反省できない人たち(その3)
※当記事は(その1)(その2)からの続き



 当記事では、反省できない人が自分の間違いや過ちを全否定するケースを見てみたい。



3.反省せずに済む方法(具体例2・・・伊勢白山道氏のケース)

 伊勢白山道氏は、主としてインターネット上で活動している自称霊能者。正神界から転生して来たらしく、
「幾多の過去生、神界、その他の次元での記憶を保持している」らしい。


 伊勢白山道氏は、2008年9月18日に福岡市の公園で起こった小学1年生の男児の殺害事件について、自身のブログにて以下のように霊視した。
《2008年9月19日ブログ本文》
18日に公園で小学生が殺害されていますが、魔界存在に憑依された人が殺害しています。金品では無く、純粋に殺人快楽者です
これから、弱い立場の人間が狙われる事を意味しています。
ますます、感謝の先祖供養3本が大事になります。

(管理人注) 青字にしたのは管理人(以下同様)。
 後日、犯人が男児の母親であったことが判明し、上記霊視は大ハズレであった。

 しかし、伊勢白山道氏は当初、誤りを認める発言をしていたのだが、後に、以下のように開き直り始める。
《2008年9月19日ブログ コメント欄 2008-10-02 20:12:21》
福岡子供殺人について (伊勢白山道リーマン)

私は、母親を金銭目的では無い、快楽殺人者の犯罪と書きました。 今でも、その考えは変わりません。
その理由は、私が霊視した犯行場面は、母親が子供の首をヒモで絞める際、2度緩めては絞める、
わざと苦しみを与えながら殺害する場面を観たからです。
ためらい行為では、決してありませんでした。
もっと苦痛の無い方法が有るにも関わらず。
今までの生活で積年していた子供への鬱憤を晴らすように。 これから、この事を母親が自供して、全てを告白されることを、今後の母親自身の心の為にも思います。
とにかく子供を殺す事が第一目的でした。
その後の、
保険金ウンヌンは2次的な彼女の欲望です
もちろん、これを誘導した影の霊的存在はいます。
地獄から来た、男性の霊です。これに、彼女の日常生活の波動が引き寄せました。彼女自身の心が未成熟だった事も関係します。
 「今でも、その考えは変わりません」と言い出し、一方で、「わざと苦しみを与えながら殺害する場面を観た」と主張。

 仮に、本当に母親がわざと苦しみを与えながら自分の子供を殺していたとしても、「快楽殺人者」でないことは明らかなのであるが、そう主張することで「快楽殺人者」という霊視結果に少しでも近づけようとする意図であろう。

 また、「保険金ウンヌンは2次的な彼女の欲望です」とも主張しているが、2次的な欲望がある時点で
純粋な快楽殺人者」ではない上に、「金品ではなく」と記載して金目的であることを否定した霊視結果とも矛盾している。

 そして、「今までの生活で積年していた子供への鬱憤を晴らすように」とあるが、この記述では、殺害した子供への鬱憤があったことになり、やはり、「純粋な快楽殺人者」ではない。

 
矛盾だらけの記述で、全く、自分の霊視結果を正当化できていないと言えよう。


 さらに、該当コメントでは、当初の霊視の「純粋な快楽殺人者」から、「純粋な」を省いて「快楽殺人者」とだけ記述している点にも注目したい。

 「純粋な快楽殺人者」では正当化しづらいので「純粋な」を外し、その上で、「わざと苦しみを与えながら殺害する場面を観た」と主張することで自分の当初の霊視結果に近づけ、当たったことにしようとしているのである。


 以上の発言に見られる伊勢白山道氏の思考的特徴を、より詳細に分析・推察すると次の通りである。
「純粋な快楽殺人者」から「純粋な」という文言を削除して引用。

  ・・・ 
都合の悪い情報は見ない。無かったことに。

○新たに「わざと苦しみを与えながら殺害する場面を観た」という霊視結果を追加し、殺害時に母親が快楽を感じていたかのようにすることで、「快楽殺人者」という文言に近づけようとする。(注1)

  ・・・ 
都合の良い情報を作り上げる。

○上記二つの情報操作をしたところで、母親が「快楽殺人者」でないことは明らかなのであるが、おそらくは、「快楽殺人者」の意味を
「殺害時に快楽を感じた者」と拡大解釈をしている。(注2)

  ・・・ 
言葉の意味を自分の都合の良いように歪曲


(注1)本人の主観レベルでは「本当にそう視えた」と思っているかも知れないが、彼に霊視能力などないことは明らかであり、霊視結果など好きなように作り上げることができる。詳細は以下のページを参照。

  ○伊勢白山道様にツッコミ!


(注2)「快楽殺人」(コトバンクより)

 「クラフト・エービングによると、殺人そのものが強い性的興奮・満足を与えることがあり、それを目的として行われる殺人を快楽殺人という。」

 このように、情報の隠ぺい・捏造・歪曲を行うことで、外れた霊視を当たったと開き直り。

 この、
情報の隠ぺい・捏造・歪曲という情報操作は反省できない人が良く使用するツールであり、他人に対しても行うし、自分自身に対しても行う

 そうやって、間違いや誤りを無かったことにするばかりか、正しいことにしてしまって、反省せずに済ますのである。


 通常、犯人が母親だったものを「純粋な快楽殺人者」と霊視しておいて、それを当たったことに出来るとは考えないものである。どう考えたってハズレだからである。

 しかし、それを当たったことにしようとする伊勢白山道氏は逆にすごいと言え、そのすごさは彼の執着のすごさである。

 そして、このようなことを繰り返して
「霊視能力などない自分」とは向き合わずに生きて来た結果が、現在の伊勢白山道氏であり、「幾多の過去生、神界、その他の次元での記憶を保持している」等という妄想なのである。

※上記、児童殺害事件の霊視結果とその言い訳等の詳細は、以下の記事を参照
○記事「『霊視結果が外れた言い訳』にツッコミ!




 以上、順調で上手く事が運んでいる時ではなく、
間違いや過ちを犯した時こそ、その人の人間性が現れるものである。よって、教祖や霊能者を本物であるかを見極めるには、そのような時にこそ注目して判断すべきである。

   ・霊視が外れた時
   ・予言が外れた時
   ・真実だと主張していたことがウソだと分かった時
   ・行ったアドバイスで悪い結果が生じた時 等々・・・

 そのような時に、過ちを正当化して過ちでないことにしてしまうのか、それとも、過ちを認めて反省・謝罪をするのか。

 その対応は、その人の、他人や事実に対する誠実さに比例する。当然ながら、過ちを認めない人は不誠実であり、過ちを認めることの出来る人は誠実である。

 また、過ちを認めずに否定する場合、
どの程度までのトンデモ言い訳で誤魔化せるかは、そのまま、その人が今まで生きて来た人生の誤魔化し度合いと比例する。上記内容は、分かり易く、それまで築き上げて来た人間性が現れ出た例であると言えよう。

 なお、当然ながら、このような話は他人だけのものではない。自分自身についても同様である。自分が間違いや過ちを犯した時、その時は、自分自身の人間性が試されているつもりで、誠実で誤魔化しのない対応をしたいものである。


 続いて(その4)では、反省できない人がよく披露する
「人のせいにする」というケースを見て行きたい。



2014.07.01新規

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