『ベールを脱いだ日本古代史』にツッコミ!(その5)
※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)からの続き



 当記事では、本書に対する個別のツッコミを入れていきたい。





 以下は、坂本様が交信しているディアナという高次意識から得た情報だそうである。
<P.17>
(4)ディアナは観音菩薩であり、インドでシャーリープトラにこの方法(*)を教えたことがあるそれが「般若心経」として伝えられるものであり、そこに出てくる羯諦羯諦(ギャーテーギャーテー)で始まるマントラが覚醒のためのマントラだ。ただし、自分に合った言葉を探すことが必要だ。

(※管理人注)青字にしたのは管理人(以下同様)。
(*)「この方法」とは、ある意識状態に至った後、特殊な言葉(マントラ)を唱えると覚醒するという方法(P.17)
 高次意識のディアナは観音菩薩で、シャーリープトラにある方法を教え、それが「般若心経」として後世に伝えられたらしい。

 シャリープトラは釈迦の十代弟子の一人で、特に釈迦の信頼が高く、智慧第一と言われた。

 そして、以下の通り、「般若心経」は確かに、観音菩薩が舎利子(しゃりし)(シャーリープトラ)に語りかける形を取っている。
「般若心経」 口語訳・一部
 観自在菩薩(※観音菩薩)が般若波羅蜜多を行じている時 五蘊は皆空であると悟れば、一切の苦厄から救われると照見した。
 舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず、色は即、空であり、空は即、色である。

※参考:HP「仏教悩み相談室」→「般若心経 全文解説
 しかし、「般若心経」が原始仏教には存在せず、後世に創作されたものであることは明白であり、上記のディアナの話はデタラメであるとすぐに分かるものである。

 そもそも仏教は釈迦が説いたものであり、
釈迦以外の別の神が教えをたれるなどありえない(※あくまで、原始仏教においては)。

 当初の仏典は、釈迦の死後、弟子たちが集まって、「如是我聞(にょぜがもん)」(私は(釈迦から)このように聞いた)と、内容を確認し合ったものが、まとめられたものである。

 そして、そのような内容確認の第一回目は、釈迦の死後、ラージャクリハの七葉窟(しちようくつ)に500人の阿羅漢(あらかん)が集まってなされたが(第一結集)、その時には、
シャーリープトラは既に死んでいて参加していない(というか、釈迦より先に死んでいる)。

 また、仏典に観音菩薩や弥勒菩薩などといった神が登場して来るのは、仏教が上座部仏教と大乗仏教に分かれた後の大乗仏教においてであり、ヒンドゥー教などの他宗教に影響を受けた結果である。
 よって、「般若心経」もそれ以降に、「観音菩薩がシャリープトラに語った」という形式で創作されたものなのである。
<参考>
『もう一度学びたい ブッダの教え』 (田上太秀(監修)・西東社)
『釈迦の本』 学研



<P.63-64>
 浅川さんのこの『龍蛇族直系の日本人よ!』を読んでいて、腰を抜かさんばかりに驚いてしまった。それはp215に以下の記述を見つけたからである。
 また和宏少年によると、神武天皇以降、十代崇神天皇までは半龍神であったことや、『古事記』に登場する那賀須泥毘古(ながすねひこ)邇芸速日命(にぎはやひのみこと)、そして『記紀』には記されていない大蛇健歯大神(おおみのけんしのおおかみ)という神々はムー時代から日本にいた国津神(くにつがみ)であったそうで、その一柱である大蛇健歯大神(おおみのけんしのおおかみ)はムー帝国がアトランティスに滅ぼされた際に、オリオン系の獣神によって神界に戻ることができないようバリアを張られ、三輪山の山中に長い間閉じ込められていたそうである。
 しかし
つい最近、祈りの力によって封印(結界)が破られて飛び立つことができたようである。

 ここで、和宏少年とは「神界から直接地球にやってきた」と称する少年で、浅川嘉富さんも、少年のこれまでの言動から間違いないだろうと思われているとのことである。
 
私が三輪山の頂上で高次の生命体たちを解放したという体験が、ここに第三者によって裏付けられたわけである。こういった体験はあくまでも私の主観的な体験なので、本当かどうか証拠を示せと言われてもなかなか難しいところがある。それがこういう形で第三者に裏付けられると、何かちょっと安心する


 どうやら、坂本様は、「三輪山の頂上で高次の生命体たちを解放した」体験があるらしく、その後、浅川嘉富氏の書籍の中に、同様の事実が記載されているのを見つけ、自分の体験が「第三者に裏付けられ」たと思って「ちょっと安心」したらしい。

 しかし、本当に裏付けられたのかどうか、「神界から直接地球にやってきた」と称する和宏少年の主張する内容と、坂本様の主張とを比べてみよう。
○三輪山に封印された存在 不一致?
坂本様 ○封印されていたのは坂本様の過去世の自分で、当時、王としてその地を統治していた。また、その王は、古代人が神と崇める高次の生命体が肉体を持って具現化した存在。さらに、その王に従う多くの者たちも封印されていた。(P.48-49)
○封印されていたのは、「エネルギーと人たち」でシリウス系(P.28)。
和宏少年 大蛇健歯(おおみのけんしの)大神というムー時代から日本にいた国津神。
大蛇健歯(おおみのけんしの)大神が封印されたのは、以下の通り、「ムー帝国がアトランティスに滅ぼされた際」であり、一方、坂本様の言う王が封印されたのは、それよりも、はるか後のことである。両者は別モノだと思える。
○三輪山に封印された時期 不一致
坂本様 ○ある時、異国に攻め込まれて、滅んだ時(P.48)。(※異国は、オリオン系(P.28))

※いつのことかは明記されていないが、少なくとも、1万2千年前にアトランティスが滅んだよりもはるか後のこと。
和宏少年 ○ムー帝国がアトランティスに滅ぼされた際。
※ちなみに、坂本様の著書『分裂する未来』(ハート出版)では、ムーは自然災害で滅んだことになっている(P.115)。
○三輪山に封印された理由・方法 不一致?
坂本様 ○異国に攻め込まれて多くの巫女たちが死んで、そのときの無念さをいまだに持っていたから(P.48)。
※要は自縛霊になっていただけのようだが、P.28やP.48等では「封印」という言葉が使用されている。
和宏少年 ○オリオン系の獣神によってバリアを張られたから。
○封印が破られた時期 一致?不一致?
坂本様 ○2011年2月23日(※坂本様が三輪山へ訪れた日(P.32))
和宏少年 ○不明だが、浅川嘉富氏の著書『龍蛇族直系の日本人よ!』には、同書のエピローグを書いた時期が、東日本大震災(2011年3月11日)の約2週間後である旨、記載されているため(P.344)、それ以前。
○封印が破られた理由 不一致
坂本様 ○坂本様が三輪山へ訪れることで自縛が解けた(P.50)
和宏少年 ○祈りの力によって。
 なんのことはない、明確に一致していると言えるのは、三輪山という場所と、そこに封印されて(自縛して)いた存在が解放されたという所だけである。

 どうやら、ここら辺に、坂本様が高次意識から受け取ったという、どうしようもないデタラメ情報を発信し続けていられる秘密があるように思える。

 上記の三輪山の封印関連の話は、一致点よりも不一致点の方が多い。

 しかし、坂本様は一致点のみを過大評価し、一方、不一致点は無視(もしくは、過小評価)して、自分の体験が「第三者に裏付けられ」たと考えていると思われる。

 つまり、自分にとって都合の
良い情報だけ見えて、都合の悪い情報は見えていないのだろう。そうやって、自分に都合の良い情報や結果のみを見て、いつまでも「自分は高次意識と交信できている」と自己満足しているのであろう。


 ちなみに、ついでにツッコんでおくと、和宏少年が、『記紀』には記されておらず、かつ、ムーの時代から日本にいたとする大蛇健歯大神(おおみのけんしのおおかみ)という神であるが、明らかにウソと分かる名前である。

 名前の漢字の読みに注目してみると、「健(ケン)」と「歯(シ)」がある。このどちらも音読みであり、音読みはご存知の通り、中国の漢字を取り入れることによって、日本で使われるようになった漢字音の読みである。

 万葉仮名による当て字でもなく、そんな大昔に、音読みをする名を持つ神など存在するワケがあるまい。

 まあ、「神界から直接地球にやってきた」と称する和宏少年も、ムーだアトランティスだと言っている時点で終わっているのだが。



<P.203-204>
謎B ニギハヤヒを物部氏の始祖とする矛盾

 『先代旧事本紀』は、以下を主張する。
(1)ニギハヤヒが物部一族を引き連れて河内の国の河上の哮峰(いかるがのみね)に天降り、さらに大和の国の鳥見の白庭山に移った。

(2)ニギハヤヒは物部氏の祖である。
 実は、よく考えてみると分かるのだが、このふたつの文章は論理的に矛盾する。一方が真実なら他方は嘘である。
 ニギハヤヒが祖ということは、物部氏はニギハヤヒの子孫ということになる。ということは、ニギハヤヒと同時代には物部氏はいないわけである。いたとしたら、それは単に名前がいっしょなだけで、子孫ではない。

 〜(中略)〜

 だから、
『先代旧事本紀』が、物部一族がニギハヤヒといっしょに天降ったと言っているということは、物部氏はニギハヤヒの子孫ではないということを自ら証言しているようなものである
 
不思議なことに、こういう当たり前なことをこれまでに主張した人はいないようなのだ

 「『先代旧事本紀』が、物部一族がニギハヤヒといっしょに天降ったと言っているということは、物部氏はニギハヤヒの子孫ではないということを自ら証言しているようなもの」と主張する坂本様。

 要は、「ニギハヤヒが物部氏の一族と共に天降ったのであれば、その時、既に物部氏が存在していたことになる。それなら、ニギハヤヒは物部氏の祖ではないことになる」ということのようである。


 果たして、『先代旧事本紀』が坂本様の言うように、「物部一族がニギハヤヒといっしょに天降った」と言っているのか確認してみよう。

 以下は、『先代旧事本紀』の該当の箇所の抜粋である。
『先代旧事本紀 巻第三 天神本紀』 
※訓読文、及び、語彙の説明は、『先代旧事本紀 訓駐』(大野七三・批評社)のものを使用した。
五部造(いつとものみやつこ)伴領(とものみやつこ)と為し、天物部(あまつもののべ)(ひきい)天降(あまくだり)供奉(つかへまつ)る。

天物部(あまつもののべ)()二十五(はたちあまりいつ)部人(とものをのかみ)(おなじ)兵杖(つばもの)(おび)天降(あまくだり)供奉(つかへまつ)る。

伴領(とものみやつこ)・・・伴の御奴の意。主殿寮(とのもりづかさ)の下級役人をいう。
天物部(あまつもののべ)・・・饒速日尊が大倭国に天降る時に従って来た軍事刑罰の事に従事した品部である。
 確かに、天物部(あまつもののべ)を率いて天降ったと記載されているのだが、ここで言う天物部(あまつもののべ)とは、「軍事刑罰の事に従事した品部(※古代日本の人的集団・組織のこと)のことで、坂本様が言うように、ニギハヤヒが「物部氏の一族」を引き連れて来たと記載されているワケではない。「軍隊を率いて天降った」と言っているだけなのである。

 「不思議なことに、こういう当たり前なことをこれまでに主張した人はいないようなのだ」って、そりゃそーだろ。

 坂本様が勘違いしているダケで、「当たり前なこと」では無いのだから。


 ちなみに、参考までに説明しておくと、古代日本の氏には大まかに2種類あって、本拠地名に基づくものと、職掌を名乗るものがあった。前者が、葛城氏、紀氏等で、後者に当たるのが物部氏である。

 そして、物部氏は、軍事刑罰関連の職掌を執り行っていたので、朝廷から「物部」という氏が与えられたのである。
<参考>
○Wikipedia「品部
○『歴史読本 2011年8月号 古代豪族の正体』 P.164 (新人物往来社)

 まあ、歴史の素人である坂本様が勘違いするのも、やむを得ないと思われるが(かく言う私も素人だが)、関連の事実について、高次意識のトート様がどのように言っているのかを見てみよう。
<P.220-221>
 この発展の間に、物部氏は自家の歴史を大きく改ざんしたようだ。それについてトートに教えてもらう
 〜(中略)〜 こういう事実は、ニギハヤヒが大軍団を率いて河内に降臨したかのように吹聴した。『先代旧事本紀』には、ニギハヤヒは32人の防護の人と、五部(いつとも)の人、五部(いつとも)(みやつこ)天物部(あまつもののべ)ら二十五部の人、天の磐船(いわふね)の船長や舵取りらを率いて降臨したとする。ここに出てくるのはそれぞれが氏族であるから、これが本当だとすると大軍団を率いたことになる。これはニギハヤヒを大人物に仕立て上げる物部氏の脚色で、ここに出てくる氏族の多くは物部氏を含め、神武東征により大和が制圧された後に、北部九州から順次、河内や大和へ移住したものである。

 『先代旧事本紀』の記載を指して、「ここに出てくる氏族の多くは物部氏を含め」とあり、トート様も、天物部(あまつもののべ)のことを「物部氏の一族」だと思っているようである。

 坂本様の勘違いを指摘するどころか、そのまま踏襲しちゃってるトート様(笑)。

 全然、役に立たねーな。





 以上、坂本様が交信していると称する「高次意識」なんてものは、所詮、こんな程度。

 坂本様が勘違いをすれば、高次意識も同じ勘違いをするし、また、坂本様が「ムーは本当にあった」と考えていれば、高次意識もムーが存在したとする発言をする。

 そして、坂本様がよく知らない日本古代史のことは、高次意識も語ることが出来ないから、事前に坂本様が勉強したり試行錯誤したりする必要が出て来る。

 結局のところ、坂本様が高次意識から聞いたという話は、
「坂本様が、『高次意識なら、どのように答えるか』を想像したもの」と何ら変わりはないのであり、また、それ故に、坂本様の知識や想像の域を超える真実の話など聞けはしないのである。


 また、これまでの情報を総合して勘案すると、坂本様が使用しているヘミシンクは、おそらくは、単に、
「目が覚めたまま夢を見ることのできるもの」であろうと思われる。

 よって、坂本様が高次意識から聞いたという話も、所詮は夢の中の話であり、だからこそ、これまでツッコんで来たようなデタラメばかりの話になるわけである。

 そして、この推論を前提とすれば、ヘミシンクがやっかいなのは、
目覚めたまま夢を見る」という点であると言うことができるであろう。

 結果、夢に意識的に指向性を与えることが出来ることになり、また、それゆえに、夢に自分の知識や先入観、そして、期待が通常の夢よりも大きく影響を与えることになる。

 これを逆に言えば、事前にセミナー等であの世や高次元とはどのようなところなのかを事細かに説明して先入観を植え付けておけば、坂本様が主張するのと同じ、あの世や高次元の世界を見させることができるようになる(※ただし、全ての人に同様の体験をさせることはできず、おそらく、催眠状態に陥りやすい人、暗示効果が高い人が可能であろう)。

 そして、そのような先入観を植え付けられた信者が、ヘミシンクを使ってあの世や高次元に行けば(行ったつもりになっているだけだが)、坂本様が言った通りの様子を体験することになり、「ああ、やっぱり、坂本先生が言っていたことは本当だったんだ」と、坂本様への信頼をますます深めることになる。

 さらに、「あの世や高次元に行き、そこにいる存在と会話ができた」という勘違いは、自分が特別な能力を獲得できたことを意味し、自尊心を満足させることにも役立つことになる。

 所詮は、「事前に植えつけられた先入観のイメージを夢として見ているだけ」なのであり、獲得した能力も
まやかしに過ぎないものである。

 このようなヘミシンクという手法を使っても、高次元の意識と会話出来るようになったり、真実を明らかにできるようになったりしないことは、坂本様の著書が証明していると言えるだろう。



2012.7.24新規

「ベールを脱いだ」のは「日本古代史」じゃなくて、坂本様が交信している「高次意識」じゃないのカ?

メッキがどんどん剥がれちゃってるゾ。