インチキ教祖・教団の手口(その8)
※当記事は、(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)(その7)からの続き


5.断定・単純明快・繰り返しの関連手法

(4).外界との隔絶

 教団が特定の考えを信者に刷り込むには、当然、「外界との隔絶」が重要な課題となって来る。

 例えば、教団内では
「この世の終わりは近い」という結論で統一し、その結論を繰り返し唱えさせることは出来ても、教団の外ではそうは行かない。
「20世紀末のノストラダムス騒動の時もそうだし、2012年のアセンション騒動の時もそう。結局、この世の終わりなんて来ないよ」

「実際は、ノストラダムス騒動以前から、偽予言者たちが、やれ、異常気象だ、やれ、人々の心の荒廃だ、やれ、第三次世界大戦だって言ってて、デタラメな終末予言をし続けてるんだぜ」

「平安時代にも末法思想なんかが流行して、宗教はそれを信者集めに利用してたんだぜ」

「キリスト教なんて2000年前から、この世の終わりは近いって言い続けてるよ」
 このような、「この世の終わりは近い」という結論に反する意見に接することになり、「繰り返し」が効果を発揮しないことになってしまうからである。

 よって、特定の教義を刷り込む為には信者を「外界との隔絶」するのがベストなのだが、実際には、それを実施しない教団も多い。

 その理由の一つは、
信者を外界と隔絶することによって、問題のある団体だと認識されてしまう危険性があるからである。このご時世、様々なカルトが林立して問題を起こしている為、宗教団体、特に、新興のものには風当たりが強い。

 ただでさえ、そうであるのに、
「信者を外界と隔絶する」などと言う閉鎖的なことをすれば、その風当たりが一層強くなり、その分、信者集めが困難なものになってしまうからである。そんな閉鎖的な宗教に勧誘されたら、誰でも警戒するであろう。

 また、信者を外界から隔絶すると、
信者が収入源を失うことになり、結果、お布施を見込めなくなると言うのも大きい。

 そして、最後の理由は、あえて「外界との隔絶」をしなくても、
人の特性として「自分の見たいものを見る。信じたいものを信じる」というものがあるからである。

 例えば、あるアイドルの熱狂的なファンがいたとしよう。そのファンは、次のどちらのブログを頻繁に訪問するようになるだろうか。

  ○そのアイドルを応援するブログ
  ○そのアイドルをこき下ろすブログ

 そのファンがよほどひねくれた人でない限り、前者であろう。
 応援しているアイドルの良さを他の人と共有したい、共感したい。それが通常の人の感性なのである。

 
自分の意見を肯定する意見は快であり、否定する意見は不快

 それは、趣味に関することでも、政治的主張でも、もちろん、宗教に関しても同じである。

 そして、人は、自分の見たいものを見ようとして、自分の意見と同じ意見のブログを頻繁に訪問するようになり、また、信じたいものを信じようとして、例えば、自分が本物だと信じている教祖様が
「信者と不倫している」等と指摘されても信じようとはしない。

 つまり、
一度、ある宗教を「ホンモノだ!」と判断して信者になってしまえば、基本的にその宗教を肯定する意見のみを求めるようになってしまうのである。

 よって、
「外界との隔絶」をする必要性は、それほど高くはないと言える。

 ただし、その場合だと、当然、「外界との隔絶」は完璧でなく、例えば、
「ネットで検索してたら、たまたま目に入ってしまった」「信者を辞めさせようとする家族から否定的な情報が伝えられた」等という事態は避けられないことになる。

 結局は、
「『信者のマインドコントロール』をどの程度優先するか」という話になり、その判断は各教団毎に行うことになる。

 そして、外界との隔絶度、言い換えれば、教団による信者の拘束度を弱いものから順に記載すれば次の通りである。
<レベル0> ・・・ 拘束度(ゼロ)

・ブログや本を読みたければ読めばいいと言うスタンス。
・セミナー等も行うが上記と同じ。

<レベル1> ・・・ 拘束度(小〜中)

・教祖の本やブログを何回も読むよう指示する。
・勉強会やセミナー等の行事を頻繁に開催して参加させる。
・自宅でその教団特有の儀式(先祖供養・読経等)を行うよう指示する。
・衣食住、その他の行動について指示をする。(例:○○を食べるのは霊性の劣化につながる。○○色の衣服は金運をアップさせる。○○をすれば神様に応援される等)
(注)
 プライベートな事項について、「○○すべきだ」「○○すべきでない」等と指示することによって、信者の私生活が教団色に染まって行くことになり、かつ、その量が多ければ多いほど、当然、拘束度も強くなって行く。
<レベル2> ・・・ 拘束度(大)  例:エホバの証人

 ((レベル1)の内容に追加して)
・教団外との接触は極力避けるように指示する。

<レベル3> ・・・ 拘束度(極大)  例:オウム真理教

・出家などの名目で信者を教団施設で生活させる。

 当然、拘束度が高いほど、マインドコントロールの度合いも強くなることになる。

 なお、通常は、せいぜい行って<レベル2>までで、出家させるとしても一部の信者のみに留めることになる。

 先にも触れたが、<レベル3>まで行ってしまうと、信者の収入が無くなってお布施が獲得できくなる上に、教団で養わなくてはならなくなってしまうからである。

 仮に、出家時に全財産を差し出させたとしても、いずれ使い切ってしまう。よって、収入の確保の為には、絶えず、新たな信者とその財産を獲得し続ける必要性が生じることになり、結果、強引な信者獲得で様々な問題を起こすことになる。

 ちなみに、オウム真理教では、自ら商売をする一方で、時に、信者の親の財産にまで目をつけて獲得しようとしていた。


 このように、「外界との隔絶」の度合い、つまり、拘束度が高い程、繰り返し効果が発揮されることになるのだが、その効果以外にも大きな利点がある。

 先にも述べた通り、人の特性として「自分の見たいものを見る。信じたいものを信じる」ものであり、かつ、自分の意見を肯定する意見は快であり、否定する意見は不快である。

 
教団内には、当然、「教祖、教団がホンモノだ」と信じたい人ばかりが集まっていることになり、そのような人の特性を発揮し合う特殊な場が形成されることになる。

 その特殊な場とは、次のことを信者たちが行い合って、互いに
「ああ、やっぱり信者になって正解だ。自分の判断は正しいんだ」と自己満足し合う場である。
<快>教祖や教団を肯定する情報 (例えば、予言が当たった、病気が治った等の情報)
  → 互いに伝達し合って、喜び合う。

<不快>教祖や教団を否定する情報
  → 互いに否定し合って、安心し合う。
(例)週刊誌に、教祖から性的暴行を受けたという元信者の告白が掲載された場合
○そんなのウソに決まっている!
○元信者は悪魔に操られて、神の世の到来を邪魔しているんだ!
○週刊誌は、ウソばかり報じて信仰を惑わそうとする悪魔の先兵だ!
 このように、自分たちに「快」をもたらす情報は、その内容を検証することもなく、右から左へと伝え合って「快」を共有し合う。
 一方、自分たちに「不快」をもたらす情報は、ロクな根拠もなく否定し、排除し合うことになる。

 そして、、「外界との隔絶」の度合いが高い程、このような、教団側に都合の良い意見での統一が信者自らの手によってなされ易くなるのである。

 結局は、
自分の快・不快で物事を判断する、自己のエゴに基づいた行動に過ぎないのだが、そのようなことを繰り返す内に、世間の常識からかけ離れた教団内特有の常識が形成されて行く上に、信者たちのエゴや執着はますます増大して行くことになる。

 結果、その教団は、
「世間から見れば、異質で異常なものと映る信者たちの集団」と化して行くのである。


 ちなみに、このような特殊な場が形成されるのは宗教関連だけではない。

 例えば、
「ある企業が、世間から批判を浴びても全く姿勢・態度が改まらないどころか、社長以下、社員たちは『どこ吹く風』状態」と言うのはよくある話である。

 これは、社員たちにとって
「自分たちの企業への批判=不快」であり、その企業の内部では、互いにその「不快」を否定し合って排除し、自己満足し合っているからなのである。




 続いて(その9)では、「特定概念の刷り込み」について見て行きたい。



2015.09.29新規

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