※当記事は(その1)、(その2)、(その3)、(その4)、(その5)、(その6)、(その7)からの続き
本書は、支離滅裂な論理、難解、意味不明な文章が散見され、はっきり言って読んでいて頭が痛くなってくる。
当記事では、そのような文章にツッコミを入れて行きたい。
それでは、本書の題名と同じ名を付けられた第七章の最初から、順に文章を読んでみよう。
<P.292>
第七章 青年地球誕生
ギリシアのアルキメデス曰く「われにテコを与えなば、われ地球を動かさん……」と、この含蓄のあるコトバの内容を解明した人は未だ地球上にはいないようである。その証拠に、アルキメデス自身がそのテコを掌握しなかったからである。
しかしそのテコは有るに違いない。それが実感されたからこそ、このような不滅のコトバが残っているのである。青年地球の誕生とは、コトバを変えて言えばこのテコの発見を意味する別の名ということになろうか。
※管理人注:文字に色を付けたのは管理人(以下同様)。 |
どうやら、「アルキメデス自身がそのテコを掌握しなかったから」、アルキメデスの「われにテコを与えなば、われ地球を動かさん……」の「コトバの内容を解明した人は未だ地球上にはいない」らしい。
のっけからワケが分からない。
何故、地球を動かすテコを掌握しなかったら、「コトバの内容を解明した人」がいないことになるのか。
たとえば、「もし、私に、光の速さで飛ぶロケットを与えてくれるなら、木星まで行って帰って来てみせよう」と言った人は、「光の速さで飛ぶロケット」を掌握していないので、自分自身のコトバの内容を解明できなかったことなるだろうか。
そんなワケがない。そのコトバは読んだままの意味である。
まあ、言いたいことは、「地球を動かせるテコが実は幣立神宮で、アルキメデスはそのことを知らなかったんだ!」ということだと思われるが、そう考えても、その「動かせる」は比喩的なものに過ぎないだろう。
一方、アルキメデスが言っているのは、比喩的でも何でもなく、物理的に動かすことを言っているのだが。
上記文章は、幣立神宮の重要性を主張するのが目的なのだろうが、論理性に欠ける文章である。
ちなみに、アルキメデスは「テコの原理」を発見した人物。そして、上記で紹介されているアルキメデスの言葉は、通常、「テコ」ではなく「支点」とされる。
そして、上記文章の続き。
<P.292-293> (※上記からの続き)
神典「日本書紀」巻第三の冒頭に曰く、天祖の降跡以来179万2470年余という。これを地球上に原人が発生して以来の年数とすると、これは案外、当たっているかも分からない。なぜならば現在の時点でも原人の化石した出土品などから、その半分くらいの年数は算出されているからである。
然るに、日本列島で発見せられる原人の化石は、明石原人を始めせいぜい20万年は超えないようである。
したがって原人に関する限り、日本列島を人類の輸入国と見立てて、北種説、南種説等々いろんな学説があるがそれはそれなりに意義があるに違いない。 |
述べられている通り、『日本書紀』には神武天皇の言葉として、「天祖の降跡以来179万2470年余」という年数が記載されている。
そして、その年数を「原人が発生して以来の年数とすると、これは案外、当たっているかも分からない」とおっしゃる春木秀映様。
そして、
<P.293> (※上記からの続き)
ところが日本書紀はこの原人に対して「天祖の降跡」という見方をしているのである。ということは、原人には天祖という原体があったことになり、この点が実に重大な意味を持つのである。 |
先ほどは、「原人が発生して以来の年数とすると」と、あくまで仮定の話をしていたはずなのに、今度は、「日本書紀はこの原人に対して『天祖の降跡』という見方をしているのである」と断定してしまった。
どうなってるんだろう、春木秀映様の思考回路は?
さらに、そこから続く、「原人には天祖という原体があったことになり」というのもワケが分からない。
この文章の言いたいことは、「原人が天祖という一人の人物から始まった」ということだと思われるが(言わば、天祖は原人のアダムのようなもの)、仮に、天祖が原人であったとしても、それは、あくまで神武天皇の祖先が原人の一人であったと言うだけであり、「原人には天祖という原体があった」ことにはつながらない。
訂正 2013.2.22
上記で管理人がワケが分からないとしている「原人には天祖という原体があったことになり」は、先の「天祖の降跡以来179万2470年余」を「原人が発生して以来の年数とすると」を前提にすると理解できることになる。管理人の誤読であり、訂正したい。
ただし、この後で述べているように、天祖が降臨する前に既に、地上には国津神等がいたのだから、これらを猿人としない限り「原人には天祖という原体があった」などという主張は成立しない。 |
また、神話上、天孫降臨したのはアマテラスの孫のニニギであるから、「天祖の降跡」と春木秀映様の言う「天祖」とはニニギのことになり、つまりは、「原人には天祖という原体があったことになり」は、「原人の原体=ニニギ」を意味することになる。
しかし、ニニギが天孫降臨する際、既に地上には大国主神等の国津神がいて地上を治めており、ニニギ以前に地上に人がいたのであるから、「原人の原体=ニニギ」という主張は簡単に崩れ去る。
もしかすると、春木秀映様の脳内では、「大国主神等の国津神=猿人」という設定なのだろうか??
どちらにしても、論理の飛躍、そして、説明不足で何を言っているのか良く分からない。 (2013.2.22削除)
さらに、まだまだ、ワケの分からない春木秀映様の論説は続く。
<P.293> (※上記からの続き)
なんとなれば、日本の古道観というものは、あいまい模糊としているように思われているが、実際は、天界のどこかに「高天原」と称するところの神霊界があり、そこから降臨せられるという強固な思想があるのである。したがって、今日それが原人と称するものであろうとなかろうと、その人体は天から降りてきたということになり、それが神武天皇の現つし身であるという見方である。 |
「日本の古道観」や「天から降りてきた」などの話は良いとして、最後がよく分からない。
何故、天から降りてきた人体が、「神武天皇の現(う)つし身」になるのであろうか?? 神話上、天から降りて来たのは天孫のニニギであって、神武天皇はその子孫に過ぎない。
続いて、
<P.293> (※上記からの続き)
この論理は筋道が通っており、さすが日本書紀的描写であると思うが、遺憾ながら内容不十分の感もあるので、わが日の宮観から、次の如く補足説明をしてみる。 |
良く分からないことを言っておいて、「この論理は筋道が通っており」と自信満々の春木秀映様。
そして、次に、日の宮観から日本書紀的描写の不足分を補足説明してくれるようである。
<P.293-294> (※上記からの続き)
まず幣立神話から類推できることとして、人類の起源というものはただ単に地球上ばかりではないということである。それは、悠久億兆年の以前から大宇宙には地球的遊星が雲の如く出現し、入れ替わり立ち替わりしているということである。したがってその遊星はそれ自身が生きものであり、進化のプロセスがあるから、当然その老化もあるはずで、その過程の中で人類は生きてきた時間があったと思われる。この故に地球人類の先輩たちが、既に老化した遊星から地球に移住したのが、日本書紀観の天祖の降跡であり、その年次表現であると見るわけである。 |
「幣立神話から類推できることとして」と前置きをして、惑星の進化や老化、そして、人類が他の惑星から移住してきたと宇宙規模の話をし始めた。
本書には、惑星の進化・老化に関連するような「幣立神話」など全く述べられていないのに、いきなり、こんなこと言い出されてもねぇ。。。
また、人類が「老化した遊星から地球に移住した」という話も、せいぜい、神代文字の語義の説明として、以下の文章があるのみである。
<P.39>
■ 太陽が大地に下りる。朝日。始め。太陽のように輝く宇宙船が地上に降り立つ。
※管理人注 : ■・・・神代文字 |
てか、これらの話って、「幣立神話から類推できること」じゃなくて、「現在の宇宙の知識から類推できること」ですよね。
きっと、該当の幣立神話を、目下、鋭意創作中なのだろう。(てか、既に永眠しているのであるが)
さらに、最後の「年次表現」というのもワケが分からない。weblio辞書によると、「年次」の意味は以下の通りである。
weblio辞書「年次」
ねんじ【年次】
@一年ごとに順を追うこと。 「 −計画」
A年の順序。長幼の順序。 「卒業−」
B「年度」に同じ。 「 −予算」 |
なんだよ、「年次表現」って。
そして、上記文章は次のように続く。
<P.294> (※上記からの続き)
ところが、それとは別に「幣立神話」というものが伝承されていて、この神話を受け入れる限り、かかる長年月にわたる原人は、例えわれわれと肉体的につながりがあろうとも、現代の地球人の先祖ではない、と私は考えている。この点が実に重大事であるので、これを左に記述する。 |
さっき、「幣立神話から類推できることとして」、話をしていたクセに、今度は、「それとは別に『幣立神話』というものが伝承されていて」と言い出す春木秀映様
何なんだよ、もぉおおおおおお!!!
さらに、春木秀映様は、「原人は」「現代の地球人の先祖ではない」と考えているらしい。
さっきは、原人が宇宙から降臨してきて、それが「神武天皇の現(う)つし身」とか言ってませんでしたっけ??
以上、春木秀映様の御高説は、まだまだ続くのであるが、このくらい見れば、十二分にその支離滅裂さを御理解いただけると思うので、これで終了とする。
そして、上記に引用した文章を見れば、幣立神社を幣立神宮だと言い出し、世界の中心だとか、1万5千年前に宇宙神が降りて来たなどと主張できるのも、「さもありなん」と言ったところであろう。
自分の脳内では完璧に論証できているつもりになっているのだろうが、実際は、上述の通り、支離滅裂。
このような思考回路の下に成立したのが本書であり、幣立神宮の数々のトンデモ伝説・伝承なのである。
2013.02.19 新規
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