『青年地球誕生』にツッコミ!(その7) ・・・ 幣立神宮さま
 ※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)からの続き



 幣立神宮のデタラメ伝承については、これまで見て来た通りであるが、当記事では、他の
まともな書籍等に記載された幣立神宮の記述をもとに、幣立神宮の本来の姿を可能な限り明らかにして行きたい。

 まずは、『全国神社名鑑』に幣立神宮がどのように記載されているのか見てみよう。
『全国神社名鑑<下巻>』 (全国神社名鑑刊行会/1977年)
◇幣立神社(日の宮)

阿蘇郡蘇陽町大野698 高森線高森駅20軒
〒861-39 096783-159

祭神 
神漏岐命・神漏美命・大宇宙大和神・天御中主大神・天照大御神
例祭 9月15日
神紋 十六菊花
事業 地球文化協会・
天下一家の会
建物 本殿三手先入母屋造・地球平和道場
境内 8,669坪
末社 40社
社宝 神器(
火の玉・水の玉)・五色神面古代神面・景行天皇高屋址・神武東遷御野立跡
氏子 1,050戸
崇敬者 5,250人
神事と芸能 風鎮祭(旧4月4日)巻天神祭(旧11月8日)
由緒=大日本史に見える知保の高千穂嶺が当社の所在地である。筑紫の屋根の伝承をもつ国始の尊宮である。古来天神地祇を祭った神籬(ひもろぎ)は日本一の巨檜として厳存する。
神武天皇のご発輦の原点で、皇孫健磐龍命は勅命によって天神地祇を祭られた歴史がある。なお、太平洋戦争の戦災家屋として唯一の記念品といわれる直日道場がある。写真=社殿と天神木

宮司 春木茂 禰宜 春木睦子 権禰宜 春木信弥 氏子代表 甲斐久 片岡正行

※管理人注:文字に色を付けたのは管理人(以下同様)。
 『全国神社名鑑』は1977年(昭和52年)に発刊されたものだが、上記の通り、基本的に、幣立神宮の主張がそのまま記載されている。

 祭神は「大宇宙大和神」という意味不明な神も合わせて掲載されており、社宝として、「火の玉・水の玉」「五色神面」も見える(※何故か、「の玉」ではなく、「の玉」になっているが)。また、今までツッコまなかったが、「神武天皇のご発輦の原点」なども『青年地球誕生』に記載されているものである。

 まあ、『全国神社名鑑』は、学術的な正確性を目的とするものではないから、基本的に神社側の主張をそのまま掲載しているのだろう。

 ただ、「幣立神宮は今から1万5千年前にできた」とか「モーゼの神面」などと言った話が掲載されていないのは、さすがに掲載してもらえなかったからであろうか。おそらく、「古代神面」と記載されているのが、「モーゼの神面」だろう。

 なお、注目したいのは、社名が「幣立
神宮ではなく、「幣立神社となっている点である。

 本書から伺い知れる春木宮司の性格からすれば、「幣立神宮で申告しなかったとは思えない。

 よって、(その6)で記載した、次のような、
「幣立神宮には、古往今来、社格というものはないことが分かって」「伊勢神宮や宮中三殿と同様に、社格を超越した、『尊宮』であることが分明した」
などと言うワケの分からない理屈は、通用しなかったのではないかと思われる。(※ただし、『全国神社名鑑』の編集者が直接、幣立神宮とやりとりしたのか、それとも、他の書籍等を参照したのかは不明であるが)


 さらに、事業の項目で掲載されている「天下一家の会」とやらを調べて面白いことが分かった。

 まず、昭和40年代〜50年代にかけて、
天下一家の会事件なるものがあったようである。

 以下はWikipediaの説明である。
Wikipedia「天下一家の会事件」より
天下一家の会事件(てんかいっかのかいじけん)とは、内村健一による無限連鎖講(以下ネズミ講と表記)事件である。名義上は内村健一の主宰する第一相互経済研究所が主宰するものであったものの、後述するように内村の個人事業に等しいものであったことから、実際には内村の主宰したネズミ講と捉えられている。
 無限連鎖講、いわゆるネズミ講の事件であるが、当時、かなり世間を騒がし、結果、この事件がもとで無限連鎖講の防止に関する法律が制定されたようである。

 そして、Wikipediaを見ても幣立神宮に関する記述は一切無いのであるが、該当の法律が制定される際の参議院の特別委員会での答弁において、以下の通り、幣立神宮が登場している。
参議院会議録情報 「第085回国会 物価等対策特別委員会 第3号 昭和53年10月18日」より
○説明員(安藤幸男君) 宗教法人大観宮は、熊本県知事が昭和四十八年十一月に認承した宗教法人でございますが、その宗教法人規則によりますと、熊本県阿蘇郡阿蘇町小里六百十番地でございます。その後この規則が変更されたことはございませんので、現在もそこに事務所を持つというふうに考えております。この法人は熊本県知事の所管する法人でございますので、その詳細につきましては熊本県において所管しておるわけでございますが、この規則によりますと、幣立宮という、これも宗教法人でございますが、それと並んで設立されたという形の法人でございます。その幣立宮が日の宮ということで現在も神社本庁の所管に属しておりますが、これと並んで水の宮として設立されたわけでございます。その教義の中身につきましては……
 ここに出てくる「大観宮」は、内村健一が1977年に財団法人「天下一家の会」と共に設立した宗教法人である。

 そして、この答弁によると、この「大観宮」は、幣立宮と「並んで設立された形の法人」で、「幣立宮が日の宮」であるのに対して、「水の宮として設立された」らしい。

 つまり、幣立神宮も「天下一家の会事件」に深く関わっていたのである。

 なお、Wikipediaを見ると逮捕者は内村健一のみであるが、当時はネズミ講自体を罰する法律はなく、また、詐欺罪や出資法違反でも罪には問われていない。

 幣立神宮がどの程度、ネズミ講自体に関わっていたのかは不明であるが、それでも、『全国神社名鑑』の事業の項目に「天下一家の会」を掲載し、さらに、自社の「日の宮」に対して、内村健一が設立した「大観宮」「水の宮」としていたぐらいであるから、被害者拡大に大きく寄与したことは間違いないだろう。


 さて、話が面白い方向へとかなり逸れたが、幣立神宮の本来の姿を明らかにすることに話を戻そう。

 上述の通り、『全国神社名鑑』には残念ながら、幣立神宮がトンデモ主張を始めた後の情報しか掲載されていないので、続いて、『角川日本地名大辞典』の記載を見てみよう。
『角川日本地名大辞典 43熊本県』 (「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三/角川書店/1987年)
へいたてじんじゃ 幣立神社 <蘇陽町>

阿蘇郡蘇陽町大野にある神社。旧郷社。
祭神は神漏岐命・神漏美命・天御中主大神・天照大御神。幣立大明神と称し(肥後国誌補遺)、日の宮と通称される。社伝では健磐竜命がこの地に休憩した時、幣帛を立て天神地祇を祀ったという延喜年間に阿蘇大宮司友成が社殿を造営して伊勢両宮を祀り幣立社と号したと伝える。天養元年に阿蘇大宮司友孝が阿蘇両所を併せ祀り、大野郷の産神としたという(肥後国神祠正鑑/肥後国誌補遺)。現社殿は享保14年の造営と伝える(阿蘇郡誌)。明治6年郷社に列格。祭礼は8月15日で、元禄年間より笹踊りを行っていたが、現在は旧暦4月4日に風鎮祭、同11年8日に巻天神祭が行われる。
 こちらも、当然ながら、社名は「幣立神宮ではなく「幣立神社

 そして、祭神については、「大宇宙大和神」というワケの分からない神は外されてしまっている(笑)

 さらに、こちらには、『肥後国神祠正鑑』、『肥後国誌補遺』と言った文献等をもとに、幣立神宮に関する本来の情報がかなり記載されているので順に見て行こう。

○社伝では健磐竜命がこの地に休憩した時、幣帛を立て天神地祇を祀ったという

 健磐竜(たけいわたつの)命は、神武天皇の子の孫。神武天皇の命を受け、健磐竜(たけいわたつの)命は阿蘇に来て開拓を行ったとされる。(※参考:Wikipedia「健磐龍命」、Wikipedia「阿蘇神社」)

 なお、阿蘇一帯は、この神を祀る神社が多く、肥後国一宮の阿蘇神社の主祭神も健磐龍(たけいわたつの)命である。

 そして、本来の社伝では、この、健磐竜(たけいわたつの)命の
帛をて天神地祇を祀った」という行為を、当社の名の由来にしていたことが分かる。


○延喜年間に阿蘇大宮司友成が社殿を造営して伊勢両宮を祀り幣立社と号したと伝える

 延喜年間は、平安時代で901年から923年までで、「阿蘇大宮司友成」は阿蘇神社の大宮司家の人物。

 そして、この人物が、「社殿を造営して伊勢両宮を祀り幣立社と号した」とあるから、幣立神宮を創建したのは阿蘇神社の大宮司である。

 よって、(その6)で見たように、『青年地球誕生』には「当時日の宮は幣立神社として阿蘇神社の末社とみられていた」(P.159)という記載があるが、やはり、幣立神宮は「阿蘇神社の末社」が正しい。

 また、(その2)で見たように、『青年地球誕生』では幣立神宮の創建について次のように記載している。
<P.233>
 要するに、日の宮の日の宮たる所以は、北天の天極、詮ずるところ広義の高天原より降臨せられた、広義の天孫のご主体を祀ったところにあり、このご主体を神漏岐命として日の宮を創建せられたのが6千年前の皇祖神に当たらせ給う、伊勢の文献に見ゆる、「御祖天御中主尊」におわすのである。
 このように、天御中主尊が6千年前に創建したと主張しているが、これは、後からの創作で、本来は、延喜年間(約1100年前)と伝えられていたことが分かる。

 さらに、『角川日本地名大辞典』には「伊勢両宮を祀り幣立社と号した」とあるから、本来の祭神は、天照大神と豊受大神であったと思われる。(※「伊勢両宮」とは内宮と外宮のこと)





 以上、当然ながら、『青年地球誕生』で記載されているような、ありえない話はありえないのであり、過去の文献をひもとけば、そのトンデモ話に反する現実的な話が出て来ることになるのである。

 また、幣立神宮が「天下一家の会事件」という世間を騒がしたネズミ講事件に関与していたことが分かったのは管理人にも予想外であった。

 それまで、幣立神宮が昭和初期にトンデモ話を主張し出したわりには、現在、今イチ知名度が低いので不思議に思っていたのであるが、結局、当該事件で信用を失墜させ、せっかく集めた信者も激減したというところではないかと思われる。

 そして、過去にこんな事件があったことを知らない人たちが今また、やれ、パワースポットだ、やれ、高天原発祥の地だ、などと言って、再び集まり出しているワケである。

 また、当時、宮司であった春木秀映様は、直接、神示を受けることもできたようだが、このような大事件に発展することを神様は教えてはくれなかったようだ。


 なお、内村健一が設立した「大観宮」を、幣立神宮の「日の宮」に対して「水の宮」としていたようだが、果たして、この「水の宮」に対して、当時、どのようなトンデモ話を展開していたのか知りたいところだが、当然ながら、本書、及び、本書の第二集には一切触れられていないので残念なところである。

 幣立神宮にとって「天下一家の会事件」は、闇に葬り去りたい過去なのであろう。


 さて、
本書を読んでいると支離滅裂な文章が多く、読んでいて頭が痛くなってくるのだが、(その8)ではそのような文章にツッコミを入れたい。




2013.02.12 新規

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幣立神宮様の黒歴史・・・(笑)