した過ちや間違いを、見ない(文字通り、目を背ける)

A.自分が犯した過ちや間違いを、過ちや間違いだと認めない
(見るには見るが、否定してしまう)
 他人から苦情が来た際、きちんとその事実と向き合って反省して、「何故、偽物を紹介してしまったのか」とその原因を追及し、自分の本物を見極める目について疑問を持てば、自分の足りない部分、誤った部分を修正できたはずである。

 しかし、それをせずに誤魔化したが為に、結果、トンデモ話の広告塔となって世にデタラメを広め続ける人生を送ることになってしまったのである。


 また、(その1)でも述べ通り、反省ができないこと、それは、自分自身と向き合えないことと同義である。よって、
「反省できない人」というものは、平気で矛盾した言動を披露することになる。それは、自分自身のことが見えていないからである。

 船井氏の場合、例えば、上記で取り上げた著書の中で、次のような矛盾を露呈している。
「どのようなことが、自分や自分の周囲におきようとも、そのすべてを肯定し、感謝するのが正しいようだ」(P.90)

 → 友人から来た、肉食を諌める手紙に対して、「アタマにきた」「論理性の全くない言い方」と批判し、書き方が悪いと書き方の指南。


「(私は)
30年以上も一切弁解をしない生き方をつづけてきた人間です。『責任のがれをしない』こととともに『弁解しない』のは私の一つの『生きざま』だったのです」(P.7)

 → 上述の通り、偽物を紹介してしまったことについて、「神の身ならぬゆえ」とか、「一々心配していますと、一言も言えなくなります」と弁解。


※詳細は以下の記事を参照
・「『エヴァへの道』にツッコミ(その1) 〜(その4)」

 「30年以上も一切弁解をしない生き方」なんて出来ていないのだが、
自分自身にそのような幻想を抱いているのは、自分自身と向き合わずに生きて来たがゆえである。

 反省できない、そして、自分自身と向き合えない人間の典型であると言えよう。




 以上、船井氏のケースについて見て来たが、この程度の
「反省できない人」はどこにでもいるもので、皆さんも同様の人を何人も上げることができることであろう。

 基本的には言ったら言いっぱなし。言ったことが良い結果をもたらしたら、それを大げさに吹聴し、一方、悪い結果をもたらしたら、有耶無耶の内に無かったことにしたり、ワケの分からない正当化をして誤魔化す。

  
「部下が成功したら自分のおかげ、部下が失敗したら部下のせい」

 このような上司も掃いて捨てる程いるものであるが、船井氏と同じタイプの
「反省できない人」で、自己に対する幻想の中で生きている人と言えよう。


 また、船井氏のケースは、ある程度は過ちを認めた後に、有耶無耶の内に無かったことにしようとするものであったが、もっと積極的に自分の誤りを無かったことにする場合もある。例をあげれば、以下の通りである。
<大川隆法氏>
○新装版を出す時に、外れた予言は削除する
    (詳細)  記事「未来予言にツッコミ!(その1) 〜 (その2)」

<伊勢白山道氏>
○伊勢神宮の傘付き電球を「未来人のUFO」と霊視し、誤りであることを指摘されると該当コメントを削除
    (詳細)  記事「リーマン様、傘付き電球を『未来人のUFO』と霊視しちゃう」の巻
 これらは、普段、自分の脳内で実施していることが、実際の行動として現れた結果である。


 さて、続いて(その3)では、過ちをある程度認めたりせずに、
全否定してしまうケースを見てみたい。



2014.6.24新規

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