反省できない人たち(その5)
※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)からの続き



 自分の犯した間違いや過ちを認めず、
反省できない人というものは、当然ながら、自分を律することができない

 
自分を律するどころか、「過ちを認めたくない」という欲に従い、過ちを見て見ぬふりをしたり、無理な正当化をして誤魔化したりするからである。

 当記事では、そのような
「反省できない=自分を律することが出来ない」人たちが提示する、自分の言動や思考を律したり、反省する為のツールというものを見て行きたい。



5.反省できない人たちが提示する自分を律する為のツール ・・・ 八正道 

 これまで、
「反省できない人」の例として取り上げて来た人たちの中には、自分を律する為のツールである八正道というものを提示・推奨している人たちがいる。

 自分が反省せずに誤魔化し、自分自身を律することが出来ていないにも関わらず、他人にそのようなツールを提示するなど滑稽な話ではある。
 しかし、それもやはり、
「反省できない=自分と向き合えない=自分のことが見えない」からこそ、そういうことが平気で出来るのである。

 この八正道というものは本来、釈迦が唱えた、悟りを開く為の8つの実践方法であり、具体的には以下の通りである。
八正道 内容
@正見 正しい見解 偏見や固定観念に執着せず、縁起の理を見極める。
A正思惟 正しい考え 真実をありのままに正しく考える。
B正語 正しい言葉 嘘、悪口、間違ったこと、飾った言葉などを言わない。
C正業 正しい行い 無益な殺生や盗み、よこしまなことを避け、正しい行為をする。
D正命 正しい生活 善行に努め、悪行をしない規則正しい生活を送る。
E正精進 正しい努力 悟りに向かって、怠ることなく偏りのない努力をする。
F正念 正しい記憶 自分自身の身体やまわりの物事について、正しい知識を留め忘れない。
G正定 正しい注意 一挙手一投足に常に心を集中し、平静に行動する。
(参考)
 上記内容は、『もう一度学びたい ブッダの教え』(田上太秀(監修)/西東社)(P.136-137)を参考にしたが、微妙に異なる説明がなされることもある。

 例えば、日蓮宗での説明「苦しみのメカニズムとその克服方法とは?」(HP「日蓮宗」→「教え」→「お釈迦さまの教え」→「第三章」)では、正念は「正しい意識・思いを持つこと」となっている。
 詳細な説明を確認すれば、結局は似た話になって行くのだろうが、参考まで。

 このように八正道は簡単に言えば、8つの観点から、自分の思考や行動を律して行こうとするものである。(※詳細は仏教関連の書籍を参照願いたい)

 この八正道をアレンジした上で信者たちに提示しているのが、大川隆法氏や中丸薫氏なのであるが(*)、以降では中丸薫氏が提示する八正道を例に見て行きたい。
(*)
○大川隆法氏の著書に『真説・八正道』 (大川隆法/幸福の科学出版/1989)がある。

○私が知る限りでは、一般人向けに八正道をアレンジして提示したのはGLAの高橋信次氏で、大川隆法氏も中丸薫氏も共にその影響を受けた結果である。

 中丸氏が、著書『五次元世界の奇蹟』の中で記述している八正道の説明を抜粋すると以下の通りである。
(※以下、長いので青字の箇所のみの飛ばし読みで可)

−−−−−−−−−−−−−− ここから −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『五次元世界の奇蹟』 (中丸薫/あ・うん/2011.1) <P.102>
 宇宙につながる方法としての「心の浄化」の道に、八正道があります。釈迦が教えた、もっとも大切な「浄化」への「修行の道」です。
 修業といっても、険しい山に登ったり、肉体的に痛い思いをしたりという難行苦行ではなく、
毎日を「いかに正しく生きるか」という修業が八正道です。

 〜(中略)〜

 八正道はだれでも、その日から取り組むことができる修業です。日常生活の中での修行ですから、出家する必要なく、毎日をこれまで通りにおくりながら、ただ、「心を入れ替え、正しいことを実践すること」で心の変革を目指すのです。


(注)文字に色を付けたのは管理人(以下同様)
 このように八正道「『心の浄化』の道」で、「毎日を『いかに正しく生きるか』という修業」だとする中丸氏。

 そして、八つの正道はというと、まずは正見から。(※一部のみ抜粋)。
『五次元世界の奇蹟』 (中丸薫/あ・うん/2011.1) <P.104-105>
 一、正見
目的=事物の正確な判断、見解を得ることです。
 1、それにはまず、
事象の一切の原因は、人の想念(心、意)にあって、あらわれの世界は、結果であることを理解する
 2、
既成概念を白紙に戻し、事物の真実を知るようにする
 3、正見の反対は邪見であり、邪見は邪心によって生ずるので、まず
心のわだかまりを除き、常に善意な第三者の立場でモノを見ることが正見の秘訣です。
 次に、正語。
『五次元世界の奇蹟』 (中丸薫/あ・うん/2011.1) <P.106-105>
 二、正語
・目的=思うことはことばになります。真の想いは愛のことばとなります。
正語とは、愛のことば。心に愛があれば、ことば以前にことばが伝わり、相手に正しく伝わるのです。

 〜(中略)〜

 少なくとも、自分がその誤ったコミュニケーションの原因となることを避けるために、次のことを心掛けます。
 
妄語=ウソや勘違いしたことば、両舌=二枚舌、悪口(あっく)=悪意のあることばや調和しないことば、綺語=いい加減なでまかせ、以上のような適切さを欠いた表現を用いないこと。そのつもりではない場合も、ことばはなかなか思うように人に伝わりません。
 続いて、正思。
『五次元世界の奇蹟』 (中丸薫/あ・うん/2011.1) <P.108-109>
 三、正思
・目的=思うことは物事のはじまり。
他を生かす愛の想いが正思の根底です。正思は、八正道の中でもとくに重要です。
 
独善を思惟によって明らかにし、それを否定し退けます。日常では、自分を守りたい、得をしたい、という欲から物事を考えがちです。「財産、色、食べ物、名誉、睡眠」の「五欲」を否定し、他者の利益を第一に考えることを目指します
 長いので残りは簡単な要約だけ。
『五次元世界の奇蹟』 (中丸薫/あ・うん/2011.1) <P.109-120>
八正道 内容
C正業 目的は魂の修業で、仕事は魂を磨くために用意された修業の場であり、どんな困難があっても、心からの感謝と奉仕の心、喜びをもって取り組む。
D正命 己の長所、短所をよく見極め、カルマと化している自己を守ろうとする想念を正す努力を行い、正しい生活を目指す。
E正精進 目的は人間関係の調和で、夫婦、親子、兄弟、友人等、社会の人間関係を貫いている愛の理念をつかむ。
常に前向きに進み、正しく精進する
F正念 念はエネルギーであり、ものを作り出し、あらゆる原因の根源となる。
正しく念じるために、自分の使命、役割を知り、自分の「魂の願い」と自分の努力と世の中とが調和するように念じなければならない。
個人の欲、小欲、我欲は捨てて念じる
G正定 l心の調和・安定・智慧の湧現が正定の役割。反省することによって心を安定させ、不動心を養い、その不動心を日常に活かす。
−−−−−−−−−−−−−− ここまで −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 偏見や思い込み、欲に縛られた物の見方、考え方を避け、それに従って行動して日々精進して行く。多少ツッコミ所がないわけではないが基本的には良いことを言っている。

 この内容をきちんと実践できれば、素晴らしい人格の人になるはずなのであるが、言っている本人の中丸氏がこのような八正道に従って自分自身を律していないことは明らかである。(その4)で見た以外の例をあげれば次の通りである。
○2012年12月末までは、しきりに「フォトンベルト、フォトンベルト」と言っていたのが、その日を境に急に「フォトンベルト」には触れなくなる。
 しかも、「暗黒の三日間」は起きなかったものの、「アセンションは起きている」と主張し、そのアセンションが起きる前提であったはずの「フォトンベルト」から、別の「波動」等の表現に変更して主張し出す。(※詳細記事

○韓国哨戒艦「天安」が爆発・沈没した天安沈没事件について、真相だとして
「米国潜水艦に打たれた」と主張していたのを、数年後には、しれっと、「実は韓国軍が放置した機雷に触れて爆発したことが判明しました」等と言い出す。(※詳細記事

○荒唐無稽なデマを真に受け、東日本大震災の原因は科学掘削船「ちきゅう」が海底深くに埋めた核爆弾だと言い出す。(※詳細記事)(その他、同様の、陰謀論を中心としたデマの拡散に寄与)

○2012年12月末の地球のフォトンベルト突入をはじめ、外れようがお構いなしに、当たりもしない未来予言を吹聴し続ける。

 結局、中丸氏をはじめ、他の自称霊能者たちの言動から分かることは、
どんなに素晴らしいツール・教えがあっても、「欲」で目が曇っていれば全てが無駄、「豚に真珠」、「猫に小判」でしかないと言うことである。

 彼らは、例えば八正道であれば、
「自分は八正道を実践できていると思いたい」という「欲」によって自分自身の言動をチェックし、八正道に反する言動は、(その1)で述べた「見ない」、「認めない」という2つの方法で誤魔化してしまうのである。
@.自分が犯した過ちや間違いを、見ない(文字通り、目を背ける)

A.自分が犯した過ちや間違いを、過ちや間違いだと認めない(見るには見るが、否定してしまう
 そして、彼らは、このような自己欺瞞を続けることによって、次のような幻想に満ちた無為な(むしろ、社会にとって有害な)人生を歩み続けるのである。
○自分が受けた神様や宇宙人の言葉など何の当てにもならないことが明らかなのに、神様や宇宙人とチャネリング出来ていると思い込み続ける。

○大ハズレの予言しか出来ないのに、予言が出来ると思い込み続ける。

○都市伝説レベルのガセネタにさんざん騙されて、それを拡散し、後でガセだと分かっても無かったことにして済ますだけ。にもかかわらず、自分には真偽を見抜く目があると思い込み続ける。

○ガセネタの拡散、デタラメ予言をして人々を惑わしているだけなのに、自分は神の側、正義の側に立って世の中の役に立っていると思い込み続ける。

○自らを律することが出来ず、他人を指導する資格などないのに、人々や社会を導けると思い込み続ける。
 「自分が特別な能力を持った特別な人間だと思っていたい」
 「特別な能力を持った者として、人々に注目され、称賛されていたい」
 「今さら、能力がない、間違ってましたなんて言えない」
 「自分の能力を否定すれば、生活の糧が無くなってしまう」

 
全ては、このような「欲」の捕らわれて、物事を歪めて捉え、かつ、事実と、そして自分自身と正面から向き合わずに生きた来た結果なのである。




 以上、
「反省できない人=自分と向き合えない人=自分のことが見えない人=自分を律することができない人」というものを、自称霊能者という具体例と共に見て来た。

 そのような人たちの送る人生というものは、御覧の通り、愚かで滑稽でしかないのであるが、一方で、自分と向き合うこと、自分を律することと言うのは非常に難しいものである。

 そして、具体例として見た来たような
「自分自身を誤魔化す」という行為も、程度の差こそあれ誰にでも経験のあることであろう。このような記事を書いている管理人もそうである。
自分自身と真摯に向き合い、誤りや欠点を修正して自分自身を練磨し向上して行くのか。

自分自身と向き合うことを避け、欲望のまま、事実を歪めて捉えて、幻想に満ちた誤魔化しの人生を生きて行くのか。
 どちらを選ぶのも個人の自由である。しかし、どちらを選択すべきかは明らかであろう。


 当記事の最後に、八正道がらみで釈迦の言葉を引用して締めくくりとしたい。
「自己を制御することは、実に難しいものである。自己こそ自己の(あるじ)である。いかなる主が他にあろうか。自己のよく制御されたとき、人は得難い主を得たのである」(『法句経』)
 インチキ霊能者たちと言うものは、「欲」が自己の主であり、自己を制御しているフリをすることはあっても、実際には制御しようとはしない

 よって、
彼らは、自己を制御することの難しさが分からない。他人に自己を制御するように説くことはあっても、自分自身では制御しようとしないからだ。

 上記の釈迦の言葉。自分が実践できてもいない上辺だけの言葉を発して自己満足している自称霊能者たちなどとは、言葉の重みが違うとは思わないだろうか。


 ※(その6)に続く


2014.07.15新規

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