どうしても子どもを叩いてしまう
最初に、あるエホバの証人二世の証言と、日本弁護士連合会(日弁連)がヤマギシ会に送った「勧告書」をもとに、対談の前提となる児童虐待について報告しておく。
高校卒業と同時に組織から離れ、それ以降エホバの証人には嫌悪感すら覚えていた。それなのに、子どもが生まれると、自分が親からされていたように、どうしても子どもを叩いてしまう。そんな彼女の話は衝撃的だった。
「かわいい子どもに手は出したくないけど、つい手が出てしまうんです」
整った顔立ちが歪み、眉間に皺を寄せ、苦しそうに語る姿は痛々しかった。
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母がバプテスマ(洗礼の一形式)を受け「エホバの証人」(以下エホバ)になったのは、私が四歳のときでした。父はエホバに反対で、よく夫婦喧嘩をしていた。でも、私が小学校にあがるときには父も諦めたみたい。
エホバの活動は週に三回開かれる地域単位の集会に参加することと、家々を伝道訪問するのが基本です。集会に参加する前には、家で聖書研究の予習も行います。
エホバの教えは簡単で、今はエホバ神とサタンが戦っており、近いうちに人類は滅亡する。唯一生き残れるのは信者のみ。そのために聖書を研究しながら、ひとりでも多くの人たちをエホバの証人にしようと家々を回る。その一方、この世はエホバとサタンで二分されているという二元論ですから、サタン的なことはすべて禁じられていた。クリスマスはダメ、焼香はダメ、雛祭りはダメと、禁止事項はメチャメチャ多い。戒律に背いたり、組織の活動をさぼったりすると、母から体罰を受けた。うちの家だけではありません。
「子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない」
この聖書の言葉を実践し、子どもをムチで打つことをエホバは奨励していました。
子どもだから夜の集会は眠いですよね。うとうとすると、家に戻ってムチでやられる。弟と喧嘩すると「争いはエホバは好まない!」って、ムチ。ムチはうちでは素手かモノサシ、あとはベルトでした。それでお尻を思いっきりやられる。母は怒り始めたらものすごくて、本当に怖かったですよ。思いっきり殴られると、大声で泣く。ところが、泣くと反省していないって、またやられる。それで、泣くときはいつも唇を噛んで耐え忍んだものです。
〜(中略)〜
エホバでは、この世の交わりはなるべく避けたほうがいいとされていましたから、母は自分が家にいないときは外出を許しませんでした。友達も、母がOKを出した例外的な子ども以外は、家に上げることができなかった。テレビはNHKと漫画のサザエさんだけ。「母を訪ねて三千里」なんてのが日曜劇場であると、それは許された。
〜(中略)〜
ハルマゲドンの後遺症
私の子ども時代はともかく母の言いなりでした。母の怒りは恐怖そのものでしたから。伝導訪問にもよく一緒に行かされました。恐ろしかったのは、母の怒りだけでなく、ハルマゲドンの教えもあった。母に「いつ滅亡するの?」って聞くと、いつも「もう少し」とか、「もう近い」と答えていました。毎日のようにこの世の終わりの話を聞かされると、友達はすべて滅ぼされる。どうせ滅亡するんだからと、子どものときから人生は投げやりでした。中学時代に部活に参加しなかったのは、母がいい顔をしなかったこともあるけど、どうせ地球は・・・・・・という諦めがあったからだと思う。
(※管理人注)「子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない」は、旧約聖書の箴言23章13節の言葉。 |