私の邪念対処法(その6)
※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)からの続き。


7.霊障とは

 霊やあの世についての基本的な説明が一通り終わったところで、霊障(霊的障害)について説明しておきたい。

 霊障は、それを引き起こす主体に着目すると以下の通り、霊によるものと人によるものとで大きく2つに分けられる。



(1).霊によるもの

 (その2)で説明した通り、
「肉体を持たない霊」は次のようなことが可能である。
○人間の考えていることを知ることが可能
○より広い範囲での認識が可能
○人間を操ることが可能
○ある程度、因果を操ることが可能

○ある程度、物理的な干渉が可能
 これらの有利な条件を使って悪意をもって、もしくは、無自覚に対象に災いを引き起こす場合を霊障と言う(※霊とは言え、やろうと思っても全て思い通りに行くわけではない。それを邪魔しようとする他の霊の存在がある場合等、遂行できない場合もある)。

 無自覚に引き起こす場合とは、例えば、不成仏霊が救いを求めて人に取り憑き、それがきかっけで似たような不成仏霊が集まって来て、結果として、取り憑かれた人に霊障を起こすケースである。

 霊障の具体例としては、次のようなものがある。
A.本来手にするはずだった幸福を手に入れさせない。
B.悪い因果を引き寄せて不幸にする。
C.肉体的、もしくは、精神的に病気にする。


※当然ながら、このような事象が生じたからと言って、全て霊によるものとは限らない。
 なお、上記のような事象を、目覚めを促す為に善意で行う場合もある。例えば、「今まで自分の力のみで生きて来た!」と思っている人に、支えてくれる周りの人のありがたさや自分の無力さを知らせる為に行うケースである。



(2).人によるもの

 人による霊障のケースでは、自身の嫉妬、妬み、憎しみ、怒りといったマイナスの想念(邪念)が引き起こす場合と他の霊の力を借りて引き起こす場合がある。


@.自らのマイナスの想念(=邪念)によるケース

 人の憎しみ等のマイナスの想念(邪念)が対象に霊障を引き起こす場合で、このケースでも(1)と同様、マイナスの想念の発信者に
自覚がない場合とある場合がある(※想念も意識(=霊)と同じ性質を持ったものである)。
<自覚なし>

 自覚がない場合とは、対象に悪影響を与えることを認識せずに、嫉妬や恨み、憎しみ、怒り等の邪念を発信してしまうケースである。特にその想念が強い場合は、
「生き霊」と化して対象に災いをもたらすこともある。


<自覚あり>

 自覚がある場合、その行為は呪いと呼ばれ、さらにそれは、
「不幸になれ〜、不幸になれ〜」等と念じるだけで儀式を伴わないものと、呪いの儀式を実施するものとの2ケースに分かれる。

 呪いを実行に移そうとする時点で、その人自身が呪いというマイナス想念に囚われているので、その想念が似た想念を持った霊を呼び寄せることになる。

 よって、呪いが成就して目的を達したとしても、自身も呪われているのと似た結果となってしまうことになる。いわゆる
「人を呪わば穴二つ」である。

 呪いの儀式として有名なのは丑の刻参りだが、儀式そのものの力よりも、
「そのような儀式をする」という一線を超えるほどの恨みの力がより強い効果を発揮することになる。


 また、このケースで起こりうる霊障としては、「(1).霊によるもの」と同様のものとなる。
A.本来手にするはずだった幸福を手に入れさせない。
B.悪い因果を引き寄せて不幸にする。
C.肉体的、もしくは、精神的に病気にする。
 単なるマイナスの想念の場合だと引き起こせるのはCくらいであるが、次のケースでは、A〜Cの全ての霊障を引き起こすことが可能となる。
○マイナスの想念が、「生き霊」と化すくらいに強い場合。
○自身の邪念が他の似たような想念を持った霊を引き寄せ、その霊が力を貸す場合。

A.他の霊の力を借りるケース

 積極的に他の霊を使用、もしくは力を借りて呪いを実行しようとするケースである。

 例えば、密教の調伏がそうである。決められた作法に従って儀式を行い不動明王等の神の力を借りて対象に災いをもたらすものである。

 なお、密教の調伏の場合、悪魔や自身の内なる敵に対して使用されたり、悪人に使用されたりするので、呪いだと言ってしまうと語弊があるかも知れないが、特に術者が私利私欲や私怨で行う場合は呪いと言って良いだろう。

 このように呪いに霊を使用するのは、「(1).霊によるもの」で見た通り、肉体を持たない霊の方が有利なことが多くて実行力があるからだが、既存の霊を使用するのではなく、積極的に霊を作り出して使用する場合もある。

 例えば、犬神の蠱術で、
「飢餓状態の犬の首を打ちおとし、さらにそれを辻道に埋め、人々が頭上を往来することで怨念の増した霊を呪物として使う方法」というものがあったと言う(※参考:Wikipedia「犬神」)。


 なお、実際のところ、上記@とAのケースを明確に区別することは難しい。

 「@.自らのマイナスの想念(=邪念)によるケース」であっても、自身のマイナス想念が他の霊を引き寄せ、そのマイナス想念の実現を霊が助ける場合もあるし、一方、「A.他の霊の力を借りるケース」で、密教の調伏を実行する際に術者自身のマイナスの想念が対象に発信されている場合もあるからである。




8.一般的な霊障対処法の効果

 上記のような霊障に対する対処法として、一般的には仏教のお経、神道のお祓い等があるが、これらの対処法についての考察結果を述べておきたい。

 結論から言えば、
仏教のお経、神道の祝詞等については、それ自体は霊障に対処する力を持っていない


 仏教のお経について考えて見よう。

 例えば、墓地は心霊スポットの一つであるが、何故、墓地に霊がいっぱいいるのだろうか?

 墓地は、お経をあげられる機会が多い場所である。
もし、お経自体が不成仏霊を成仏させる力を持っているのなら、墓地が心霊スポットになっているはずがないであろう。

 また、お経自体が成仏させる力を持っているのなら、それを数え切れないくらいの回数唱えるお坊さんは人格の高い人ばかりになっているはずである。しかし、ご存知の通り、そうではない。やはり、お経自体に成仏させる力などないのである。


 私は、お経等による霊障対処法は、
「結婚式に対する仏滅のようなもの」だと考えている。

 仏滅とは六曜と言われる6つの曜の一つであり、「仏も滅するような大凶日」という意味で婚礼などの祝儀を忌む習慣がある(※参考:Wikipedia「六曜)。

 バカバカしい限りの迷信だが、現代でも
「縁起が悪い」と言って仏滅の日は結婚式を避ける人が多いので、「仏滅には結婚式を挙げさせることを防ぐ効果がある」と言っていいだろう。

 ただし、仏滅を無視して結婚式を挙げる人もいるので、
完全に防ぎきることは出来ない

 そして、
仏滅自体が結婚式を挙げさせない力を有しているかと言えば、当然、そのようなことはない

 人が勝手に縁起が悪いと決めて、勝手に縛られているだけの話である

 これと同じなのが、
「霊に対するお経」である。

 お経をあげても、霊が成仏する場合もあれば、成仏しない場合もある。結婚式に対する仏滅と同じである。

 何故、お経に霊を成仏させる効果があるように見える場合があるかと言うと、霊自身が
「お経に成仏させる力がある」等と考えているから、その考えに縛られ、成仏する場合があるのである。

 それは
お経自体の効果ではなく、その霊が人だった時に、繰り返し刷り込まれた思い込みの効果である。

 繰り返し目にした、葬式でお経をあげる光景や、さ迷う霊にお経を唱える光景。そして、繰り返し耳にした
「ありがたいお経」等というフレーズ。

 それらは
「お経には成仏させる効果がある」という考えを前提としたものであり、上述のような光景やフレーズに繰り返し接することによって、無意識下にその考えが刷り込まれることになるのである。


 
繰り返し接することによって無意識下に刷り込まれた概念は、非常に強固に人を縛るものとなる

 例えば、次のような行為をした場合、ほとんどの人が強い罪悪感を覚えるだろう。
○ご飯を炊く
○出来立てのホカホカのご飯を地面にばらまく
○そのご飯を土足で何度も踏み付ける
 何故、罪悪感を感じてしまうのだろうか。別に盗んだ他人のご飯でもなければ、誰にも迷惑を掛けているわけでもない。むしろ、土足で踏み付けられたご飯であっても、鳥たちが喜んで食べるだろう。

 それは、
無意識下に刷り込まれた概念の効果である。

  「ご飯を残したらダメ」
  「もったいない」
  「お米にはお百姓さんの苦労が・・・」
  
「食べ物を粗末にしたらダメ」

 このような言葉を繰り返し聞いてご飯やお米の大切さが刷り込まれた結果、上記のような罪悪感を感じることになるのである。そして、そこには、お米に対する日本人の特別な思いも影響しているだろう。(※もちろん、上記のような行為が良いものだと言っているわけではない)

 また、思い込みとは違うが、
「止まったエスカレーターを階段として使用する」という行為も、「繰り返しによる刷り込み」の効果を知るには良い事例であろう。

 止まったエスカレーターをただの階段として使用する際、誰もがフワフワとして非常に昇り(降り)づらさを感じるはずである。それは普段、動いているエスカレーターを使用している為に、その際のエスカレーターの状態が身体に刷り込まれてしまっているからである。

 そして、頭では
「普通の階段だと思えばいい」と分かっていても、決して、止まったエスカレーターをそのようなものとして捉えて、普通に昇り降りすることなど出来ないのである。

 このように、無意識下に刷り込まれた概念は、非常に強固なものなので、意識のみとなった霊をも縛り付ける結果となるのである。


 なお、お経による成仏効果が霊側の思い込みのみによって、効果があるように見えるわけではない。

 霊を成仏させようとお経をあげた際、プラスに作用する要因、及び、マイナスに作用する要因は以下の通りである。
<プラスに作用する要因>

 ・
「お経に成仏させる効果がある」というお経を唱える側の思い込みの強さ
 ・同様の、霊側の思い込みの強さ
 ・お経を唱える側の背後にいて協力する霊の力
 ・お経を唱える側の人格の高さ(*1)
(*1)お経を唱える側の人格の高さ
 同じ「絶対に自殺してはいけない」という言葉であっても、「幸せに大した苦労もなく生きて来た人」が言う場合と、「さんざん辛酸を舐め、何度も自殺未遂を繰り返した上でそのような考えに至った人」が言う場合では、言葉の重みや説得力が違うであろう。

 同様に、お経を唱える側の人格が高い方が、霊を成仏させるのにプラスに作用することになる。


<マイナスに作用する要因>

 ・霊側の
「お経に成仏させる効果がある」という思い込みの弱さ(*2)
 ・霊側の執着の強さ
 ・霊側の
「自分は不成仏霊じゃない」という思い込み(*3)

(*2)霊側の「お経に成仏させる効果がある」という思い込みの弱さ
 例えば、その霊が生きていた頃、最低の坊主ばかり見てきて、仏教そのものを馬鹿にしているような場合。

 また、例えば、キリスト教圏の地域で人生を送り、仏教など全く知らないような場合。
(*3)霊側の「自分は不成仏霊じゃない」という思い込み
 例えば、自分のお墓を自分の居場所だと思っている霊の場合、「自分はいるべき場所にいる」と思っていて不成仏霊だという認識がない為、お経をあげられても「ああ、ありがたいお経をあげてもらって嬉しい」くらいにしか思わない。


※上記では主なものを挙げたが、他にも、例えば次のような要因が作用する場合もある

○お経をあげる側の
「自分は成仏させることができる」という思い込み
○お経をあげる側の経験の豊富さ
○お経をあげる側の地位の高さ(霊が相手の地位に弱い場合で、 阿闍梨という地位にびびってしまうような時)

 このような、プラス・マイナスの要因が影響した結果、プラスの要因が勝れば霊を成仏させることができ、そうでなければ逆の結果となるのである。

 なお、上記ではお経を例に説明して来たが、神道の祝詞によるお祓いや、キリスト教のエクソシストが行う、聖書の読み上げや聖水なども同様である。

 また、魔よけのお札などの場合では、作成者の
「魔を遠ざける効果がある」という思い込みの強さもプラス要因として働くことになる。




 続いて(その7)では、いよいよ邪念対処法について述べて行きたい。



2015.03.03新規

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