論点(その7)
 ※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)からの続き


 
当記事では、「論点の重み」について解説して行きたい。



5.論点の重み

 これまで「論点」について解説して来たが、単に「論点」と言っても、結論に与える影響の度合によって、重要な「論点」とそうでない「論点」があるものである。

 当節では、それを
「論点の重み」と呼びたいと思う(注)。ある「論点」で争った場合、結果次第で結論がひっくり返ってしまうような「論点」は重く、一方、その「論点」で争ってどのような結果が出ようと、結論に影響を与えない「論点」は軽いものとなる。
(注)「論点の重み」
 「論点の重み」という言葉で検索してみたが、そのような言葉が使用されている例を見つけられず、どうも、「論点の重み」という言葉は無さそうである。

 よって、上記では、『論点の重み』と呼びたい」という表現にした。


 当然、このような言葉があって然るべきだと思うのだが、もしかすると、別の表現が使われているのかも知れない。

 以降では、(その1)で用いた次の主張を使用し、具体的に「論点の重み」を見て行きたい。
<主張> Xは2で割り切れる。よって、Xは数である。


※「偶数」の漢字はあえて、誤ったものにしてある


(1).結論に影響を与えない論点 (影響極小)
<論点> 「ぐうすう」の漢字は「偶数」であるか、「遇数」であるか。
 この「論点」で争えば、当然、「『遇数』ではなく、『偶数』が正しい」という結論になるはずである。しかし、この「論点」は、主張されている趣旨には何の影響も与えない。
 漢字が間違っているというだけの話で、漢字を修正するだけで良く、結論を変更したり、訂正したりする必要はないからである。

 この例のような「論点」は軽いと言える。


 ただ、世の中では、このような軽い「論点」でも、得意がって、主張を全否定できたかの如く振る舞う人もよく見かけるものである。例えば、以下のようにである。
「ちょwwww、『遇数』じゃなくて、『偶数』だろwwwwww。
『遇数』なんて言ってるヤツが、『Xが偶数である』なんて主張してんの?
そんなことをしてる暇があったら、小学生から漢字の勉強やり直せよwwwwww」
 このような指摘をされると、漢字を間違っていたという負い目から議論が劣勢になりがちであるが、結論に影響を与えない「論点」なので、淡々と漢字を訂正すれば良いだけの話である。


(2).結論に影響を与えない論点 (影響小)
<論点> Xが整数であることを述べる必要があるか否か。
 この「論点」は(その1)で見たものであるが、偶数の定義は「2で割り切れる整数」なので、「Xが2で割り切れることしか述べず、整数であることを述べていない上述の主張は、要件の記述が不足している」というものである。

 この「論点」の場合、「Xは偶数である」という結論には影響を与えないが、
「Xが整数であることを述べる必要がある」と議論が決着した場合、主張内容を一部追加する必要がある。

 よって、この「論点」は軽いが、(1)の漢字の例よりは重いものであると言える。


(3).結論に影響を与える論点 (影響大)
<論点> 2で割り切れるものが偶数であるか否か。
 こちらも(その1)で見たものであるが、この「論点」だと、議論がどう決着するかで「Xは偶数である」という結論に影響を与えることになる。仮に、「2で割り切れるからと言って、偶数であるとは言えない」ということになったら、「Xは偶数である」という結論を取り下げる必要がある。

 よって、この「論点」の重さは、重いと言える。

 ただし、
「2で割り切れるからと言って偶数であるとは言えない」と決着したとしても、それが「Xは偶数ではない」という結論につながるわけではない。単に、「上述の主張が、Xが偶数であることの証明になっていない」というだけで、「Xは偶数である」という可能性は残っているからである。

 その意味では、次の(4)のケースよりは軽いと言える。


(4).結論に影響を与える論点 (影響甚大)
<論点> Xが2で割り切れるか、否か
 こちらの「論点」で議論して、「Xは2で割り切れない」という決着を見た場合、自動的に、「Xは偶数である」という結論は全否定され、「Xは偶数ではない」という結論が出たことになる。

 (3)のケースでは「Xは偶数である」という可能性は残っていたが、こちらのケースではその可能性さえない。よって、この「論点」の重さは、かなり重いと言える。



 以上、「論点の重み」について見て来たが、参考までに、もう少し具体的な事例を当HPに関連して見てみよう。

 管理人が当HPでツッコミを入れるにあたり、例えば、「霊能力を売りにしている人物」で言えば、特に意識しているのは次の「論点」である。

  @霊能力が本物か、否か
  A人格が高いか、低いか
  B知性が高いか、低いか


 そして、この三つの「論点」は、「論点の重み」で言えば、以下の通りであると考えている。

   (重い)  @霊能力 > A人格 > B知性  (軽い)

 何故、このような順になるかと言えば、「霊能力」を否定すれば、
「デタラメな霊能力で外しまくっているクセに、本物だと言い続けていられる人格」と言うことで人格の低さが、そして、「自分の霊能力が本物か否かすら分からない知性」と言うことで知性の低さも示せることになる。

 つまり、「霊能力」さえ否定してしまえば、芋づる式に「人格」「知性」も否定できることになるからである(※自分の霊能力が偽物だと分かった上で、霊能力者を語っている場合もあるが、そのケースでは、さらに人格の低さが際立つことになる)。

 よって、「@霊能力が本物か、否か」の「論点」が一番重いものとなる。

 また、
「信者たちが『霊能力を売りにしている人物』のもとに集まる理由」という観点で考えれば、大多数の信者が、上記「論点の重み」と同じ順で期待して集まっていると言えるだろう。

 よって、三つの「論点」の内、信者の期待の大きいものから、言いかえれば、信者に偽物だと気付かせる可能性の高いものから、重い「論点」であると考えるのである。





 以上、「論点の重み」について、ごく簡単な説明した。

 簡単で当たり前の話ではあるが、これが分かっているか否かで大きな違いが出て来ることになる。

 まず、自分が何かの論証をする場合、「論点の重み」が分かっていれば、自分の論証の急所が分かることになる。どの「論点」で反論されれば、自分の結論をひっくり返されることになるかが分かるからだ。

 よって、その急所について裏取りや根拠の補完等を特に注意して行い、自分の論証をより堅いものにすることが出来る。

 次に、自分の論証の急所が分かるならば、他人の論証の急所も分かることになる。特に、当HPで紹介しているようなトンデモ本を読めば、穴だらけ、急所だらけで、騙されるどころか、苦笑しながら読むしかないようになる。


 もちろん、何時如何なる時も、完璧に論証の急所を見抜くことは不可能であり、自分では「隙のない論証だ」と思って他に自身満々提示しても、気付けなかった急所を突かれて痛い思いをすることもある。

 しかし、それでも、
「論点」や「論点の重み」が分かっていない人たちに比べれば雲泥の差であると言える。

 例えば、妄信・狂信の信者たちは、
重い「論点」で教祖様の霊能力が否定されているのに、軽い「論点」論点になりえない「論点」でそれを否定し、本物の霊能力者だと信じ続ける。

 「論点」や「論点の重み」が分かっていないからこそ、どうされれば否定されたことになるかが分からないし、どうしたら否定できたことになるかも分からないのである。

 そうやって、「論点」や「論点の重み」が分かっていない人たちは、反証を示されて終わっている主張や既にインチキであることを暴かれている霊能者等にしがみつき、愚かな人生を送ることになるのである。


 続いて、(その8)では、
「論点」や「論点の重み」が分かっていない人たちというものが、自分が否定したいものと遭遇した時、どのような批判・反論をするのかを見て行きたい。



2014.04.15新規

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