「三人、虎を成す。」「三人市虎をなす。」
ということわざがある。
三人の人が、つぎつぎに市場に虎がいると言えばいつのまにか、いないはずの虎も、いるかのように信じられてくる、意味である。
また、
「曾参、人を殺す。」
ともいう。
「曾参」は、孔子の弟子であった。親孝行で有名であった。
あるとき、曾参と同族のものが、人を殺した。
村人が、誤って、
「曾参が人を殺した。」
と、曾参の母に告げた。母親は、
「わたしの息子が人を殺すはずがない。」
と、とりあわなかった。
しばらくして、また別の人が、同じことを告げた。母親はやはりとりあわなかった。
しかし、別の人が、三度目に、同じ内容を告げたとき母親は、はたおりの杼を投げ出し、かきねをふみこえてかけつけたという。
ほとんど根拠のない見解でも、三度以上も、別の人によって、別の出版社から出されれば、その結論を信ずる人もでてくるであろう。
朝鮮語で、日本語が解読できるという本がある出版社で、営業的に大あたりをとると、他社でもそれに追随するということはおきうる。「こじつけ」は、簡単にできることであるから、類似の本はいくらでもつくれる。かくて、
「一犬虚を吠ゆれば万犬実を伝う。」
状況になるのである。
朝鮮語と日本語との関係は今後も、大いに探究される必要がある。
とはいえ、現在出版されている多くの本のような方法では、真実に到達するみこみはない。むしろ正しくない「思いこみ」や「先入観」を、人々にうえつける危険性が多分にあるといえよう。
※管理人注:文字に色を付けたのは管理人
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