『青年地球誕生』にツッコミ!(その5) ・・・ 幣立神宮さま
 ※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)からの続き



 (その4)では、幣立神宮にモーゼの魂である「モーゼの神面」なるものが納められたという話を見たが、本書には釈迦やキリストと言ったスーパースターも登場する。

 これまでの記事と同様に、『竹内文書』と比較しながら見て行きたい。



6.釈迦・キリスト

<竹内文書>

 釈迦やイエス・キリストが日本に来て皇祖皇大神宮(『竹内文書』を奉じている神社)で修行を積んだとされる。


<幣立神宮>

 本書には、幣立神宮の宮司の言葉ではないが、他者の言葉として次のように語られている。
<P.200>
 さらに眼を転ずると、古神道の奥義をきわめた大阪の塩川白華女史は、釈迦の故山インドの聖地を巡錫して、求め求めた青い鳥すなわち世界中心の高天原は、結局阿蘇の日の宮であった、ということになり、釈迦もキリストも、「日の宮に参じ給えり」と喝破しているのである。

※管理人注:文字に色を付けたのは管理人(以下同様)。
 なんか、よく分からん人が、「釈迦もキリストも、『日の宮に参じ給えり』と喝破」したらしい(笑)

 ちなみに、幣立神宮には昭和15年に釈迦が現れて何か語ったようである。その箇所も見てみよう。
<P.211-212>
 さて、このような事実があった事を踏まえて、昭和15年2月7日に、釈迦の仏示として示教せられたものが次の如くである。それは布田神声で出されたそのロゴスを速記したものであるから、文面のあやをあげつらうことは、仏意をなみ(蔑)することになり、ひいては自らを貶めることにもなるであろう。

釈迦の仏示(昭和15年6月30日発表)

 『教育勅語のご趣旨通り遂行するならば、不惜身命。義に応ずるならば是れで結構。先づ物事が起こって西東を決せねばならぬ時、自らを捨てて他を生かす、此の気持で解決するならば、すべて解決平易です。』
 (注、この仏示を日支事変に生かさなかった事は強く反省しなければならないだろう。教育勅語は全く戦争協力者ではなかったのである。)

 まず、「布田神声」とあるのは、布田という霊媒に釈迦が降霊して語ったということである。

 そして、
何故か、教育勅語について語るお釈迦様。

 めったにない奇跡的なことなんだから、他に語ること、言いたいことは無かったのだろうか。

 そして、「不惜身命」という仏教語を登場させての説法。自分がお釈迦様であることをアピールしているのだろうか。

 また、後半の「義に応ずるならば・・・」で言っている内容は、お釈迦様でなくても誰でも言えそうなもので、おみくじにでも書かれていそうな漠然とした内容である。


 この仏示の続きも見てみよう。
<P.212> (※上記からの続き)
 『禅の教へ、仏の教へ、皆無我になり空になり、そして己れの心を真理の大本に反し、一切衆生を我が子と思ひ、此の世の中すべてを我が家と思ひなし得る程度に、心を磨き上げたのが釈尊であり、人々をして釈尊の心境まで導かせるのが仏教です。』
 「皆無我になり空になり」と誰でもそうと分かるような仏教的な言葉を語り、自分が釈迦であることをアピールしてくれる親切なお釈迦様。

 しかし、何故か、自分のことを言っているのに、「釈尊」という言葉を使っている。

 そもそも、釈迦は「釈迦牟尼(しゃかむに)」の略で、
釈尊は「釈迦牟尼尊」の略。「尊」は尊称である。

 自分のことを語るのに、「私」などと言った第一人称を使うわけでもなく、「釈尊」と尊称付きの略語を使うなんておかしいやろ。

 しかも、釈迦(シャカ)と言うのは、釈迦族という部族名であって、お釈迦様の本名ではない。

 違和感ありまくりの仏示である。単に、布田と言う人が、仏教的教えを交えながら、教育勅語などについて語っているとしか思えないのだが。


 さらに、少し飛ばして、お釈迦様のシメの言葉を見てみよう。
<P.212-213>
 『その両々を含し含めて、短い教へとなって居るのが、教育勅語です。ただ只管に教育勅語の一字一句を、良く味ひ良く呑込んで、有り難く日々を暮す事が精神の磨きで、是が一番世法に適ふのです。』――

※管理人注:両々・・・神教と仏教のこと
 結局、教育勅語を称賛・推奨して終わり。

 そして、どうやら、教育勅語が「一番世法に適」ったものらしい。

 お釈迦様自身が、自分の説いた法を全否定するようなお話であった(笑)



7.その他

 幣立神宮と『竹内文書』の類似点はまだあるのだが、残りは簡単にだけ記載しておきたい。
○自分の所こそが、古代の神都であり高天原だと主張する。(P.91)

○歴史上の聖人・神人との関わりを主張する。

 モーゼ、釈迦、キリストについては先述の通り。幣立神宮の場合は、他にも空海、親鸞、日蓮なども登場する(P.264-271)。
 ただ、『竹内文書』の場合は、モーゼ、釈迦、キリストを始め、マホメット、孔子、老子、孟子なども教えを受けに来たとしているので、やはり、幣立神宮の方がスケールが小さくなっている。

○神代から使われていると称する神代文字がある。

○天皇家の十六菊家紋の由来を説明する。

 幣立神宮の場合は、自分の所の野生の「黄菊草」がもとになったと主張している(P.286)。





 以上、『竹内文書』と幣立神宮の主張の類似は明らかであろう。

 そして、『竹内文書』が世に登場したのは昭和3年(1928年)のこと。

 一方、幣立神宮のトンデモ伝承・伝説を主張し出した春木秀映様が実家の神職を継承したのが昭和9年(1934年)のことであり、本書によると、それまでは全く神職に就くつもりも予定も無かったようであるから、創作の開始は昭和9年以降のことであろう。

 つまり、『竹内文書』の方が先に世に出たのであり、まず間違いなく、幣立神宮の春木秀映様は『竹内文書』を参考にし、かつ、それに対抗意識を燃やしつつも、これまで見て来たようなトンデモ話を創作して来たのだと思われる。

 なお、本書には、『竹内文書』への言及も見られるので、そちらの文章も見てみよう。
<P.45>
 五色神面に関する文献としては竹内文書があります。竹内文書についてはいろんな角度から研究され、議論されていますが、「日本書紀」や「古事記」などの歴史書と全く次元の異なった歴史体系が記述されているため、昭和12年竹内家に伝わる神典として発表した竹内巨麿は不敬罪で起訴され、結果、文献自体を偽書、偽作と決定されました。しかし、戦後は思想・信条・学問・言論の自由が認められ、現在では古代史研究者でこの文書の存在を知らぬものはいないと言われるほど注目されている文献です
 『竹内文書』を「現在では古代史研究者でこの文書の存在を知らぬものはいないと言われるほど注目されている文献です」と肯定的に語る春木様。

 ただ、確かに「存在をしらぬものはいない」ほどかも知れないが、注目しているのはトンデモ古代史研究者やオカルト好きな好事家だけである。

 まあ、『竹内文書』を否定してしまえば、結局、それに似たり寄ったりの自分の主張も否定することになっちゃうからねぇ。。。


 続いて、(その6)では、春木秀映様がどのような経緯を経て、これまで見て来たようなトンデモ伝承・伝説を主張するに至ったかを見てみたい。




2013.01.29 新規

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お釈迦様も推奨する教育勅語。

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