けっして、私たちはあなた方を説得するために出て来るのではないのです。
このあいだ、高橋信次、エル・ランティがじきじきに出られ、井村さんという方に、あれだけの愛のある言葉を語っておられたにもかかわらず、その方は証明を求められました。
「我が名がわからぬか、師がわからぬか、私がわからぬか」と、エル・ランティは再三、彼に向って言っておられたはずなのです。
「なぜわからぬか」と高橋信次、エル・ランティはおっしゃりながら、心の中で泣きながら彼は、問いかけていたはずなのです。
「なぜ証明が要るのだ」と。
「あなたが弟子であるのならば、なぜ、愛する師のこと声がわからぬか」と。
それを高橋信次は相手の方に問うておられたのであります。
だから証明することはないのです。
わかる方はわかるのです。
〜(中略)〜
けっして、証明したから信じるという訳ではないのです。
ホームページを見ていてもわかるでしょう。ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うという者たちが、次から次へと出て来て証明を求めるのです。
でも、神は、証明はしない。
証明を求める者に対しては、沈黙をもって答えるという、
「汝、聖霊を試すことなかれ」
「汝、天上界の神々を試すことなかれ」ということを、古来より人びとに伝えて来たはずなのです。
我々、神々の言葉を、聖霊の言葉を信じられぬ者は、証明をしてみせたところで、けっして、信じられるものではないのです。
|