もっともらしいだけの根拠(その13)

 ※当記事は、記事(その9)(その10)(その11)(その12)からの続き



13.誤った二分法(5) 「誤った二分法」に騙されない為に

 当記事では、「誤った二分法」に騙されない為に気をつける点をまとめておきたい。



@.2つの説を平等に眺めるようにする

 9.11同時多発テロの自作自演説の例で見たように、人は、ある説の問題点ばかり羅列されると、その個々の問題点は根拠脆弱だったり、説得力が弱かったりしても、それが複数、積み重なることによって、その説に対する否定的な印象が形成されてしまうものである。

 そして、そこに、その問題点を解消する新たな説が提示されると、安易に、その説に飛びついてしまうことになる。

 よって、そのような文章からは
一旦距離をおいて、提示されている双方の説を平等に眺めるようにすることが大切である。

 「誤った二分法」が使用されている文章というものは、平等に疑いの目が向けられておらず、「否定したい説」にのみに疑いの目が向けられ批判的に論じられていることが多い。

 従って、
「否定したい説」に向けられているのと同程度の疑いの目を「誘導したい説」に向けて見れば、少なくとも、安易に同意できない主張であることが分かるはずである。


A.与えられた情報のみで判断せず、別の情報にも当たる

 基本的には@で述べた通りなのであるが、疑いの目を向けて、自分が「誘導したい説」に対して持った疑問点は、それが適切なものか、それとも的外れなものかは、分からないことが多い。

 特に、自分が良く知らない専門分野のことになると尚更である。

 よって、
与えられた情報のみで判断せず、別の情報にも当たることが大切である。

 A説とB説で対立しているのなら、A説を支持する文章だけでなく、B説を支持する文章も読んでみるべきである。

 そうすれば、両説を平等に眺めることができ、かつ、一方の文章だけでは知りえなかった、双方の問題点や、また、一方で問題とされていることが的外れなものであることが分かったりするものである。


 ただし、(その12)で見た嫁姑問題のケースのように、姑と対立している嫁が自分の友人で、姑側の話を聞くことが難しいケースもある。

 そのようなケースでは、嫁である友人から
与えられた情報には、隠ぺい・歪曲・捏造があることを想定した上で詳細を尋ねてみて、与えられていない情報があるか(隠ぺい)、または、歪曲や捏造があるかを確かめてみるといいだろう。

 具体的には、(その12)の嫁姑問題の例を使用すれば、次のようなことを尋ねることになる。
<情報の隠ぺいの確認>
○あなたのしていることで、姑さんが嫌がってることとか、注意されてもやめないことってない?
○あまりに腹立つんで、「姑さんにこんなことしてやった!」とかない?

<情報の歪曲・捏造の確認>
「料理を作っても、『こんなのはウチの味じゃない』と言われて、食べてもらえない」そうだけど、じゃあ、姑さんの食事はどうしてるの?姑さんの食事は姑さん自身が作ってるの? (※詳細を尋ねると、ボロが出て、歪曲や捏造であることが分かることが少なくない)
 もちろん、その回答として得られる情報にも隠ぺい・歪曲・捏造が含まれる可能性があるのだが、詳細を尋ねることによって、答えられなかったり、辻褄が合わなくなって来たりすることがあるので、少なくとも何も聞かないよりは、正確な情報を得られることになる。


B.別の選択肢がないかを探す

 (その9)で見たカルトの例では、カルトから与えられる選択肢は次の2択であったが、

   @.子どもをサタンに引き渡すか(子どもを叩かない)
   A.子どもを堕落と死から救うか(子どもを叩く)

次の2択が隠されていた。

   B.子どもをサタンに引き渡さない(子どもを叩かない)
   C.子どもをサタンに引き渡す(子どもを叩く)

 このように、「誤った二分法」が使用された場合、実際には、隠された選択肢の方が正しかったり、否定されている説の方が正しかったりする。

 また、嫁姑問題のようなケースでは、「嫁が悪い」か「姑が悪い」かの2択で
「どちらか一方が完全に悪い」という結論を出すよう誘導されるが、実際には、双方に問題点があって、そのような結論が出せることは少なく、「どっちもどっち」とか、「どちらかと言えば、より○○の方が悪い」程度の結論となることが多い。

 このように、
与えられた選択肢そのものを疑ってみて、別の選択肢がないか探すことも重要である。


C.白黒で物事を判断しない

 人は物事を白黒はっきりと結論を出すことを好むものである。曖昧な結論、例えば、「現時点の情報だけで判断するなら、70%くらいA説が正しいと言えるだろう」などという結論は、結論先送り・保留状態で消化不良のような居心地の悪さを感じてしまうのである。

 むしろ、「A説が正しい!」とはっきり言ってもらった方が単純明快ではるかに楽。しかも、すっきりして前に進んで行けるような気になる。

 しかし、世の中には、物理の法則のように、はっきりと「正しい!」と証明できるものもあれば、それほど明確に証明できないものも多い。

 そのように、白黒はっきりしない事柄について、「A説が正しい!」と100%決めつけてしまうような態度は問題である。

 そもそも100%決めつけることなど出来ないものなのに、そうしてしまうことによって、
人はその決めつけや判断に執着を持ってしまうことになるのである。

 そして、
執着を持ってしまうと、その回答に都合の良い情報のみを受け入れ、都合の悪い情報は無視したり、過小評価し出すようになり、さらには、自分の決めつけ・判断の誤りを認めることを拒絶し出すようになる

 分かり易い例をあげれば、インチキ霊能者が教祖の宗教にハマってしまった信者がそうである。

 その教祖のデタラメ霊視がいくら明確に論証されていようが、その情報を拒絶し、時には、その論証をしている相手を攻撃し出したりする。

 それもこれも、そもそもが、きちんと立証されておらず、真偽が不確かなはずの教祖の霊能力等を、「ホンモノだ!」と100%決めつけて確信を持ってしまったが為による。

 よって、白黒はっきりしない事柄については、「80%くらい正しいと思う」というように、100%で決めつけてしまわず、どこかに疑いを残しておくべきである。そうすれば、自分の判断の誤りを認める為の心の余裕が出来るのである。

<参考> 100%決めつけて、確信に至った人の心理・行動については、以下の記事にて詳述した。

 ○記事「人はどのようにして盲信・狂信に至るか(その1)」 〜 (その5)





 「誤った二分法」が誰でも使用する可能性のある手法であることはこれまで述べて来た通りであるが、最後に(その14)では、どのような人が「誤った二分法」を使用して他人を特定の説へと誘導することになるのかを見ておきたい。




2013.7.3新規

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