もっともらしいだけの根拠(その5)

 ※当記事は、記事(その1)(その2)(その3)(その4)からの続き


5.未実証の根拠

 
「未実証の根拠」とは、立証作業がなされておらず、その真偽が定かでないものを、何ら明示することなく、一方的に「真」であるとの前提に立って根拠とするものである。


 順に説明して行こう。

 例えば、霊能者が自分の能力を使ってする主張がまさに、この
「未実証の根拠」に当てはまる。

 霊障や前世等の霊視や未来予知といったオーソドックスなものから、果ては、あの世や超古代文明の霊視や、宇宙人とのコンタクト等々。
 そのようなことが出来ると自称する者は数えきれない程いるが、その自称している能力に対して、まともな立証作業がなされたという話を私は聞いたことはない(おそらくは存在しないであろう)。

 そして、多くの自称霊能者たちは、その未実証の能力が「真」であるとして、他人に霊視結果等を提示する。

 このような自称霊能者たちの霊視結果等に接するに当たって、我々が留意しなければならないのは、次の点である。
霊視結果等を提示する自称霊能者の、霊能力がホンモノであることの証明は何らなされていない。
 つまり、自称霊能者がその霊能力を使って主張する内容は、霊能力という大前提が未実証なのであり、分かりやすく言えば、

  
「その前に、アンタの霊能力がホンモノだってことは、いつ、どこで証明されたんだよ!」

という話である。

 このような、未実証の前提を根拠にした主張は、全て、
「もっともらしいだけ」と言えよう。

 ただし、その未実証の前提が、「検証してみたらホンモノだった」という可能性も無きにしもあらずなのであるが、大前提が未実証のままであるにも関わらず、霊視結果等を「真」であるとして主張するような自称霊能者は、その時点で、アウトだと考えてまず間違いない。


 そのように考えられる理由を以下に説明しよう。


1.立証責任は自称霊能者にある

 自分が霊能者であると主張するのであれば、立証責任はその主張をする自称霊能者にある。

 よって、
自分の霊能力の立証を行わない自称霊能者は、自らの責任を果たしていないと言えよう

 そして、その立証責任を果たさずに、自分の霊視結果等を真実として提示することは、非常に無責任な行為なのである。

 例えば、それは、自称医者が、自分が開発した薬の効果を何ら立証・検証することなく、患者に投薬するのと同じようなものであると言えよう。

 そのようなことをしているのが、立証責任を果たしていない自称霊能者たちであり、
そんな者たちが主張する「真実」や「神への道」、「悟りの道」、「幸福になれる方法」等々を真に受けて実践することは、非常に危険な行為だと言えよう。

 
それは先のたとえの通り、自称医者に、自分が開発した未実証・未検証の薬を投薬されているのと同じことなのである。


 ちなみに、自分が信じる霊能者について、「霊能者自身が自分の能力について検証したのだろう」と考える人もいるかも知れないが、そのように考えて納得するのは誤りである。

 立証行為は、霊能者自身が自分で検証してもそれは何の意味もない。検証方法、結果等をきちんと提示して第三者の検証を受けなければ、それは証明したことにはならないのである。

 例えば、ノーベル医学賞をとった医学者が、自分が考えた新薬を、自分自身で検証しただけで、「新薬の効果は立証済である!」などと言うことが許されるだろうか。許されるわけがない。

 それと同じで、立証行為には第三者の検証が必須なのであり、自分一人で検証したところで、それは何も証明されていないのと同じことなのである。

 特に、自分の能力を自分自身で検証する場合は、そこに、「自分の能力がホンモノだと思いたい」、「自分の能力が優れたものだと思いたい」等といった「欲」が入り込み、客観的に判断することが非常に難しくなるので、それこそ、当てにしない方が良いと言えよう。


 また、さらに言えば、自称霊能者たちの中には、自らの立証責任を果たさないばかりか、立証責任を積極的に放棄するケースも多くみられる。

 具体例を見てみよう。

アマーリエ氏(レムリア・ルネッサンス)のケース
『28時間の奇跡』 (レムリア・ルネッサンス編・たま出版・2005年) P.221-222
 けっして、私たちはあなた方を説得するために出て来るのではないのです。
 このあいだ、高橋信次、エル・ランティがじきじきに出られ、井村さんという方に、あれだけの愛のある言葉を語っておられたにもかかわらず、その方は証明を求められました。
「我が名がわからぬか、師がわからぬか、私がわからぬか」と、エル・ランティは再三、彼に向って言っておられたはずなのです。
「なぜわからぬか」と高橋信次、エル・ランティはおっしゃりながら、心の中で泣きながら彼は、問いかけていたはずなのです。
「なぜ証明が要るのだ」と
「あなたが弟子であるのならば、なぜ、愛する師のこと声がわからぬか」と。
 それを高橋信次は相手の方に問うておられたのであります。
 だから証明することはないのです。
 
わかる方はわかるのです

 〜(中略)〜

 
けっして、証明したから信じるという訳ではないのです
 ホームページを見ていてもわかるでしょう。
ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うという者たちが、次から次へと出て来て証明を求めるのです
 でも、神は、証明はしない。
 証明を求める者に対しては、沈黙をもって答えるという、
 
「汝、聖霊を試すことなかれ」
 「汝、天上界の神々を試すことなかれ」ということを、古来より人びとに伝えて来たはずなのです。

 我々、神々の言葉を、聖霊の言葉を信じられぬ者は、証明をしてみせたところで、けっして、信じられるものではないのです。

 アマーリエ氏は、自身にあらゆる神や霊を降ろすことができるとし、その神等が語ったとされる内容を発表している自称霊能者である。

 上記は、アマーリエ氏に降りた、大天使ミカエルが語っているとされるものであるが、よく見られるパターンの、自称霊能者・自称神等の立証責任の放棄理由だと言えよう。

 証明しない理由をまとめると以下の通りである。
@.分かる人には分かるから、証明はいらない
A.証明したとしても、信じない人は信じない
B.次から次へと証明を求めるものが出て来て、きりがない
C.古来、神等を試してはいけないとされている
 それぞれについて、ツッコミを入れてみよう。

@.分かる人には分かるから、証明はいらない

 そんな暴論、許されるはずもない。もし、そんな理屈がまかり通るのなら、科学者たちは自分が考え出した新理論を立証せずに、「分かる人には分かる」と言っておけば良いのである。

A.証明したとしても、信じない人は信じない

 ただの屁理屈。確かに、「信じられない」のではなく、単に「信じたくないから、信じない」と、主観的願望、つまり己の欲でもって物事を考える人もいるが、そんなことが立証責任を放棄する理由になるはずもない。

B.次から次へと証明を求める者が出て来て、きりがない

 根本的に、立証作業について勘違いした発言。例えば、科学者が、自分の新理論について証明を求めてくる人に対して、いちいち立証作業をするだろうか。するわけがない。新理論について、自分が行った検証方法とその結果等を論文として発表し、第三者が再検証できるようにして終わりである(もちろん、第三者から疑問点や検証不足等を指摘されれば、それに応じなければならないが)。

 次から次へと証明を求める者が出て来るのは、それが、証明になっていないからである。

C.古来、神等を試してはいけないとされている

 この根拠としているものの一つは、新約聖書の以下の記述であろう。
『マタイの福音書』 4章5-7節
 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」
 イエスは言われた。「
『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
 悪魔がイエスを神殿の頂に立たせて、「神が助けてくれるから、飛び降りろ」と言い、それに対してイエスが「あなたの神である主を試みてはならない」と答えた話である。

 この内容を読めば分かると思うが、上記は、
そもそも、突然現れてきた自称神を、本物かどうか試す行為では無いということだ。

 よって、「あなたの神である主を試みてはならない」という文言のみを抽出して、自称高橋信次や自称大天使ミカエルを試してはいけないと主張するのは、ただの詭弁である。

 また、神ヤハウェは、実際のところ、神を試す行為に応じている。例えば、旧約聖書の以下の記述である。
『士師記』 6章36-38節
 ギデオンは神に言った「あなたが語られた通り、私の手によってあなたがイスラエルを救い出して下さるのでしたら、ご覧ください、私は刈り取った羊の毛を麦打ち場に置きます。もし、その羊の毛だけに露がおりて、そのまわりの地の全面が乾いているようなことがあれば、私はあなたが語られた通り、あなたが私の手によってイスラエルを救い出して下さるということを知ります。
 
するとその通りになった。朝早く起きて、彼が羊の毛を絞ってみると、水が鉢でいっぱいになるほど露を絞り出すことができた。
 ギデオンのもとに、突然、神ヤハウェが現れ、イスラエルをミディアンの手から救い出すように告げる。そして、神ヤハウェは、無条件に自分の言うことを信じるように強要したりはしない。

 上記の通り、ギデオンは条件を出して、神ヤハウェに実行するよう求め、一方、神ヤハウェはそれに応じている。(※上記も含め、神ヤハウェは、ギデオンの試みに3度応じている)

 そもそも論として、突然、神を名乗る者が現れて、それを何の証拠も無しに信じろと言うのは、ただの横暴であろう。

 今も昔も、神を自称する低級霊が現れることなど多々ある。そんな事情を無視して、無条件に信じることを求めるような存在は、偽物だと断じて間違いないだろう。

 以上、立証責任を拒否している自称大天使ミカエルの主張にツッコミを入れてきたが、本人が「わかる方はわかる」と言っている通り、むしろ、分かる人には
ニセモノであることが分かるのである。
※アマーリエ氏の霊能力のデタラメさについては、以下のページを参照
○「アマーリエさまにツッコミ!

 続いて、別の、立証責任を放棄したケースを見てみよう。

伊勢白山道氏のケース
《ブログ「伊勢−白山道」 コメント欄2011-05-03 23:54:02より》
 。。。縁ある人を救うために来ています。

批判する人を説得するつもりも、何かを証明するつもりも、私は全くその気を持ちません
布教しているのでは無いからです。
むしろ批判者には、信じてくれるなと言いたい。

それぞれの自分の道を行けば良いのです。内在神への道です。

時間が経てば分かる時が来るかもしれないし、死後になれば本人が知ることです

(管理人注)現時点(2012.3.26)で、該当のコメントはブログ本文ごと削除されていて、参照できない。
 伊勢白山道氏は、主に自身のブログで活動し、感謝や先祖供養等を推奨している人物。「幾多の過去生、神界、その他の次元での記憶を保持し」ていると主張し、超古代やあの世の構造、有名人の前世、その他の霊視結果などを示している。

 その自称霊能者の伊勢白山道氏であるが、上記の通り、立証責任については、「証明するつもりも、私は全くその気を持ちません」と完全に放棄した上で、「むしろ批判者には、信じてくれるなと言いたい」と開き直り。

 そして、「時間が経てば分かる時が来るかもしれないし、死後になれば本人が知ることです」と、わざわざ証明しなくても、遅かれ早かれ真実が明らかになるという旨の主張。


 このように、立証責任を放棄している自称霊能者、伊勢白山道氏だが、その霊視結果等を検証をしてみれば、下記のページでツッコんだ通り、むしろ、インチキであることが分かるのである。
○「伊勢白山道さまにツッコミ!

 最後にもう一つ。

エスター・ヒックス氏&ジェリー・ヒックス氏のケース
『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』 (エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス/Softbank Creative/2007年) P.181
エイブラハム そこで問題なのは、何かを証明しようとすると、望まないことと対抗しなければならなくなることだ。だから、自分のなかでその対抗相手と同じ波動を活性化させてしまい、望むことの実現が難しくなる。それに相手が強い疑念を抱いていれば、その影響であなたも疑念を抱くようになる可能性があるので、勧められない。
 
言葉で誰かに何かを証明する必要はないあなたの存在そのものが――あなたの生き方が――人を高揚させるわかりやすい例になればいい
 エスター・ヒックス氏とジェリー・ヒックス氏は、エイブラハムという霊のグループから啓示を受け、「引き寄せの法則」等といった「宇宙の法則」を提示している。上記は、そのエイブラハムが語ったものである。

 エイブラハムは、「言葉で誰かに何かを証明する必要はない」と、立証責任の放棄を勧め、その理由を要約すると次の通り。
@.疑念を持つ相手と対抗しなければならなくなって、自身にも疑念が生じる可能性があるから
A.自分の存在や生き方で示していけばいい
 @については、当然のことながら、そんな自己都合など、立証責任を放棄する理由にはならない。
 Aについては、例えば、「引き寄せの法則」が「真」であることを、その立証責任を放棄した上で、自分の生き方で示せるワケもない。
 そもそも論で言えば、立証責任を平気で放棄するような、無責任な生き方を示してどうすると言うのだ。

 このように、エイブラハムは立証責任の放棄を勧めるのだが、そのエイブラハムの「宇宙の法則」とやらを検証してみれば、以下のページに記載した通り、単に「もっともらしいだけ」のお粗末な空論。
○「エスター・ヒックス&ジェリー・ヒックス様にツッコミ!
○「もっともらしいだけの根拠(その3) 〜部分抽出による根拠〜
 所詮は、立証責任を放棄させることによって、相手に疑念が生じさせるのを防ぎ、自分がニセモノであることがバレるの回避しているだけなのである。



 以上、自称霊能者たちの立証責任の放棄とその理由を見て来たが、まとめ。
○自らの霊能力等の立証責任を放棄・拒否した上で、自分の霊能力等を「真」として提示するような者の言うようなことは信じるな

○神(天使、聖人等も含む)を自称する霊が現れて来たら、その神を試せ

 所詮は、彼らが主張する立証責任を放棄・拒否する理由は「もっともらしいだけ」のものであり、自分の霊能力等がニセモノであることをバレないようにする為の言い訳に過ぎないのである。



 さて、少し話が逸れてしまったが、続いて、「大前提が未実証のままであるにも関わらず、霊視結果等を『真』であるとして主張するような自称霊能者は、その時点で、アウトだと考えてまず間違いない」という理由の二つ目である。


2.立証できない能力を「真」だとしている時点で、合理的に考える力がない

 以下では、主に、霊視能力について述べるが、霊視能力には視る対象によって、立証出来るものと立証出来ないものがある。

 例えば、霊視で立証出来るものとしては、次のものが上げられるだろう。
○物理的に存在するが、霊視者からは物理的に見えないもの(いわゆる、「千里眼」と言われるもの)
○未来(いわゆる「予知」、「予言」と言われるもの)
 千里眼については、霊視者からは通常、見えないだけなので、その霊視結果の当否を判断することができ、また、未来については、霊視時点では不明だが、その未来が訪れれば当否の判断は可能である。

 一方、立証出来ないものとしては、例えば、次のものが上げられる。
○霊や神など
 例えば、不幸が連続して起こる理由について、「未練を残して死んだ先祖が霊障を起こしている」との霊視結果が出されたとしよう。それは立証出来るだろうか。出来るわけがない。

 また、心霊写真の鑑定結果などもそうである。例えば、「その地の地縛霊が映り込んだ」というような鑑定結果も立証しようがない。

 そして、霊視ではないが、例えば、自称イエス・キリストの霊が降りてきて、語り出したとする。その霊がイエス・キリストであることを立証できるだろうか。

 もし、その霊が病人を次々と治したとしても、それはイエス・キリストであることの証拠にはならないし、力を持った悪魔の仕業の可能もある。その行為からは、単に、「病気を治せる霊」としか分からないのである。

 また、その霊が、イエスが生きた当時の風俗や出来事などを、専門家が誤りや問題点を指摘できない程、正確に語ったとしても、それは、単に、当時、生きていた他の人間である可能性もあるので、イエス・キリストの証明にはならない。

 さらに、例えば、イエス・キリストとその近親者しか知らないような事実をその霊が語ったとしても、それを事実か否かを確認しようが無いので、やはり、証明にはならない。

 結局、どうあがいても、イエス・キリストであることの証明など出来ないのである。

 そして、歴史上の人物であるイエス・キリストでさえそうなのだから、歴史上の人物でない霊、例えば天照大神やゼウス等が降りてきても、それこそ、証明しようが無いのである。

 また、立証不能なものとしては、他にも、前世(特に、確認不可能なほど過去のもの)や、あの世の様子・構造などがあげられるだろう。


 このように、霊能力関連では、立証しようのないものが数多くあるが、そのようなものでも、真実であるとして主張する霊能者も少なくない。

 果たして、彼らは、立証出来ないものを、どうやって真実であると判断できたのだろうか?

 実際の所、
立証不能なものを、真実であると断定することなど不可能なのである


 よって、上述したような、立証不能なものを真実だと主張している霊能者がいたら、その者は、合理的に物事を考えることの出来ない人間だと判断して間違いない。

 合理的に考えたら、真実だと断定しようが無いものを、真実だと決め付けて主張しているのであるから、当然であろう。

 せいぜい出来て、
「立証できないが、私は真実だと信じる程度の主張なのであり、当然ながら、それは、客観的に真実であるワケではなく、単に、個人的にそう信じているに過ぎない。

 そして、信じるだけなら、どんなに脆弱な根拠であろうが、また、どんなに明確な反証があろうが可能なのである。


 なお、そのような者たちが、真実だとの結論に至ったのは、所詮、「自分が素晴らしい能力を持った人間だと思いたい」、「自分が特別な人間だと思いたい」等という欲でもって事実を歪めて捉え、合理的・客観的に判断出来ないからなのである。




 以上、述べてきた通り、下記の点を見いだせる霊能者は、その時点でアウトだと判断し、信用しない方が良いであろう。
○未実証の能力を前提にした情報等を真実として主張する
○立証不能な事実を真実だと主張する

 このような霊能者が主張することは、全て、前提が立証されていない「もっともらしいだけ」の話なのであり、また、彼らは、先述した通り、自分が開発した未実証・未検証の薬を、ホンモノの薬だと言って患者に投薬しようとする自称医者のようなものなのである。

 ちなみに、上記の2つに該当しないからと言って、その霊能者が信頼できるとは限らないので留意して欲しい。



 なお、念の為、断っておくが、私は全ての霊能者を否定しているワケではない。
 あくまで、上記の2項目に該当する、次のような霊能者を否定しているのである。
○立証できる能力を立証することもなく、真実だと主張する霊能者
○立証できない能力を真実だと主張する霊能者
 上で述べたように、立証責任を放棄・拒否するような霊能者もいるが、
もし、立証する気が無いのなら、真実であると主張するな

もし、未実証の自分の能力を前提にした情報等を提示したいのなら、「仮に自分の能力が正しいとするなら」等というように、前提を分かり易く明示し、あくまで
「仮定の話」として主張しろ

明確な反証が示されたなら、霊能者という看板をすみやかに取り下げろ

という、至極、当たり前の話をしているだけなのである。



 ※(その6)へ続く


2012.3.26新規

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