『心の発見 現証篇』にツッコミ!(その7) ・・・ 高橋信次さま
※当記事は、(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)からの続き


 文証理証を体得すると、現れてくるらしい現証

 当記事以降では、その現証に該当する事象、具体的には、高橋信次様に起こっていた「奇跡的な諸現象」が本当なのかどうかを検証して行きたい。

 なお、検証対象は、本書で検証可能なもののみとする。例えば、
「高橋信次様のお陰で病気が治った!」など、今更、検証しようがないからである。


 それでは、高橋信次様は過去世の言葉が解かるらしいので、まずはそちらから見て行こう。、



 (その4)で見たように高橋信次様は、本物の「宗教の指導者達」の条件として「転生輪廻における、過去世の言葉が解かるか」ということを挙げていた。

 果たして、高橋信次様自身は、本当に「過去世の言葉」が分かっていたのだろうか。検証してみよう。

 以下は、N・T子さんの指導霊、および、過去世の意識が「過去世の言葉」で語ったものとして本書に掲載されているものである。その翻訳も併せて記載してくれているので見て行こう。

<P.310-311>
   転生輪廻の実証

       
N・T子さんの転生輪廻(1) 四五−一二 八起にて

 リパ リッシオラ セヌア タルアダ クロアヤッセモラナシー フォアラーソー 
フリティー
 ラッセ ダラヌー トゥアティ アラセグレア パワー セヌトゥアラー セドゥートゥアティー レグリアラオトゥー
ナウ リパリッセオ トゥレパシー ウァラ フワラーラバセヌ トゥアラー ゼドゥラーティーラウ リプリヤセヌ タウティー アラスクォルボー フェイセイ デルイーティーラウ リボーティアラーオス クォラバー セトゥラウ イスラエル ウアリ グナォウトゥ アリー バッソーダートゥリ ポッセレ エトゥウル オッスルトゥルヤ エテレヤセイ トゥーラウトゥ アウセイ クライストゥ ウアトゥーナーリ グーハッビッセー N・T オーティレバッソー ウラバソビア ウアタール ブラヤッソーフォアー


私はN・T子の指導霊フリティーでございます
私はかつて2千年ほど前、エジプトにおいて肉体を持った、男性でございます

私は実在界より正法を証明する使命を戴いて、その女性の意識と調和をはかり、いろいろと指導しております



(※管理人注)文字に色を付けたのは管理人(以下、同様)。
 まず、ここでアカラサマに怪しいのが、訳では
私はN・T子の指導霊フリティーでございます。
「フリティー」「N・T」が一つの文章で出てくるのに対して、本文では、最初と最後の文に分かれて登場していることである。

 章題にもあるように、この文は「実証」を目的としたものなのだから、
通常であれば、直訳が基本で、このような、複数の文を融合させたようなアクロバットな意訳はしないものと思われる。

 続いて、
本文の方は、文は全部で7であるにも関わらず、訳では3である。

 もう、
この時点で怪しい限りであるが、思考の浅い高橋信次様のすることなので、とりあえずここは、「アクロバットな意訳をしている」ということにしておこう。

 ちなみに、気になるには、本文の方に次の二つの言葉が見えることである。
イスラエル
クライストゥ 
(=キリスト)

 どうも、N・T子さんの方は、イスラエルのことやイエス・キリストのことに触れているつもりになっている気がするが、単に音が似ているだけかもしれない。

 とりあえず、ここは指摘するだけに留めておこう。(ちなみに、この次の文章ではイエスが登場する)

 また、少し触れたが、この一連の文章の題名は「転生輪廻の実証」であり、高橋信次様はこれらの文章で、
「転生輪廻を実証しているつもりになっている」ということを頭に留めておいて欲しい。


 そして、続き。
<P311> (※上記からの続き)
 ラトゥ ラッセバリ二ッシュ フアラー スクォラバリアラー ウォーティア スクォラ ナッセテトゥラリー ウォーロースクォオ アールバー ティニッシュフアー。ナウ リパリシー アラウーティ エルクラヤルワー トゥラセヌーパワー レッセドゥラウトゥー。


私はその当時、大衆から税金を取り立てて生活をしておりました。ある時、商用の途中でイエス様より、いろいろなお話をお聞きし、自分の間違いを知って郷里に帰り、自分の生活を改め、後にイエス様が実在界にお帰りになりましてからは、ペテロ様の補佐役としてキリスト教の伝道をし、所々方々を歩きました。
 こちらもまず、固有名詞に着目してみよう。

 訳の方では、「イエス」「ペテロ」「キリスト教」という
固有名詞が出てくるのだが、本文の方には、そのような音は見当たらない

 そして、先の文と
文章量を比べてみると、次の通りで、やはり、疑問が残る
本文 文章量 : 先の文  今回の文
文章量 : 先の文  今回の文

 さらに続きを見てみよう。
<P311-312> (※上記からの続き)
 ラ パリッシュー トゥラウ ワッセイ ウアープラヤッソー ドゥーオートゥティ パラサウ ブライス トゥウワイリヤ セドゥラー。 リッセブルナー トゥーワラ パウーウティクラ ヤッセネパール ウスパウー ウディアラー エトラセル ウードゥファー。 

イエス様のお教えとは、人類愛・博愛です。このようなお教えは大変に、当時の人々にとっては聞き慣れないことでございました。
 ここでも「イエス」という固有名詞が登場するが、やはり対応する音は見当たらない。

 そして、、、
<P312> (※上記からの続き)
 ターリバリ オストゥー ドゥアティア アウルストゥル バーニッシュ フアラー セバーティニ スルードゥアティア ワールクラウォー。 ナウティー アッセブティー オッラッサダルクラヤーソー フォアラーナートゥワリ パッソーフー。 リドゥラー トゥー。 

その頃、アラビア人、エジプト人、パリサイ人、ガリラヤ人など、皆それぞれの人種が、いろいろと人種的な偏見のもとに、自分達の部族が最高であるというような対立のはげしい時代でございまして、戦争で勝った国は、相手の人種をすべて奴隷として扱い、それはそれはむごたらしいものでございました。イエス様はその頃、実在界より使命を持ってこの人種差別をなくすよう、博愛・隣人愛を説かれたのでございます。
 まずは固有名詞

 訳には「アラビア人、エジプト人、パリサイ人、ガリラヤ人」「イエス」と登場するが、やっぱり、本文の方には対応する音は見当たらない。

 また、「アラビア人、エジプト人、パリサイ人、ガリラヤ人」の後は「皆それぞれの人種が」と続き、これら〇〇人を
人種の例として挙げているつもりのようである。

 「アラビア人、エジプト人」については問題ないが、残り二つについては、
<パリサイ人>

 
ユダヤ教内のグループ
 「パリサイ人」と表記される場合は、
厳密には「パリサイ派に属する人」を意味している

  ※参考:Wikipedia「ファリサイ派


<ガリラヤ人>

 
イスラエル北部のガリラヤ地方に住んでいた人々。イエスもガリラヤのナザレ出身であり,その弟子の大部分もガリラヤ人であった。

 ※参考:コトバンク「ガリラヤ人

である。

 よって、上記文章は、例えるなら、次のように言っているようなものなのである。
アラビア人、エジプト人、真言宗の人関西人など、皆それぞれの人種が
 当然、当時生きていた人がこのような間違いをするはずもなく、訳がデタラメであることが分かる上に、高橋信次様のキリスト教の知識もこの程度のレベルだと分かる

 ちなみに、高橋信次様の指導霊の一人はイエス・キリストである。このようなデタラメ訳を放置している時点で、こちらもデタラメであることが分かるだろう。


 さて、高橋信次様が過去世の言葉など理解できていないことは、もう明白であると思われるが、上記では、一部の固有名詞が本文と訳で一致していた。

 「フリティー」「N・T」である。

 続いて、(その8)では、なぜ、これらの固有名詞だけ一致したのかを考察しよう。



2018.06.08 新規

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これで、「転生輪廻の実証」になってるツモリなんだから、さすが高橋信次様だよナ。