私の邪念対処法(その3)
※当記事は(その1)(その2)からの続き。


3.あの世とは



(1).あの世は、あると思えばある世界

 我々は、目の前にリンゴがある様子を想像しようと思えば想像できるし、一方、リンゴがない様子を想像しようとしても想像できる。

 そして、
霊=意識で、かつ、あの世が霊の世界ならば、あの世は想像の世界となる。

 それは、
あると思えばあり、ないと思えばない世界である。(実際は、個の霊(=意識)だけなく、複数の霊(=意識)が影響を与える場合があって、そう単純にはいかない場合もある)

 また、それは、
出来ると思えばでき、出来ないと思えば出来ない世界でもある。

 
基本的には何でもありなのであるが、自分自身の思い込みや固定観念が制約となる。例えば、「自分の力で壁は壊せない」と思っていれば壊せないが、「壊せる」と思えば壊せることになる。(※その他、何らかのシステム的な制約があるであろうが、詳細については考察中である)

 そして、当然ながら、
想像できないものは実現できない

 なお、我々がする想像・妄想も、あの世の一部である。



(2).あの世の構造

 下図のように、この世はインターネット上に存在するバーチャルな3Dオンラインゲームの世界で、あの世はインターネットの世界のようなものである。
 さらに、インターネットの外の現実世界は、仏教で言うところの涅槃であり、そここそが
「虚像ではない本来のものが実在している世界」という意味で実在界であるとも言える。

   



(3).あの世のコミュニティ

 あの世で霊(=意識)がどのように生活しているかと言うと、やはり、インターネットと同様だと言える。

 インターネット上には膨大な数のサイトがあるが、それが、霊(=意識)が集うコミュニティに相当する。

 この、あの世のコミュニティは次のような特色を持っている。

@.所属する霊によってイメージが共有された世界

 コミュニティでは、そこに所属する霊(=意識)たちが想像で作り出した街、建物、自然等のイメージが共有され、基本的にはこの世と同じ生活空間が広がっている。

 そして、そのコミュニティに所属するのは、考え方・性向が似通った霊(=意識)たちである。


A.どのコミュニティに所属するかは自分で決める

 インターネット上のどのサイトに頻繁に出入りするかを自分で好きに決めるように、あの世でもどのコミュニティに所属するかは自分で決める。基本的には自分に合ったコミュニティを選ぶことになる。

 ただし、自分の選択が全てではなく、例えば、自分に不相応なコミュニティを選んでも受け入れられないことが多いし、また、仮に受け入れられても、自分に合わないので居づらくなって他のコミュニティへと移って行くことになる。

 また、他の霊(=意識)の精神的支配下に置かれている場合は、自分の望むコミュニティではなく、その霊が望むコミュニティに連れて行かれることがある。


B.行くことが可能なコミュニティ

 一つのコミュニティを選べば他のコミュニティに行けなくなるわけではなく、基本的にはどのコミュニティにも行ける。
 行くことが可能なコミュニティは次のケースに該当する場合である。
○自分と直接的に繋がりのあるコミュニティ

 ・・・ 自分がそのコミュニティを知っている場合、または、自分の知人がそのコミュニティにいる場合等。

○自分と
間接的に繋がりのあるコミュニティ

 ・・・ 自分の知人がそのコミュニティを知っている場合等。

○自分が想像したコミュニティ

 ・・・ 自分が「こんな感じのコミュニティ」と思い、そのコミュニティが実際に存在すれば、そのコミュニティに行けることになる。それは、インタネートで検索をして、行ったことのないサイトに行けるのと同様である。


C.コミュニティの創造

 インターネット上にいくらでも新しいサイトを作成できるように、あの世のコミュニティもいくらでも創造可能である。

 なお、霊(=意識)が強固な無神論者であの世の存在を拒絶している場合、どのコミュニティにも所属せず、かつ、自分のイメージで何も創造することがないので、
「無明の闇のなかに、意識のみがただ漂っている(※光すらイメージしないので闇となる)という状態であるケースもある。


D.コミュニティ間で相対的位置は存在しない

 コミュニティ間では、位置関係という物理的な関係はない。

 例えば、今、あなたが見てるこのページはGoogleのトップページとどのような位置関係にあるだろうか。このページはGoogleより北にあるのだろうか西にあるのだろうか、それとも、上だろうか下だろうか。また、距離はどのくらい離れているのだろうか。

 インターネット上のサイト間でこのような考察は無意味であろう。同じように、あの世のコミュニティ間でも無意味である。

<参考> あの世の階層構造、及び、次元構造

 仏教やキリスト教等の宗教では、
「あの世は階層構造になっている」と説かれることが多い。

 例えば、仏教では下記のような世界観で、基本的に
「高尚な存在ほど上」という構造である。
「須弥山と三界」 『はじめての「大日経」入門』 (越智淳仁/セルバ出版/2010) P.12)
 キリスト教関連では、例えば、ダンテの『神曲』で描かれている世界観も基本的に同様で、名称や階層数等に違い見られる程度である(※参考:Wikipedia「神曲」)。

 実際には、上述したように、
あの世では位置関係が無いのでこのような階層的な世界になっているわけではない。せいぜい、「このような分類をしようと思えばできる」という程度である。

 ただし、このような階層構造の世界観を共有している霊(=意識)が集まっているコミュニティで、そのような世界を作り上げている場合はある。


 また、最近の新興宗教やスピ系では、このような階層構造と違い
次元構造が唱えられることが多いが、それは、「階層」「次元」に換えて、科学的な雰囲気をかもし出した程度の違いでしかない。




(4).転生

 正直なところ、転生のシステムがどのようになっているのかは今のところ良く分からない。

 ただ、オンラインゲームにおいて、どのサイトからでも直接オンラインゲームの世界に行けるわけではなく、窓口となるサイトを経由する必要があるのと同様、転生についても、窓口となるコミュニティを通じて転生するシステムになっているだろうと想定する。

 そして、そうなれば、当然、転生を管理する管理者もいるであろう。

 また、転生は基本的に、親族内で繰り返し行われることが多いようだ。例えば、
「祖父が死んだら、その孫の子として転生する」という感じである。

 なお、人は、あの世とこの世との転生を繰り返し、基本的に涅槃・実在界には行けない。



(5).地獄

 
地獄は、システムとしてあの世に組み込まれているわけではなく、基本的には存在しない

 そう考える理由は次の通りである。
○地獄がシステムとして組み込まれているのなら、今の世の中、もっと良くなっていて然るべきだという実感から。

○地獄というシステムがあるくらいなら、悪霊(自縛霊・不成仏霊など)を地獄へと落すシステムも組み込まれていて当然だと考えるから。
「悪霊等がこの世に存在していられる」という事実が、地獄というものが存在しない証拠に思える。

○動物の中には、以下の例のように
「地獄に落ちて然るべし」と思える習性を持っているものがいるが、そのような動物が死ぬたびに地獄に落ちているとは思えない(※「地獄は人間にだけ適用される」という考え方も可能であろうが)。
・ライオンは、ハーレムを所有するオスが入れ替わると、前の所有者の子供を殺す。

・カッコウは他の鳥の巣に卵を産み、そこで産まれたカッコウのヒナは他の卵やヒナを巣から落して自分だけを育てさせる(托卵)。


 ただし、以下の通り、あの世において地獄のように見える場合はある。
○良心の呵責

 生前、何かの罪を犯して罪の意識にさいなまれている場合、自分を攻撃するイメージを創り上げてしまうので、他から見れば、それが地獄で罰を受けているように見えることがある。


○創り上げられた地獄

 
「地獄が存在する」という世界観を共有するコミュニティでは、そのコミュニティ内に地獄を創り上げており、所属する霊(=意識)が裁かれて、その地獄で罰を与えられている場合がある。


○修羅の世界

 争い好き・暴力好きの人が集まるコミュニティでは、絶えず切った張ったの争いが繰り広げられているので、他から見れば、それが修羅地獄のように見えることがある。


○カルト宗教の世界

 生前、カルト宗教の信者だったものは、死後、そのカルトが創り上げたコミュニティに行くことになる。

 現世において、カルト信者の目には教祖が神々しく、また、その教団が神の組織と映る一方で、信者以外の我々が見ても、
「胡散臭さや異常さを感じるだけ」という場合が多い。

 同じように、カルトがあの世で創り上げたコミュニティでは、そこに所属する霊(=意識)たちは自分たちのコミュニティを
「素晴らしい天国のような世界」と認識しているが、一方、他から見れば、「異形の生物が集まって、異常なことをしている地獄のような世界」と認識されることになる。



(6).天国

 地獄と同じように、
天国もあの世のシステムとして組み込まれているわけではない

 ただし、あの世において天国のように見える場合があるのは、地獄と同様である。


 
自分があの世に持っていけるのは意識のみで、結局、あの世はこの世の延長に過ぎない

 つまり、
この世で積み上げた人格・性格・考え方のままあの世に行くのであり、死んだ後に突然、清廉で人格の高い人ばかりのいる天国のような世界に行けることはない

 高額の戒名を買って、その値段に見合った高尚な世界に行けるわけもなく、
「高い金を出して高尚な世界に行きたい」と思う人、そして、漢字を組み合わせただけの文字列を高額で売って平気な人たちが集まる世界に行くだけである。

 上辺だけで
「愛だ」「感謝だ」などと言って満足している人は、上辺だけの愛と感謝の世界に行くだけ。
 ホンモノとニセモノの区別ができない人は、自分が
「ホンモノ」だと思ったニセモノの世界に行くだけ。

 そして、インチキ宗教に騙され利用され続けたまま死んだのなら、やはり、死んでもインチキ宗教に利用され続けることになるのである。





 以上が、私が考える「あの世」である。

 なお、
涅槃・実在界の様子については想像することすら出来ない(※想像しても、正しい様子を絶対に想像できないという意味で)。

 それは、生まれつき目が見えない人が想像によって、目で見た光景を正しく認識できないのと同じである。

 知りたければ、行くしかないのである。

 ただし、涅槃・実在界を想像してそのイメージを創り上げ、
「これが涅槃・実在界だ!」と勝手に認識しているあの世のコミュニティやこの世の自称霊能者はいる。


 続いて(その4)では、霊能力、及び、インチキ霊能力者について述べたい。



<補足> 涅槃・実在界についての補足 (2015.2.17追記)
 上記では、涅槃・実在界を「虚像ではない本来のものが実在している世界」と説明したが、厳密に言うと、「より実在に近くなる」と表現した方が正しいと考えている。

 涅槃・実在界に行くと、以下のように、そこがまた、バーチャルな3Dオンラインゲームの世界ようなもので、さらに、その先には、インターネット、現実世界が広がっているような状況を想定しているからである。

     涅槃・実在界 ・・・ 3Dオンラインゲームの世界
     涅槃・実在界の先 ・・・ インターネット
     涅槃・実在界の先の先 ・・・ 現実世界

 このようなことを繰り返し、先に行けば行くほど、「より実在に近くなって行く」ことになるのではないかと考えている。





2015.02.10新規

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