インチキ教祖・教団の手口(その5)
※当記事は、(その1)(その2)(その3)(その4)からの続き

4.断定・単純明快・繰り返し

 当記事では、「断定」「単純明快」「繰り返し」の内、「繰り返し」について見て行きたい。



(3).繰り返し

 以下の記事でも「繰り返し」の効能については述べたが、当記事ではまた別の例を使用して見て行きたい。
○「私の邪念対処法(その6) 8.一般的な霊障対処法の効果

 まずは、『朝鮮語で「万葉集」は解読できない』という書籍のあとがきに「繰り返し」の効果が説明されているので、そちらを見てみよう。
『朝鮮語で「万葉集」は解読できない』 (安本美典/JICC出版局/1990) P.64
 「三人、虎を成す。」「三人市虎(しこ)をなす。」
ということわざがある。
 三人の人が、つぎつぎに市場に虎がいると言えばいつのまにか、いないはずの虎も、いるかのように信じられてくる、意味である。
 また、
 「曾参(そうしん)、人を殺す。」
ともいう。
 「曾参」は、孔子の弟子であった。親孝行で有名であった。
あるとき、曾参と同族のものが、人を殺した。
 村人が、誤って、
 「曾参が人を殺した。」
と、曾参の母に告げた。母親は、
 「わたしの息子が人を殺すはずがない。」
と、とりあわなかった。
 しばらくして、また別の人が、同じことを告げた。母親はやはりとりあわなかった。
 しかし、別の人が、三度目に、同じ内容を告げたとき母親は、はたおりの()を投げ出し、かきねをふみこえてかけつけたという。
 
ほとんど根拠のない見解でも、三度以上も、別の人によって、別の出版社から出されれば、その結論を信ずる人もでてくるであろう。
 朝鮮語で、日本語が解読できるという本がある出版社で、営業的に大あたりをとると、他社でもそれに追随するということはおきうる。「こじつけ」は、簡単にできることであるから、類似の本はいくらでもつくれる。かくて、
 「一犬(いっけん)(きょ)()ゆれば万犬(ばんけん)(じつ)を伝う。」
状況になるのである。
 朝鮮語と日本語との関係は今後も、大いに探究される必要がある。
 とはいえ、現在出版されている多くの本のような方法では、真実に到達するみこみはない。むしろ正しくない「思いこみ」や「先入観」を、人々にうえつける危険性が多分にあるといえよう。


※管理人注:文字に色を付けたのは管理人
 この説明にあるように、人は、ほとんど根拠のない見解でも次のような条件で信じてしまう傾向があるものなのである。
三度以上、別の人によって同じことを告げられる
 「曾参が人を殺した」と告げられても二人目までは取り合わなかった母親。しかし、三度目に別の人から同じことを告げられると信じてしまう。この母親の気持ちの推移は十分理解できるであろう。

 実際のところ、
「別の三人から同じことを告げられた」と言うだけなのだが、証拠や根拠なしに信じてしまうところが、この「繰り返し」の怖いところなのである。


 また、我々は日本語を話すことが出来るが、これは基本的に多くの人から「繰り返し」聞くことによって身に付けたはずである。

 そして、例えば、次のような文章に接したらどう感じるだろうか。
私ぬ今日、学校に行きました。
 意味は分かるものの、おそらく、違和感や居心地の悪さを感じたことだろう。

 「私ぬ」ではなく「私は」が正しいのだが、では、何故、
「ぬ」はダメで「は」でなくてはならないのだろうか。

 仮に、
「主語を表す助詞は『は』と『が』で・・・」などと答えたとしても、「何故、主語を表す助詞が『ぬ』ではダメなのか」には答えられない。

 結局、
「そういうものだから」としか答えることしか出来ないのである。

 このように、「繰り返し」で覚えた言語についても、
理屈抜きでそういうものとしてインプットされている。

 そして、
「繰り返し」で覚えたことに反する事象・事実に出くわすと、違和感や居心地の悪さを感じてしまうことになるのだる。(※わざとだよ)


 以上が、「繰り返し」の効能である。これを踏まえた上で、この「繰り返し」が宗教関連でどのように効果を発揮するのかを次に見てみよう。

 例えば、インチキ霊能者をホンモノだと信じさせる為には、
「この教祖こそ、ホンモノの霊能者だ」
という直接的な表現の他、そのインチキ霊能者に対して信者がする、次のような質問も「繰り返し」の内に含まれることになる。
「○○という霊能者はホンモノでしょうか?」

「私、最近、不幸が続いているんですが、何かヘンなのが取り憑いていないか視ていただけますか?」

「今度、地震が起きるとしたら、どの地域がヤバいでしょうか?」

 このような質問は、そのインチキ霊能者がホンモノであることを前提とした質問だからである。

 そして、そのインチキ霊能者に興味を持ってセミナーに参加したり、ブログを頻繁に見たりしていると、このような発言に何度も接し、「繰り返し」効果により何の根拠もないのにホンモノの霊能者だと思い込んでしまうことになる。

 ちなみに、このような「繰り返し」
の効果は信者だけにではなく、インチキ霊能者自身にも影響を及ぼす。

 仮に、自分に霊能力が無いことが分かった上で霊能者を自称している詐欺師であっても、このような「繰り返し」に接することにより、自分に霊能力があるかのような錯覚が生じて来ることになるのである。


 また、霊能力に限らず、
「○○が正しい」「○○が真実」等という主張もその教祖が口にするだけでなく、それを聞いた信者たちによって別々の機会に個別に復唱されることによって「繰り返し」効果が発揮されることになる。「三人以上の別の人が同じことを告げる」に接することになるからである。

 具体的には、例えば、教祖が
「もうすぐ、この世の終わりが訪れる」と主張していたとしよう。
 その発言をもとに信者たちが次のような発言をするようになる。
「この世の終わりに救われるのは信者だけなのだから、私の家族も早く入信させなければ」

「もうすぐ、この世が終わると言うのに相変わらず欲望のままに生きてるとは、世の人々は愚か者ばかりだ」


「この世の終わりは目前に迫っているのに脱退するなんて。今までの努力が水の泡だ」
 このような「もうすぐ、この世の終わりが訪れる」が真であることを前提にした発言を「繰り返し」耳にすることにより、理屈抜きで正しいものとしてインプットされてしまうことになるのである。


 なお、上述の霊能力や主張の例では、「繰り返し」だけでなく、「場の雰囲気」というものも影響している。

 例えば、通常、教団内では次のような「場の雰囲気」が形成されることになる。
○教祖様は本物の霊能力者だという雰囲気
○教祖様の言うことは絶対で、真実・真理だという雰囲気
 このような雰囲気の下では、教祖の霊能力や発言に疑いの声を発することが心理的に難しくなる上、その雰囲気に流されて、それらの結論を容易に受け入れてしまうことになるのである。(※心理学的には、このような「場の雰囲気」集団圧力、それに流されてしまうことを同調行動と言う。)




 以上、「繰り返し」の効果について説明して来た。

 この「繰り返し」の効果は思っている以上に強力である。

 例えば、突然、
「明日から主語を表す助詞の『は』は、『ぬ』に変更します」と決められたとしよう。対応としては「主語の後の『は』を『ぬ』に変えるだけ」である。

 文章にすれば簡単そうだが、実際にしてみれば、非常に難しいことが分かるだろう。「繰り返し」により、強力に無意識のレベルにまで刷り込みがなされてしまっているからである。


 また、この「繰り返し」も宗教関連だけで使われているわけなく、我々が日常的に接しているものである。

 例えば、TV通販で複数の芸能人が商品を様々な言葉で褒め称えたりしているが、これも「繰り返し」の効果を狙ったものである。(※上述の「場の雰囲気」の効果もある)

 また、TVのCMだと、その商品等を販売している企業が提示しているだけなので、該当のCMが何回流れても
「同じ人が何回も言ってるだけ」になり、「繰り返し」の効果としては弱い。

 ただし、該当の商品等について、次のような行為がなされると「繰り返し」の効果が発揮されることになる。
○TVの番組内で良いものとして紹介
○雑誌で良いものとして紹介
○芸能人、もしくは、個人がブログ等で良いものとして紹介


 続いて(その6)では、断定・単純明快・繰り返しをより効果的に実施する為になされる手段を見て行きたい。




2015.09.08新規

    精神世界
   (※「AIRランキンク」゙さんの精神世界ランキング。クリックすると、当HPに一票入れたことになります)







教祖様にツッコミを入れるページ